Jazz & Bossa , 美術館巡り , 古都散策 and many more !

大好きなジャズ&ボッサ、そして美術館巡りと古都を散策などなど。

エドガー・ドガ 【My Favorite Artist Vol.7】

2013-10-28 | 絵画

自ら「現代生活の古典画家」と称したフランスの印象派
画家、エドガー・ドガ(1834-1917)について、調べた事を
日記にしました。

1834年、パリの銀行家の長男として生まれる。
「ドガ」(de Gas)という貴族風の苗字を持つが、ドガ家は
フランス革命後に勢力を伸ばした新興ブルジョワで、ドガ
が生まれた頃にはさほど裕福ではなかったらしい。
最初、法律を学ぶが21歳から画家に転向。

                   「画家の肖像(木炭ばさみを持つドガ)」1854-55年作品。オルセー美術館 (パリ) 所蔵

                 

1855年、名門エコール・デ・ボサール(官立美術学校)に
入学し、新古典主義の巨匠アングルの弟子で線描の
信奉者ルイ・ラモットに師事した。デッサンの大切さを説か
れ、終生デッサンを続けた。

1856年から三年間、イタリアにいる叔母ラウラの家に
滞在、この時ルネサンス芸術や北方ルネサンス様式に
触れ、巨匠たちの作品から古典的な画面構成や技法を
学び、模写・研究をおこなった。帰国後は重厚な歴史画
や肖像画を描いていた。

                                  ベレッリ家の肖像1856-1860年 オルセー美術館(パリ)所蔵

1865年以降は競馬、踊り子、音楽家、洗濯作業する女性、
カフェの情景、入浴する女性など、いわゆる「近代生活」
をテーマにして、鋭い線描と鮮やかな色彩で描くように
なった。この頃、マネと知り合っている。

                       競馬場の馬車(プロヴァンスの競馬場) 1869年頃 ボストン美術館所蔵

1874年に銀行家の父が死去し、長男であったドガは莫大
な借金をかかえ、返済のために家や財産などを売却して
いる。

1874年以降に開かれた全8回の印象派展のうち、7回
出品しているが、他の印象派の画家たちとは明らかに
異なり、戸外の光のもとで制作するよりも、屋内で人物
を描くことを好んだ。純粋な風景画は決して多くない。
ドガの興味は、人物や馬が見せる瞬間の動きにあり、
それをカンヴァスに再現するために、デッサンを繰り返し、
また浮世絵から学んだクローズ・アップやスナップショット
などの手法を積極的に絵画に応用した。

          手袋をした歌手(カフェの歌手) 1878年頃 マサチューセッツ、ケンブリッジ、フォッグ美術館所蔵

                 

30代半ばに普仏戦争に従軍した頃から目を悪くし、その
ためもあって1886年の第8回印象派展を最後にほとんど
作品を一般に公開していない。目の衰えがひどくなると
油絵を放棄してパステルに専念し、蝋や粘土による彫刻
の制作を始めている。晩年は視力の衰えもあり、踊り子、
馬などを題材とした彫刻作品も残している。それらはドガ
の死後にアトリエから発見されている。70歳になる頃には
ほとんど目が見えなくなり、最晩年の十数年間は制作も
思うようにならなかったという。
1917年、ドガは83歳でひっそりと息を引き取った。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

線描を重視し、大胆で奇抜な構図や対象の瞬間を鋭く
捉える優れた観察眼で、初期には歴史画や肖像画、
発展期から円熟期には競馬、舞台、踊り子など都会的
なモティーフや、日常生活に見られる光景などを描いて
います。特にバレエの踊り子と入浴する女性を題材に
した作品が多く、彼女らの一瞬見せる何気ない動作を
永遠化する素描力は秀逸です。

・・・バレエ作品が多いのは?

パリの銀行家の息子として生まれたエドガー・ドガは、上流
階級の社交としてオペラ座の定期会員となり、バレエの稽古
場や楽屋に自由に出入りして、踊り子・バレリーナたちの練習
風景をつぶさに観察し自らの絵画作品としました。
当時のフランスには、まだクラシック・バレエやモダン・バレエ
が紹介されておらず、ロマンチック・バレエの時代で、ドガの
作品のバレエ風景はすべてロマンチック・バレエの風景と
なっています。
ドガがバレエ作品に熱意を向けていたことは後世のオペラ
座でも評価されており、ドガの彫刻「14歳の小さな踊り子」
をモティーフとしたバレエ作品を2003年に初演しています。

                            ダンス教室(バレエの教室) 1875年頃  オルセー美術館(パリ)所蔵

         

                  踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子) 1878年頃 オルセー美術館(パリ)所蔵

   

