キルトの世界

キルトを始めて14年になります。刺繍を含めた、キルトを中心に日々感じたことを、述べていきたいと思います。

3回目のグレゴリー聖歌

2007-06-16 21:05:42 | Weblog
今日も、梅雨入り宣言があったのに、暑い!1日だった。1ヶ月に1度の、グレゴリー聖歌を、歌いに行って来た。ミサは、キリストの死と復活を記念する為の儀式だった。イエスキリストが、最後の晩餐で、パンとぶどう酒を、手に取り、感謝と祈りのために、弟子達にいわれた言葉が元となる。パンは、体を現して、ぶどう酒は、血を表す。ミサ曲は、モーツァルトレクイエムや、フォーレのレクイエムを、歌った事があるが、今回の講座で、色々なミサ曲の分類を、理解できた。ミサという言葉は、司式司祭が唱える、言葉の、Ite missa est(行きなさい。(福音)を伝えに行きなさい)という、意味である。ミサの構成は、通常唱の、典礼文を持つミサ聖歌と、特定の、祝祭日ごとに、固有の典礼文を持つ、ミサ聖歌と朗唱と音読の言葉からなる。グロリア(栄光の賛歌)や、クレド(信仰宣言)などを、歌ってきた。講師の先生は、イタリアのフィレンツェの、グレゴリー聖歌学会に、いらしたそうで、花のドウモ教会で録音した、ミサ曲を聞かせてくださった。教会内の録音なので、良く音が反響していた。今日の写真は、最近創った、花のソーイングケースである。

3回目の音楽講座

2007-06-09 19:07:30 | Weblog
今日は、午後からフランス音楽の講座に行って来た。今日は、フォーレについてだった。フォーレ(1845~1924)は、レクイェムが有名で、私も以前に合唱団に入っていた時に、歌ったことがあった。色々なジャンルの、作品を創っているのに、大変驚いた!彼は、サンサーンスを師としたが、良い師弟関係を、築いたようである。フォーレの作品は、中世やルネッサンス風だった。音楽学校で学んだ、教会旋法を用いられている。この音階は、古代ギリシャから続く、全音と半音の異なる音階で、懐かしいような独特な雰囲気を、持っている。若い頃創った混声合唱とオルガンからなる、「ラシーヌ賛歌」が、美しい曲である。また、合唱曲として有名な「レクイエム」は、「怒りの日」は、省かれている。彼の作品では、「バイオリンソナタ1番」が、一番の最高傑作といわれている。ピアノとのバランスも良い!彼が作曲した、チェロ作品では、「エレジー」が、美しい旋律である。個人的には私は、フルートの音色が大変好きなので、「幻想曲(作品79)が、良かったと思う。この作品も、教会旋法を使っていて、感傷的な作品である。当時の音楽家たちは、上流階級の婦人達によって、主催されるサロンに認められる事が、音楽家として必然条件だった。フォーレは、彼を音楽的に援助した、婦人の子供の誕生日の為に、作曲しているが、その子供は、彼の子供?なのかもという説もあるとの事である!!彼は、70過ぎからは、耳が聞こえなくなった。そのような境遇でも、ショパンの影響を受けた、夜想曲や舟歌などを、作曲し続けた。今日の写真は、以前に買い求めた版画である。色々な青の色合いが好きである。

6回目のウォーキング

2007-06-08 11:51:30 | Weblog
昨日は、保土ヶ谷から戸塚まで、10キロの道のりを歩いた。日中は、暑くて熱中症になりそうな位!!だった。保土ヶ谷駅は、日本橋から、大体35キロ位の距離だった。昔の人々は、日本橋から戸塚まで、1日で歩いて、戸塚で宿をとったというから、いかに歩いたかが解る!!軽部家の本陣跡を見る。開港当時の横浜の発展に協力したという。現在は、門だけが残っている。次に外川神社に行く。この神社は、子供の虫封じの為に、当時の人々が祈願したそうである。次に、権田坂を歩く。江戸時代は、今よりもっと急な坂で、最初の難所であった。途中で行き倒れる人々もいて、死体を投げ込んだ塚が、あったという、しかし、今はこの坂は、いたってゆるやかな坂である。次に、境木地蔵堂に行く。峠の頂上の、ここで当時の人々は、休息をとり、人や馬の手配をした。次に、品濃一里塚に、行く。神奈川県で、道の両側に、塚が残っているのは、この地だけである。次に、「鎌倉ハム」で有名な、日本で最初のハムの製造を始めた、斉藤家の前を通った。最後に、吉田大橋を通った。安藤広重は、この橋のたもとでの、作品を創った。この橋の両側に、4枚の浮世絵の模写がある。今日の写真は、東海道歴史案内図である。

