キルトの世界

キルトを始めて14年になります。刺繍を含めた、キルトを中心に日々感じたことを、述べていきたいと思います。

期日前投票

2007-07-28 11:31:36 | Weblog
今日も、暑い1日である!昨日は、近くの児童館に、期日前投票に行ってきた。以前は、市役所まで、出向かなければ、受付なかったが、歩いて行ける範囲なので、便利になった。選挙当日は、一部の投票所で、繰上げて、午後8時以前に、投票所が閉まることも、あるので、皆さん十分注意して頂きたい。シンガポールなどは、選挙権を行使しないと、罰則があるそうだ。選挙権は、国民の権利であると同時に、義務!1であると、私は思う。最近、東海道を歩いているので、東海道53次の、浮世絵版画に特に、興味がある。市立図書館から、歌川広重に関する本を、借りてきた。その本の中に、先日行った、大磯の版画があった。彼は、初代豊国と、歌川豊広に、文化8年(1811年)に、入門した。彼の作品の特徴は、静かな画面や、自然への客観的な態度が、人々に安らぎを、与えてくれる。彼は、江戸に生まれて、江戸で亡くなった。大変な旅行好きだったようだ。彼の作品には、「四条派」による、繰り返し描かれた家屋の細部の表現や、構図法の影響も、大変強かった。彼以前は、透視図法を導入して、空間の奥行きを表現した「浮絵」の原理を、元にして、安定的な画面を創っていた。前述の「大磯」は、他の彼の作品と同じようにに、遠景に向かって、消失点を画面の左右どちらかにずらしている、作品である。今後、浮世絵と供に、ウォーキングを進めたい。今日の写真は、トールペイントの鏡である。

茅ヶ崎から、大磯への、ウォーキング

2007-07-26 10:15:57 | Weblog
7月も、残り少なくなってきた。24日は、9回目のウォーキングに行ってきた。この日は、梅雨明けと思われるくらい暑い!1日だった。段々、歩くスピードが早く?なってきたようで、午後からの歩きは少々、体にこたえた感じがする。とりたてて、スポーツはしていないので、このウォーキングだけは、継続したいと思っている。茅ヶ崎市は、藤沢と平塚の間の宿として、にぎわった。鳥井戸橋のそばに、「南湖左富士の碑」があった。浮世絵で有名な、安藤広重は、彼の作品の東海道53次の風景の版画の1枚として、南湖の左富士の作品を、この場所から、創りだした。残念ながら、この日は、富士山は、拝めなかった。小出川を渡り、相模川を渡る。かつて「馬入川」と呼ばれたこの川を、昔は渡しで渡った。旧相模川橋跡は、建久9年(1198)に、源頼朝が、橋供養のために川を渡っている最中に、源義経一行の亡霊が、川の中から現れた。源頼朝は驚いて落馬をして、川に落ちた。その為に、よく年の彼の死の原因となったといういわれがある。前述の「馬入川」の、別名となった。次に、平塚宿に入る。この地は、東海道でも、有数の規模の、宿場だった。15~16世紀には、北条氏の直轄地だった。昔、平塚は、江戸を出て、15里30町の距離だった。この宿が、第2番目の宿だったという。改めて、昔の人達の、運動量が多かったと思う!1平塚駅を過ぎた辺りに、「お菊の墓」があった。怪談に登場するお菊は、平塚宿役人の娘で、江戸の旗本に奉公していたが、家宝の皿を割った理由で、手打ちにされた。事実の出来事だという。次に、高麗山のふもとの高来神社に行った。668年に、朝鮮半島の高句麗の王族と従者が、この付近にも、住んでいた。当時、この付近の開墾に、従事したという。次に虎御前の化粧板に、いった。この地は、曽我兄弟の遊女である、恋人の虎御前が、化粧した場所である井戸である。前述の「おしゃれ地蔵」といいい、今回の「化粧井戸」といい、いつの世も、女性は、わが身を美しく飾りたい気持ち!があるようだ。大磯の松並木は、慶長9年(1604年)に、徳川家康が、東海道筋に、松やえのきを植えた。今日の写真は、高麗山付近の、浮世絵である。