※ドガの有名な絵画を動画にアップしました。


小磯良平画伯 【My Favorite Artist Vol.6】

2013-10-20 | 絵画

神戸市出身の小磯良平画伯(1903-1988)は、日本の近代洋画界を代表する画家

としてあまりにも有名。肖像画、特に群像を多く手がけたことで知られています。

以前に小磯良平画伯の絵画『斉唱』などの実物を観覧した時の感動が忘れられず、

小磯良平画伯の事を調べ記録しておくために日記にしました。

 

【小磯良平画伯の経歴】

明治36年7月25日、神戸市に生まれる。

当時の神戸は、外国貿易の窓口となっていた旧外国人居留地を中心に発展しており、

小磯は洋館が立ち並ぶ街で自然に「西洋的な空気」を吸って幼年期を送りました。                               

クリスチャンの家庭で育ち、鉛筆と紙を与えておけば黙々と絵を描いて飽きることが                              

なかったと言われています。

 

兵庫県立第二神戸中学校(現 兵庫高校)に進学し、生涯の親友となった竹中郁と出会                           

います。のちに神戸を代表するモダニスト詩人となる竹中の影響もあり小磯の心の眼は                          

ヨーロッパに向けて開かれました。大正10年、倉敷へ一緒に出かけ大原コレクションを

公開した「現代フランス名画家作品展覧会」に感動を覚え、画家への志しを強めます。

 

大正11年、東京美術学校(現東京芸術大学)の西洋画科に入学し、大正14年の                        

第6回帝国美術院美術展覧会(帝展)に出品した『兄妹』で初入選を果たし、翌年には                            

『T嬢の像』が特選に輝きます。当時、美術学校では出品を禁じていましたが23歳の画学生                      

が描いたとは思えない完成度の高さを誇るこの作品で画壇に鮮烈なデビューを果たしたのです。

 

                               『T嬢の像』 

                      

 

昭和2年、規定課題の『自画像』と竹中郁をモデルにした『彼の休息』の2作品で98点という最高

得点をとり首席で卒業。

 

                                『自画像』

         

 

                                『彼の休息』

              

 

卒業の翌年、小磯は念願であったフランス留学に出発し、一足先に到着していた竹中と                    

ともに2年間ヨーロッパを遊学します。絵画技法の習得よりも、各地の美術館をめぐり、アングル、                

コロー、クールベ、マネ、ドガなどの巨匠達の作品を鑑賞することに熱心でした。

ルーブル美術館のパオロ・ヴェロネーゼの『カナの婚礼』に衝撃を受け、群像表現を極めることを        

生涯のテーマと決めたのもこの頃だと言われています。

留学中には劇場で踊り子たちの舞う姿を楽しみ、クラシックの音楽に耳を傾けたようです。

 

                     パオロ・ヴェロネーゼの『カナの婚礼』

 

昭和13年から1年間、陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡り、帰国後戦争画を製作。         

昭和16年に群像画の傑作『娘子関を征く』と『斉唱』を相次いで発表。小磯は群像を書くため           

精力的に戦争画に取り組んだが、戦後は画集に収録しなかった。戦意高揚のために戦争画を          

書いてしまったことに心が痛むと晩年に語っています。

 

                              『娘子関を征く』

             

 

                                  『斉唱』                   

                            

 

戦後も精力的に絵筆を振るい始めます。優れた素描力を十分に生かしながら、「欧州絵画の           

古典的な技法を日本の洋画に根付かせる」ための研究を根気強く続け、独自の画境を開く            

ことになります。東京芸術大学教授などを務めて後進の指導にあたり、定年退官後も迎賓館           

大広間の壁画『絵画』『音楽』を制作するなど長きにわたり日本の洋画界に大きく貢献しました。

平成4年に創設された「小磯良平大賞展」は国内最高賞金の公募展として知られています。

 

     平成4年11月に神戸市立小磯記念美術館が、緑豊かな六甲アイランド公園内に開館されました。

    

 

小磯良平画伯は親しみやすい女性像を中心としながら、西洋絵画の伝統の中に、市民的でモダンな         

感覚と気品あふれる画風を完成した画家でした。

 

※小磯良平画伯の作品を鑑賞できる動画を作成しました。

 


