連休も、いよいよ、始まった。それにしても、このところ、悲しい、車の事故が、とても多い。幸せな日常が、一瞬にして、奪われてしまう。元気で、健康に、毎日を、過ごせることに、感謝して、毎日を充実させていきたい。家でのんびり、体を休めながら好きな音楽を流して、ゆっくり、本を読んだり、手芸をする時間が、とても、心地良い。
さて、いよいよ、人生の終盤!?となった。興味があって、ある「発達心理学」の本を、読んだ。その本には、高校時代に隣の席で、供に勉強した、女性の、研究結果の文献も、巻末に載っていた。東京都の老人研究所に、勤務なさっていた方である。毎年、年賀状を、交換して、クラス会にも、時折、お会いしていた。彼女の著した、文献を、これから、図書館で、借りてきて、是非、読みたいと思っている。
最近の研究結果によると、老人期は、肉体的には、劣っていき、外見的にも、衰えていく、時期ではあるが、個人差も、非常に大きく、一概に悲観する必要もないようである。ただ、序序に、そのやらなければいけない事の、量を減らして、「ソフトランディング」する必要があると思った。
内閣府の2009年の統計では、日本人の平均寿命は、男性 79.19才、女性 85.99歳である。老年期は能力の、喪失の割合が多くなるが、新たな能力の獲得の時期でもある。その相対量が若いときに比べて、喪失の割合が、多くなる傾向があるという。エイジズム(高齢者差別)は、レイシズム(人種差別)や、身障者差別やセクシズム(性差別)ともに、ひとつの差別である。ある学者が、反論を行う形として、「ステレオタイプ化」された、高齢者への偏見として、①加齢 ②ぼけ ③非生産性 ④安楽の追求 ⑤柔軟性の欠如などが、世の中にあると、指摘した。
ところで、私が、一番、興味を引いた箇所は、老年期には、「実際に知能は低下するか?」への、疑問である。新しい場面(流動性への適応能力)は、加齢と供に、大きく能力は、落ちていくが、過去に蓄積した知識や技能の問題解決能力は、落ち込みは、緩やかであるという。
健康である限り、明確な目標を、持って、スポーツと同じように、自分が楽しめる程度で、歩むのが、良いようである。
今日の写真は、「ホビーショウ」に行った時に、撮影した写真である。フープに美しい布を張って、インテリアの一部にするのも、良いアイデアだと思った。
さて、いよいよ、人生の終盤!?となった。興味があって、ある「発達心理学」の本を、読んだ。その本には、高校時代に隣の席で、供に勉強した、女性の、研究結果の文献も、巻末に載っていた。東京都の老人研究所に、勤務なさっていた方である。毎年、年賀状を、交換して、クラス会にも、時折、お会いしていた。彼女の著した、文献を、これから、図書館で、借りてきて、是非、読みたいと思っている。
最近の研究結果によると、老人期は、肉体的には、劣っていき、外見的にも、衰えていく、時期ではあるが、個人差も、非常に大きく、一概に悲観する必要もないようである。ただ、序序に、そのやらなければいけない事の、量を減らして、「ソフトランディング」する必要があると思った。
内閣府の2009年の統計では、日本人の平均寿命は、男性 79.19才、女性 85.99歳である。老年期は能力の、喪失の割合が多くなるが、新たな能力の獲得の時期でもある。その相対量が若いときに比べて、喪失の割合が、多くなる傾向があるという。エイジズム(高齢者差別)は、レイシズム(人種差別)や、身障者差別やセクシズム(性差別)ともに、ひとつの差別である。ある学者が、反論を行う形として、「ステレオタイプ化」された、高齢者への偏見として、①加齢 ②ぼけ ③非生産性 ④安楽の追求 ⑤柔軟性の欠如などが、世の中にあると、指摘した。
ところで、私が、一番、興味を引いた箇所は、老年期には、「実際に知能は低下するか?」への、疑問である。新しい場面(流動性への適応能力)は、加齢と供に、大きく能力は、落ちていくが、過去に蓄積した知識や技能の問題解決能力は、落ち込みは、緩やかであるという。
健康である限り、明確な目標を、持って、スポーツと同じように、自分が楽しめる程度で、歩むのが、良いようである。
今日の写真は、「ホビーショウ」に行った時に、撮影した写真である。フープに美しい布を張って、インテリアの一部にするのも、良いアイデアだと思った。