日本の行く末とグレゴリオ聖歌

2007-07-23 10:02:54 | Weblog
選挙まで、あと1週間になった。私は、誰に投票するか決めていない。各候補者の主張を、比較して熟慮して決めるつもりだ。選挙後、別の政党に鞍替えする事は、止めていただきたい!!子供達も、必ず選挙に、必ず行って欲しい!!と、思う。日本の大切な行く末を、決めるのだから。先週のことだが、月に1度の、グレゴリー聖歌に行って来た。教会暦は、キリストの生涯の出来事を、1年を
周期とした、教会の暦である。今まで、わからなかった暦の誕生の事がわかった。教会暦(典礼暦)は、カエサル(シーザー)の定めた、ローマ帝国の暦(ユリウス暦)の1年の周期と、ユダヤ教の7日間による、1週間の周期に、由来する。まず、日曜日は、主の日で、キリストが、復活した周の始めの日で、最も重要な日!であった。神が、天地創造を開始した日である。日曜日は、「小復活祭」と、位置ずけられていた。復活祭とは、1年のうちで、ユダヤ教では、「過ぎ越し祭」といわれて、隷属状態からの解放の祭りだった。キリスト教の復活祭は、キリストによる、罪と死からの解放を目的とするキリスト教の、中心的な祭りだった。復活には、死「キリストの受難」が、前提とされていた。受難週の、木土日は、復活祭の頂点に立っていた。教会暦の一覧は、以下である。「待降節」は、降誕」への待望と復活後のキリストによる救いへの憧憬の季節である。この時期には、聖母マリアの聖歌が、多く歌われる。11月末から、クリスマスの前まで、待降節第1主日~第4主日である。「降誕節」は、「主の降誕」の記念と、「主の公現」への追憶の季節である。主の降誕日には、ローマの伝統により、夜半、早朝、日中の3つのミサを行う。降誕祭は、クリスマスイブとクリスマス当日である。前述の「復活節」は、主の復活を記念する喜びの季節であった。復活祭を、3月20過ぎの満月の次の日曜日なので、このお祭りは、毎年変化する。この時期に、アレルアを沢山歌う。他に、聖母マリアの祝日として、マリア聖歌が、歌われる。12月末に、私が住んでいる、市の催しで、「グレゴリオ聖歌」を、歌う事になった。講師の方によると、9月から練習量を、増やすとの事。グレゴリオ聖歌のアカペラの歌も、清楚でなかなか良い。今日の写真は、東欧の街角で撮った写真である。おじさんと供に、描かれているトールペイントに惹かれて!!写した。

6回目のフランス音楽の講座

2007-07-22 14:33:37 | Weblog
この所、梅雨明けも、まだで、今日のお天気もいまひとつはっきりしない。この所、耳鳴り!がひどく早く、回復を願うばかりである。昨日も、このブログを書き込んでいたら、突然内容が消えて1!しまって今、改めて書き込んでいる。昨日は、久しぶりにフランス音楽の講座に、行ってきた。講師の先生は、以前歌手で歌っていて、今は、近くの音楽大学で声楽の先生をなさっている、方だった。今日の講座の内容は、フランスのオペラについてだった。フランスでは、19世紀の初期に、グランドオペラが、盛んになった。このオペラの特徴は、シリアスな内容を特徴として、オペラの主題を、叙事詩的に、また歴史的性質を、もっている。特徴として、合唱とバレエの導入や、独唱と合唱の織り成す、劇的な場面が、あげられる。他方、グランドオペラの風刺的な模倣とパロディを特徴とする、オペラコミックが、存在した。最初に、グノーの「ファウスト」を、観た。グノーは、父が、有名な画家で、母はピアニストとだった。彼の音楽の特徴は、優雅であり、清楚で、洗練されたものだった。彼の作品では、「アベマリア」や「ロミオとジュリエット」が、有名である。「ファウスト」は、ゲーテを、原作とする。マルガレータ役の女性が少し肥満!?気味ではないかと思った。ただ最終場面の、彼女の演技は、最高だった。次に、ビゼーの「カルメン」を見る。彼も父は、声楽家で母はピアニストの、芸術的環境の中で育った。他に彼の作品では、「アルルの女」が、有名である。以前「カルメン」の合唱を、10年ほど前に歌ったことがあるので、このオペラは、大変興味深く見た。演出が良く、ホセ役とカルケン役の歌手達が、はまり役!だと思った。特に、カルメン役の歌手の演技は、気性の激しい、「性悪女」を、良く表現していて面白い。最後に、ドビッシーの「ペレアスとメリザンド」を観た。彼は、従来のオペラは、歌いすぎる!傾向があると批判をした。歌うべきところで、歌ってこそ、オペラの魅力が引き出されると考えた。オーケストラの役割も、大変重要と考えて、デリケートな幻想的な音を要求した。残念ながら、2時間の講座では、第1幕しか観られなかった。今日の写真は、昔創った、「釣りをする子供達」である。

藤沢から、茅ヶ崎へのウォーキング

2007-07-13 09:17:47 | Weblog
7月も、半ばとなりいよいよ参議院選挙に、向けて各政党が走りだした。各政党の政策を、良く検討して、国民の為に、より良い日本の為に働く人を、選びたいと思う。最近のニュースで、私が住んでいる自治体でも、税の裏金問題!が発覚して、住民税が上がったのにと、ため息がでる。先日の火曜日は、久しぶりのウォーキングに行って来た。生憎の雨で、傘をさしっぱなしだった。約、9キロの道のりだったが、今回は、よくよく日まで、疲れ!?が残り、体力が落ちた!ことを実感した。最初に、JR藤沢駅を、出発した。藤沢市は、昔、江ノ島や鎌倉や大山への参詣や観光の起点となった。鎌倉時代以来の、門前町でもあった。永勝寺の境内には、旅籠屋で働いていた、「飯盛り女」たちの、お墓があった。単に、お客達の、食事の世話をするだけではなく、男性客の相手をしていたようである。1つの旗小屋に、2名の「飯盛り女」しか、置けなかったようである。過剰労働!!のせいか、20歳前後で亡くなっていったようで、当時の悲惨な女性達の悲しみが伝わってきて、切なく思った。次に、「化粧地蔵」に、興味を持った。このお地蔵は、「女性の願い事をなんでもかなえてくれる」そうで、願いがかなった時には、お地蔵さんの顔に白粉を塗るそうで、実際お地蔵さんのお顔には、白粉が、塗られていた。次に、訪れた、二ツ家稲荷神社の、石碑には、「見ざる・聞かざる・言わざる」の3匹の猿がレリーフに、なっている。最後に訪れた茅ヶ崎一里塚は、日本橋から、14番目の一里塚だった。4キロごとに、一里塚を作った。昔の旅人は、日本橋から、戸塚まで1日で歩いたというから、大変な運動量だったといえる。今日の写真は、安藤広重が浮世絵で描いた、茅ヶ崎市内の国道1号線沿いの黒松並木である。