Jazz も巧い Maria Muldaur 【My Favorite Artist Vol.5】

2013-10-12 | Jazz Vocal

足を怪我し、3連休は自宅でゆっくり静養しようと思い、今日はレコードとCDを午前中から

ずっと聴いていました。

大好きなジャズやボサ・ノバを聴いていましたが、若い頃から大好きなマリア・マルタ゜ー

のアルバムも3枚ほど続けて聴きました。

60年代後半に登場し70年代に「Midnight at the Oasis 」で大ブレイクしたシンガーで

オールド・タイミーな曲、カントリー、ブルース、ゴスペルやジャズなどもたいへん巧く

表現できるグレートなヴォーカリストです。

Maria Muldaur -Midnight at the Oasis


日本では単にロック歌手、海外では、ウッドストック・サウンドというジャンルで分類される事も

ありますが、マリア・マルダーの才能はそんな狭いものではありません。

私は、大学生の頃にロスアンゼルスのライブハウスで彼女のステージを見ました。

なんと、5m位の真近で見れ、美ししい彼女が歌う姿にすっかり魅了されてしまった

のを昨日のように鮮明に覚えています。

来日公演にも、もちろん駆けつけました。当時は彼女のレコードが発売されるとすぐに購入し、

日本で発売されないレコードは輸入盤専門店に頼んで入手したほどです。

現在も彼女のCDを収集しており、ほぼコンプリートに揃えています。

でも、やはり若い頃の録音がいいと思うのは、夢中になった当時の事が忘れられないせい

かもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は特に彼女が歌う「Lover Man」をとても気に入っています。

※動画を作成しました。

"Lover Man" Maria Muldaur


彼女がジャズに取組んだ作品としては、Sweet And Slow が有名です。CDで再発売されています。

Seldon Powell(ts)、Kenny Barron(p)、Michael Moore(b)、Ben Riley(dm)

などジャズ界の錚々たるアーティストが参加しています。

洋楽をお好きな人にぜひ聴いてほしいアーティストです。


お寺と美術館巡り “新薬師寺~般若寺~松柏美術館”

2013-10-07 | 古寺散策

昨日は、奈良のお寺と美術館を巡りました。 

昼食に大好きな手打ち蕎麦を食べてから、まずは新薬師寺を訪ねました。  

天平19年(西暦747年)に光明皇后が聖武天皇の病気平癒祈願の為に創建されたお寺です。

新薬師寺という名前は『新しい薬師寺』ではなく、『霊験新たかな薬師如来さまを祀ったお寺』

という意味で、西ノ京の薬師寺とは無関係なのです。

創建当初は七堂伽藍の建ち並ぶ大寺院だったそうですが今は素朴な感じの小さなお寺です。

しかし、このお寺には本堂をはじめ13もの国宝があります。

ご本尊の薬師如来は、大きく目を開いており、ちょっとふっくらしていて印象に残ります。

薬師如来坐像と如来様を取り囲むように安置されている塑像の十二神将は有名です。

私は、このお寺には3回も拝観していますが、何度観ても十二神将の迫力を感じます。

 

 
※動画を作成しました。

 

次は、初めて訪ねる般若寺です。

途中で東大寺の転害門も観る事ができました。

 

般若寺は東大寺の北側に位置し、境内は10種類約10万本のコスモスが咲き乱れ、コスモス寺

と云う名前で有名です。 もともと飛鳥時代に開かれたお寺ですが、奈良と京都を結ぶ要路にあった

為、幾度の戦乱に巻き込まれました。その都度繰り返し再建されるという歴史をたどります。             

楼門の奥正面に立つ十三重石塔は、高さ約14.2m もあり、このお寺の象徴となっています。

石仏を彩って咲くコスモスや彼岸花などが美しく花の寺としても有名です。

昭和 39年に十三重石塔の大修理の際に発見された阿弥陀如来(秘仏)も公開されていました。

コスモスに囲まれたあどけない表情の石仏が多く心がなごみました。  

 

※動画をアップしました。

 

最後は、松柏美術館で上村松園の《特別展》女性たちの物語

~松園のモデルとなった才女たち~ を観覧しました。

併設展示で、松園の息子と孫である、松篁と淳之の花鳥画作品も展示されていました。 

 

「展示内容」

60年以上の画業において女性美を追究し、独自の美人画を描いた上村松園。

松園が好んで描いた題材に、物語や歴史上に伝わる才女たちの姿があります。

大和撫子の気概を貫き自害した遊女亀遊や、無実の罪を晴らし身の潔白を証明

した小野小町、源頼朝の面前で義経を想いながら舞を舞った静御前の毅然とした

姿は、男性社会の中で苦悩する松園に大きな力を与えました。

そして、それらから、「遊女亀遊」「草紙洗小町」「静」などの傑作を生み出しました。

また大正期には「娘深雪」「花がたみ」「焔」と、恋する女性の内面を追究するうち

狂気や怨念に満ちた凄艶な世界へと足を踏み入れ、スランプに陥りますが、「焔」

完成から4年の時を経て発表された「楊貴妃」は格調高い情趣に包まれ、スランプを            

脱し新たな出発点なった作品です。・・・・と美術館の案内にありました。

 

松柏美術館は、常設展がなく毎回展示が違います。私は今回で3回目でしたが、今回も

貴重な下絵をたくさん観る事ができました。

私は、絵画も実物を観ないと感動しません。松園の絵は単なる美人画ではなく、女性の          

感情を絵に込めている気迫を感じました。

 

                   「花がたみ」 大正4年 松伯美術館蔵

             

 

                    「焔(ほのお)」 大正7年  松伯美術館蔵

                 

 

                     「楊貴妃」 大正11年 松伯美術館蔵

 

                    「男舞之図」 昭和13年頃 名都美術館蔵

 

※上村松園の美人画を集めて動画を作りました。

 


ジャズギターを衝動買い !