5回目の浮世絵講座

2007-06-06 21:04:13 | Weblog
今日は、暑い1日だった。久しぶりの浮世絵講座に行って来た。今日のテーマは、名所絵についてだった。名所絵とは、景色や古城で、有名な所で、和歌と密接な関係から誕生してきた。古くは、10世紀に屏風歌として、発展してきた。やまと屏風絵として、現存している、最古の例は、鎌倉時代の神護寺の「山水屏風」である。後には、歌と名所が分離していった。京都の清水寺を参拝する人達を描いた版画が、なかなか見ごたえがあった。後に、浮世絵による風景表現が始まった。菱川師宣による、「隅田川之景」は、江戸の土地を紹介する、意気込みが感じられた作品である。その後に、浮世絵の風景表現が発展して「浮絵」が、登場してきた。「浮絵」とは、」徳川吉宗が、享保5年に導入した、西洋の透視遠近法による、空間の奥行きや」距離感を強調した絵のことである。この絵は、別名「くぼみ絵」と呼ばれた。初期のうちは、不正確な遠近法が、存在した。後に、1800年過ぎには、西洋画の影響を受けた、版画が創られてきた。特に、司馬江漢の、「不忍之池」の版画は、写真のような感じで、素晴らしかった。また葛飾北斎は、大変な長寿で、90歳近くぐらいまで生きて、精力的な創作活動をした。板を斜めに切って、ぼかしをを表現した。彼は、表富士を36枚と裏富士を、10枚創った。また、歌川広重の、「名所絵シリーズ」は、なかなか見ごたえがある。「木曽街道六拾九次」の「須原」は、デリケートな雨を、表現していて良い作品である。明治以降の浮世絵の作品では、小林清親の「光線画」が、なかなか良かった。雨の線を描かずに、巧みに雨を表現している。今日の写真は、歌川広重の「大はしあたけの夕立」で、有名な作品である。今、地球環境問題が、深刻となっていて、サミットがドイツで開催されているが、江戸時代は、なんとエコ社会だったのだろうと思う。名所絵をみていると、この時代にタイムスリップして、短期間でも暮らして見たい!!と思った。

社会保険庁

2007-06-02 09:21:51 | Weblog
早、6月になった。我が家の庭の紫陽花も、かすかにピンクに色ずいてきた。今、ニュースで、消えた??年金問題が、大きな話題になっている。58才でも、積み立て内容が、一応郵送で送られてくるとの事だが、現時点で確認したいと思って、近くの社会保険庁に出向いた。2時間待ちのあと 、やっと確認してもらう。照会記録は、無事つながっていた?が、翌日不明な点がでてきて、こんどは、年金ダイアルで、不明な点を聴いた。その点については、無事解決できたのが、係りの女性から、厚生年金からの切り替えの手続きが、必要でまた社会保険庁に行く事になった。今度は、2時間半待ちである。いざ、窓口にいくと、その女性が言った、手続きに必要なものだけでは、手続きできない!!市役所で必要な書類が、必要だという。また、もう1回行かなければいけない。どの窓口でも、共通な事を言っていただきたい。現代の年金制度は、色々な問題がある。議員年金と共済年金と、厚生年金と国民年金との格差がある。今後、社会保険庁がどのように改革されるか、しっかりと見届けなければいけない!と思う。今朝のニュースで、社会保険庁長官が、短期間勤務した後、天くだりで、数億の退職金をもらっていると聴いて、驚いた!!短期間勤務では、「事なかれ主義」になって、自分の保身だけしか考えないのは、当然である。また、自分達の共済年金は、しっかり守り、厚生年金で、無駄な公共施設!を造り、厚生年金を目減りさせている!真実はどうなっているか、確認して、自分自身が、しっかりしないと損をするばかりである。国民ができるただ一つの方法は、選挙で、真に国民にのために、働いてくれる人を、厳選しなければいけない。今日の写真は、ケンブリッジの大学生達による、ボートレースの版画である。このレースは、伝統があり、CD付きの本も頂いた。