第5回 フランス音楽の講座

2007-07-07 21:30:43 | Weblog
今日は、1日蒸し暑い日だった。午後から、5回目のフランス音楽講座に行く。フランスの歌曲の特徴は、サロンを舞台として、文学とも関係があった。フランスでの詩は、感性を中心とした表現のロマン派から、感性を抑制して、「芸術のための芸術」を主張した高踏派へと、その高踏派から分かれて象徴派へと、変化してきた。フォーレはレクイエムで有名だが、他に、亡命中の作家として、有名なユーゴーが詩を書いた、「蝶と花」を、聴いた。この曲は、ワルツのリズムでの伴奏が良い!次に、「リディア」を聴いた。この曲で、ファから始まる、黒鍵を使わない、ギリシァのリディア旋法を使っている。他に、高踏派の詩人のウ”ェルレーヌの詩の、「月の光」を聴いた。この作品は、フォーレの最高傑作だそうだ。そして、有名なフォーレのレクイエムを聴いた。次に、85歳まで生きた、デュパルクの作品を聴いた。彼は、フランクやワーグナーから影響を受けたが、長い生涯にもかかわらず、17曲の歌曲と2つの交響詩のみ、残したが、フォーレやドビッシーに影響を与えた。特にボードレールの詩の、「旅への誘い」が、良かった。最後に、ドビッシーの歌曲を聴く。彼は、象徴派詩人と親交を持った。初期には、ワーグナーに、傾倒していたが、後には新しい響きを獲得して、彼独自の世界を築く事になる。特に完成度の高い作品は、古代ギリシャの女性詩人である、「ビリティスの3つの歌」だった。詩的にも音楽的にも、溶け合って、美しい作品となっている。一番最後に、胸を打たれた作品は、彼が詩をつけた、「もう家のない子供達のクリスマス」である。彼は、当時の第1次世界大戦に抗議して、この曲を創った!少し歌詞の一部を紹介したい。僕らにはもう家がない。敵がすべてを奪ってしまった。僕らの小さなベッドまで!もちろんだとも。パパは戦場だ。哀れな母さんは死んでしまった!こんなすべてを見る前にどうしたらいいのかしら?クリスマス!ささやかなクリスマス!奴らのところに行くな!奴らを罰しろ!フランスの子供達の仇を討て!ベルギーの子供達の、セルビアの子供達のまた、ポーランドの子供達の!平和の大切さを、痛感させられる詩である。

早7月

2007-07-04 21:07:40 | Weblog
7月に入って、数日たった。今月は、参議院議員選挙の月である。良く考えて、国民の立場にたった人を、選ばなければと思う。これからの、大切な日本の方向を決めることだから。今日は、久しぶりに、浮世絵講座に行ってきた、以前には、原宿にある、太田記念美術館に、行ってきたが、その時は、英国にある「ビクトリアンアルバート美術館所蔵初公開浮世絵名品展」を、開催していた。今日の講座の内容は、「浮世絵と花火」だった。この機会に、夏に涼しさと華麗さ!で私達の目を楽しませてくれる花火を、改めて再認識させてもらった。花火は、紀元前3世紀頃、中国の爆竹使用に始まる。日本には、1274年に、伝わったという。江戸時代の花火の色は、墨の燃える、赤い色をしていた。当時の花火の高さは、10メートル程だった。徳川家康や、伊達政宗が、日本人で初めて、花火見物をした。花火大会の始まりは、1733年に、両国の花火が、始まりだった。当時の花火大会の目的は、徳川吉宗が、伝染病や、飢饉や厄除けや慰霊のために、開催した。浮世絵に描かれた作品を、何枚か見た。鳥居清満の「浮絵両国涼之図」は、西洋の遠近法を用いている。歌川豊春の「浮絵和国景夕中州新地納涼之図」は、自然な奥行きの表現となっている。他に葛飾北斎の、「江都両国橋夕涼花火之図」を見た。この花火の種類は、ポカ物といって、尾をはなたない花火である。長野県、松本市にも、日本浮世絵博物館が、あるそうである。機会があれば、訪れたいと思う。今日の写真は、亡き愛犬のミニバッグである。