2013-09-26 | Jazz

先週の連休最終日に、久しぶりに賑やかな街をブラブラしょうとあてもなく
外出したら思わぬ宝物に出くわしてしまった。

たくさんのギターを並べている楽器店にフラフラと入ってしまった。

欲しいなぁ~と思っていたフル・アコーステックギターがあった。

しかも、以前から気になっていたアメリカ製のギター。新品だから値段も高い !

ろくに弾けないのに、見ると欲しくなるギター。

デザインの素敵なギターは単なる楽器ではなく、なぜか美術品のように思ってしまう。

フォークギター、セミアコギター、エレガットギターなどなど。
私の部屋にはギターがゴロゴロしているのに。

店員さんが 弾いてみますか~

ありがとう ― 何のためらいもなく弾いてしまった。

太い響きのジャズ・サウンド、私の手と指にぴったり・しっくりとくるネック。

アンプをつなぐと更に豊かな鳴り。

そして、なにより木目を生かしたナチュラルカラーとその造形美に魅せられてしまった。

・Maple top & maple body
・Maple Neck
・Florentine cutaway
・Bound f holes
・Multi laminate binding
・Rosewood fingerboard w/ block inlays
・Chrome hardware
・2 humbucker Pickups
・4 knob/3 way switch
・Rosewood Bridge
・Nut width: 43mm
・25.5" scale
・20 frets
・Colors: Natural    

                             

今、お買い上げ頂くとハードケースをサービスしますよ。
そうそう、特別にジャズ用の弦もおつけしましょうの声に決断。

・・・・支払いしてしまった。

高い出費をしてしまったので、タクシーに乗らず電車と徒歩。
ハードケースに収まったギターの重かったこと。

それからは、教則本とにらめっこしながら自宅でギターを弾いて喜んでいる。


♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪ ♪♪ 



くだらない日記を読んでくださいました人にお詫びとお礼に
飛びっ切りカッコいいジャズギター演奏の映像を紹介します。

ジョン・ピザレリの超絶技巧のギタープレイをお楽しみください。
もちろん歌っています。

こんなに弾けて歌えたらなぁ~ 絶対無理・無理

"It’s Only a Papermoon"
John pizzarelli trio live 2000

             


"Satin Doll"
John Pizzarelli at Jazzwoche Burghausen 2011



最後にもう一つ。インストでギターデュオです。
トミー・エマニュエル と マーティン・テイラーのしっとりと巧いバラード演奏を

"The Nearness of You"
Tommy Emmanuel & Martin Taylor at Festival GITARA 2010 


奈良 明日香村を散策

2013-09-22 | ハイキング

今、奈良の明日香村では「ミステリーロマン飛鳥 2013」の

イベントが行われています。(9月7日~12月1日まで)

 

昨日は、持統天皇の行幸ウォークを見てから明日香村の

名所・旧跡を散策しました。 

お天気がたいへん良く、顔が真っ赤になるほど日焼けしました(笑)

 

たくさん撮影し、動画も作成しました。

 

まずは、持統天皇の行幸出発セレモニー(ユーモラスです)と稲渕棚田を

行幸している動画を見てください。

 

奈良 明日香村 持統天皇行幸ウォーク Part 1

 

行幸出発地点は、南淵請安(みなぶちのしょうあん)の墓前で行われました。

 

帰宅してから、色々調べた事も併せて記載します。

 

南淵請安は飛鳥時代の学問僧で、608年(推古天皇の治世時代)に遣隋使の

小野妹子に従い隋へ32年間留学しました。隋の滅亡から唐の建国まで見聞

して、帰国。隋や唐の進んだ学問知識を日本に伝えました。

中大兄皇子・藤原中臣鎌足に儒学を講じ、大化の改新に大きな影響を与えた

人物と伝えられています。

 

持統天皇行幸 Part 2 案山子ロード(稲渕棚田)

 

稲渕棚田では、案山子ロードが行われており、今年のテーマは

「田んぼの神様 ・田んぼの生きもの」 面白く、かわいい案山子が

たくさいました。

畦に咲く赤・白・黄色の彼岸花がたいへん綺麗でした。

 

 

お昼ご飯は、古代米御膳を頂きました。お米が紫色でした。

 

その後は、石舞台~橘寺~岡寺~甘樫丘を散策しました。

 

稲渕棚田~石舞台~橘寺~岡寺~甘樫丘

 

石舞台古墳

元は土を盛りあげて作った墳丘だったらしいですが、現在はその土が失われ、

巨大な石を用いた横穴式石室が地上に現れています。

埋葬されていたのは、蘇我馬子ではないかと云われています。

 

 

橘寺

橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が

持ち帰った橘の実を植えたことに由来していると伝えられています。

聖徳太子が誕生したとされる場所があり寺院は聖徳太子建立七大寺の1つとされて

いて、本堂(太子堂)には、本尊として聖徳太子坐像(35歳時の像)と聖徳太子の

16歳の時の像が祀られています。

観音堂には、顎を右肘で支えている、お顔立ちが少年のような如意輪観音坐像が

安置されています。

境内には、人の心の二面性を表現しているという二面石があり、左右に善相と悪相が

彫られています。

 

 

岡寺

日本最古の厄除け霊場で西国三十三所第7番札所です。

春には綺麗な石楠花がいっぱい咲くそうです。

仁王門は重要文化財で、本堂には、塑造(粘土で作られています) の如意輪観音坐像が

安置されています。この仏像は、日本最大で最古の塑像観音像で重要文化財。

インド、中国、日本三国で弘法大師が造られた尊像で如意輪とは、物事を自分の意の

ごとく叶えて頂けるとの意との事です。

たいへん広くて静かな佇まいのお寺で、大きな塑造の仏様が印象に残りました。

 

        

 

亀石 (いつ、なんの目的で作られたかは謎)

 

 

甘樫丘

頂上から、明日香村内や橿原市内の大和三山や藤原京などの風景を望むことができます。

散策の途中に休憩するには良いところでたいへん景色が美しいです。

 

万葉の昔を現代に伝えている明日香村を散策出来た有意義な一日でした。 


ボサ・ノバの名曲 Corcovado (Quiet nights of quiet stars)

2013-09-19 | Bossa Nova

ボサ・ノバの名曲、Corcovado。

最近、この曲をギター弾き語りで練習しているので、ブログに書きました。

「コルコバード」は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにある標高710mの丘の名前。

1931年にブラジル独立100周年を記念して、コルコバードの丘に巨大なキリスト像が

建てられました。高さ30メートル(台座を含めると38m)、横一文字に広げた両手の幅は28m。

昼間、太陽の光を浴びるその姿は、真っ白な十字架のようです。

日没にはライトアップされ、リオ・デ・ジャネイロの一番有名なシンボルになっています。

丘の頂上には展望台があり、そこからリオ・デ・ジャネイロの街を一望できます。美しい海岸線や

巨大な岩石がそびえたつ山々など息をのむような景観を見る事が出来ます。

若い頃に行った事がありますが、もう一度行ってみたいです。

  


では、Corcovado という曲について、

作詞・作曲は、アントニオ・カルロス(トム)・ジョビン。 

後にジーン・リースとバディ・ケイにより英語の詩がつけられました。     

英語歌詞では「Quiet nights of quiet stars」というタイトルです。

オリジナルには「窓の向こうにコルコヴァドの丘が見え、キリスト像が

美しく微笑みかけている」という歌詞がありますが、英語版の方には

その部分だけがなく、あとは大体同じ内容となっています。

 

この曲は、アストラッド・ジルベルトとジョアン・ジルベルトがトム・ジョビン、スタン・ゲッツと

1963年3月にジャズレーベルのヴァーブに録音したアルバム「GETZ/GILBERTO 」

で収録されており、それが一番有名です。 

(コルコバードの丘の景色が映し出されて曲が流れます)



一番最初に録音したのが、トニー・ベネットです。



フランク・シナトラがジョビンと一緒に録音しているのも素晴らしいです。

(映像は、シナトラがジョビンのギターでボッサ曲をメドレーで歌っています)

 

シナトラは、レコードアルバムを制作するに際して、ボッサの歌い方、リズムの取り方などを            

ジョビンからアドバイスを受けたそうです。

その他にも、多くのアーティストが録音している名曲ですね。

 

(英語歌詞)

Quiet nights of quiet stars,

quiet chords from my guitar

Floating on the silence that surrounds us

Quiet thoughts and quiet dreams,

quiet walks by quiet streams

And a window that looks out on Corcovado … oh how lovely

 

This is where I want to be

Here with you so close to me

Until the final flicker of life’s embers

I who was lost and lonely

believing life was only

The bitter tragic joke  

I found with you

the meaning of existence … oh my love 

 

(訳詩)

光る星が満ちている静かな夜

私が弾くギターの柔らかな和音だけが

二人を静寂の中で優しく包む

言葉はかわさず、そっと夢をいだき

幸せを夢見て、静かに流れる小川のほとりを

音もなく二人で散歩する

そして、コルコバードの展望台から

雄大な山々そして海も見える

あぁ、なんて素晴らしいのだろう !

これこそ命が燃え尽きる最後のひらめき

あなたと二人きりで過ごしたい

それを望んでいた場所にちがいない

途方にくれ孤独にさいなまれ人生は辛く、

悲しいだけのものだと信じていた私が

生きていく意味を見つけることが出来た

愛するあなたとともに



~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

※ギターで弾き語りする人のためのレッスン・ビデオ映像。(ソロ演奏ではありません)
オリジナルキーのコードで演奏しています。シナトラの映像でジョビンがギター弾いているのとほぼ
同じコードです。
コードも表記していますので弾き語りの練習にはいいと思います。


最後にジャズギターの巨匠、ジョー・パスの演奏を。
ベースのニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンとのデュオです。

 

                         ジョアン・ジルベルト

       

 

                             アストラッド・ジルベルト

 

              

     

 

                            アントニオ・カルロス(トム)・ジョビン

 


クロード・モネ 【My Favorite Artist Vol.4】

2013-09-14 | 絵画

大好きな画家、クロード・モネについて調べてみました。

 

まず、印象派【Impressionism】とは、

19世紀後半にパリで伝統的なアカデミー様式と対立した画家らによる前衛芸術運動。

陽光の輝きの探求するために戸外制作をおこなうほか、日常生活で生まれた余暇を

過ごす人々やガス灯による夜の情景など当時の近代性を心象そのままに表現。

細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法≪筆触分割(色彩分割)≫

を用いて対象を表現する【印象派】、光学理論や色彩論に基づき色彩分割の科学的な

体系化を試みた【新印象派】、それらの影響を受け(時には否定し)ながら独自の表現

様式へと発展させた【後期印象派】の3つに分類されます。

(代表画家:マネ、ドガ、モネ、ルノワール、ピサロ、モリゾ、スーラ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ等) 

 

 

クロード・モネ(Claude Monet,1840年11月14日- 1926年12月5日)は、印象派を代表する

フランスの芸術家で、「光の画家」の別称があります。印象派の中でも最もその方向性に忠実であった

とされています。時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家でした。

モネは印象派グループの画家のなかではもっとも長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ

多数の作品を残しています。モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の

画家でした。 

 

※クロード・モネの経歴

1840年 パリ、ラフィット街に生まれる。その後、ノルマンディ地方のル・アーヴルに転居。幼少の頃から

絵の技術は際立っており、文房具店の店先に絵画を置いてもらったことも。

 

1857年 フランソワ=シャルル・オシャールから絵の指導を受ける。翌年には風景画家のウジェーヌ・

ブーダンと出会い、野外制作に連れ出されるうちに影響を受け、その後の方向性を見出すことになった

と考えられています。

 

1859年 パリに移り、トロワイヨンらに教えを受ける。1860年にアカデミー・シュイスに入学しピサロと

知り合っています。兵役も経験しており、1862年にはシュルル・グレールのアトリエに入っています。

個々では、ルノワールやシスレー、バジールと面識を得ています。

 

1865年 サロンに2点の作品初出品。両方ともに入選。その2年後に長男が生まれるものの家族から

反対され、正式に結婚したのはその3年後でした。

 

1870年 カミーユと結婚。普仏戦争の際には、兵役を避けるためにロンドンに移っています。9月から

翌5月まで滞在しており、風景画の先駆者であるターナーやコンスタブルの作品の研究を行っています。

その後はオランダに数ヶ月泊まった後、パリに戻り、数ヶ月後の1871年にはアルジャントゥイユに移住

しています。

 

1874年 ルノワールやピサロ、シスレー達と前年に結成していた「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他

による匿名協会」の活動として第1回印象派展を開催し『印象、日の出』を出品。この絵画から後に印象派

と名づけられました。以後、第3回印象派展まで出品。

 

1883年 ジヴェルニーに移り、そこで水の庭や花の庭を作りました。絵画だけではなく、庭作りの才能も

認められていただけあって、観光名所となっています。モネ自身も、庭について最高傑作であるという旨

の発言をしていたとされています。やがては睡蓮のモチーフとなった場所です。

 

1886年 オランダ旅行へ

 

1891年 「積み藁」連作を発表

 

1895年 「ルーアン大聖堂」連作を発表

 

1899年-1901年 イギリスに滞在。制作活動も

 

1926年 「睡蓮」のシリーズを制作しつつ、ジヴェルニーにて死去

 

1927年 オランジェリー美術館で「睡蓮」の連作公開

 

代表作として圧倒的な知名度を誇る睡蓮ですが、クロード・モネの名作はそれだけではありません。

一例として、積み藁、ポプラ並木、揺りかごの中のジャン・モネ、ルーアン大聖堂の連作や印象・日の出、

サン=ドニ街、ラ・ジャポネーズ、緑衣の女性、サン=ラザール駅、並木道(サン=シメオン農場への道)、

草上の昼食、王女の庭園、サンタドレスのテラスといったものがあります。 又、タイトルにアルジャントゥイユ

が含まれているものも多く、「アルジャントゥイユの鉄道橋」(フィラデルフィア美術館)、「アルジャントゥイユ

の橋」(オルセー美術館)、「アルジャントゥイユのひなげし」(同美術館)といったものが代表的です。

この土地がいかに画家にとって魅力的であったかがよく分かります。

晩年にかけては連作が多くなり、睡蓮も数多く描かれることになりました。

睡蓮という同じモチーフを用いながらも、時間や光線が変わることによって別の印象になっています。

1890年代の終わりから制作が始まった一連の作品で、ジヴェルニーの自宅の庭の池を描いています。

その数は200点以上にのぼります。睡蓮は大部分がモネの庭にあった池を描いていますが、庭園技師

さながらにこだわった彼は、他にも自宅の庭をモデルにした作品を残しています。その一つが、ワシントン・

ナショナル・ギャラリーに収蔵されているダリアの咲く道です。  

1926年に亡くなるまで、彼は数多くの絵画を残しました。

 

草上の昼食(習作) 1865年 プーシキン美術館(モスクワ)所蔵

 

揺りかごの中のジャン・モネ 1867年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

サンタドレスのテラス(海辺のテラス) 1867年 メトロポリタン美術館所蔵

 

かささぎ 1869年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

ラ・グルヌイエール 1869年 メトロポリタン美術館所蔵

 

印象 -日の出- 1872年 マルモッタン美術館(パリ)所蔵

 

アルジャントゥイユのモネの家の庭(ダリアの咲く庭) 1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

アルジャントゥイユの橋 1874年 オルセー美術館(パリ)所蔵

  

赤い頭巾、モネ夫人の肖像(窓に立つカミーユ・モネ) 1873年 クリーヴランド美術館所蔵 

 

散歩、日傘をさす女性 1875年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

ラ・ジャポネーズ1875-1876年 ボストン美術館所蔵

 

ヴェトゥイユの画家の庭園 1880年(1881年) ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

プールヴィルの断崖の上の散歩 1882年 シカゴ美術研究所 所蔵

 

戸外の人物習作(右向きの日傘の女) 1886年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

戸外の人物習作(左向きの日傘の女) 1886年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

舟遊び(ノルヴェジエンヌ号で) 1887年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

ジヴェルニーの積みわら、夕陽 1888-1889年 埼玉県立近代美術館所蔵

 

積みわら、冬の効果 1891年 メトロポリタン美術館所蔵

 

睡蓮の池、バラ色の調和(太鼓橋) 1900年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

モネの家の庭、アイリス 1900年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

睡蓮 1914-1917年 マルモッタン美術館(パリ)所蔵

 

睡蓮 1916年 国立西洋美術館(東京)所蔵

 

You Tube にもアップしました。 

※印象派 クロード・モネ 絵画 第一集

クロード・モネの1864年~1886年までの作品。

音楽は、フランツ・シューベルトの 五重奏曲 イ長調 「鱒」 D 667 - V.フィナーレ : アレグロ ・ ジュスト。

 

※印象派 クロード・モネ 絵画 第二集

クロード・モネの1887年~最晩年の1924年迄の作品。

音楽は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第 3 番ト長調 K. 216 II.アダージョ。


リリー・クラウス 【My Favorite Artist Vol.3】

2013-09-07 | classical music

久しぶりにクラシックのピアニスト、リリー・クラウスのレコードを聴き、

このアーティストをブログで記録しておこうと思い日記に書きました。

以下は、インターネットや書籍で調べた内容です。

 

リリー・クラウス(Lili Kraus, 1903年4月3日 - 1986年11月6日)は、

ハンガリーのブダベスト出身のピアニスト。若い頃よりモーツァルトやベートーヴェン

の楽曲を演奏するピアノ奏者として知られるようになりました。

ヴァイオリン奏者のシモン・ゴールドベルグと共演して室内楽の演奏・録音も行い

国際的な称賛を得ました。1930年代にヨーロッパ、南アフリカ、オーストラリア、

そして、日本にも演奏旅行をしています。1942年にアジアの国々に演奏旅行に

出かけましたが、インドネシアのジャワ島に滞在中に家族とともに日本軍によって

収容され、第二次世界大戦終結まで軟禁されました。

 

これはリリー・クラウスが親日家になったエピソードで、クラシック愛好家の

間では、よく知られているお話ですが、普通なら日本を恨む経験をしている

のに彼女にとってこれが日本に好意を寄せる原因の一つとなりました。

と云うのは彼女を捕えた日本軍の将校の中に、クラシック音樂を深く理解

する人がいて、彼女を厚遇したそうです。

 

戦後に解放されると、イギリス国籍を取得して演奏活動を再開。

1967年から1983年までアメリカで積極的な演奏旅行を行うとともに、日本に

も度々訪れ、演奏活動を展開。最終的に米国に定住しフォートワースのテキサス州

キリスト教大学の常任芸術家に選ばれた。

ノースカロナイナ州アッシュヴィルで1986年に亡くなっています。

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私が、リリー・クラウスのレコードを初めて聴いたのは、高校生の頃です。

高校生の頃、コンサート・ホール・ソサエティという会員制レコード倶楽部が

あり、そこで毎月クラシックのレコードを購入していました。通販で毎月

クラシックレコードを送ってきてくれたのです。

そのコンサート・ホール・ソサエティで、初めてこの人のレコードを入手し、

この人の演奏が好きになり何枚かレコードを買い求めました。 

 この人のレコードを聴くと、とても癒され、心がやすらぎます。

 

コンサート・ホール・ソサエティは、ヨーロッパやアメリカを中心に大量の

レコードを制作販売したのですが、経営に行き詰まり解散してしまいました。

日本では大手通販会社である日本メール・オーダーが総代理店となって販売

していました。

コンサート・ホール・ソサエティには、指揮者では、カール・シューリヒト、

シャルル・ミュンシュ、ピエール・モントゥー、ヨーゼフ・クリップスなどの

録音が数多くありました。

著名な演奏家のレコードだけではなく、この通販レコード会社でしかお目にか

からない演奏家やこの会社で録音・デビューし、その後有名になった演奏家も

数多くいます。

クラシック音楽の普及に貢献したその功績は大きなものがあったと云われて

います。

 

      コンサート・ホール盤 リリー・クラウス シューベルト・リサイタル

              

リリー・クラウスは、なかでもモーツァルトとシューベルトの演奏に秀でていました。

このレコードは得意のシューベルトを弾いたものです。

 

リリー・クラウスのものすごく貴重な映像があります。

ラジオ・カナダがテレビ放映した1960~1961年頃の映像です。

モノクロです。

※フランツ・シューベルトの 即興曲 作品90第3

 Franz Schubert - Impromptu Op. 90 No. 3

  

次はカラー映像です。1969年の撮影らしいです。

※フランツ・シューベルトの ハ長調 グラーツの幻想曲 D.605a

Franz Schubert - Fantasy in C Major, D. 605a, "Grazer Fantasie"

          

 

                     

        

            


ピエール=オーギュスト・ルノワール 【My Favorite Artist Vol.2】

2013-09-04 | 絵画

ルノワールの名画をクラシック音楽のBGMを聴きながら鑑賞できる動画を作成しました。

 

★ルノワール絵画 第一集

     

 

★ルノワール絵画 第二集

     

 

★ルノワール絵画 第三集

     

 

19世紀の印象派の代表画家として有名なピエール=オーギュスト・ルノワール

(1841-1919)について調べてみました。

 

ルノワールの作品の特徴としては、初期のころは肖像画を多く描いており、

中期は若干色合いが渋めになっていますが、晩年にはまた優しく穏やかな

明るい色彩の絵を描いています。風景画や家族・親族・自画像・友人・画家・

画商・裸婦など身近な人物を始め、肖像画を描いてほしいとの依頼人や特定の

モデルなど人物画が多いのですが、静物画など幅広いジャンルを描いています。

奔放な筆勢や、多様な色彩、官能的な裸婦の表現、木漏れ日による人物や風景

への効果を研究した斑点状の描写など特徴的な表現で数多くの作品を残しています。

1862年に国立美術学校へ入り絵画を学び、またグレールの画塾ではクロード・モネ、

アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらバティニョール派(後の印象派)と

呼ばれる画家たちや、モネの友人であったカミーユ・ピサロとも知り合って、共に

フォンテーヌブローの森で作品を制作しました。

 

カンヴァスと絵の具を戸外に持ち出し、目に見える風景を写しとっていきました。

木々や波、建物に写る光の反映を、色の細分化と筆触を重ねることで描き留め

ようと試みました。

 

遠くルネサンス以来の線的な遠近法や色彩のグラデーションによる三次元的な

空間の再現をも覆し、革命的とも言える清新な画面の数々を生みだすことにな

りました。

 

ルノワール、モネ、ピサロ、シスレー、モリゾ、ドガ、セザンヌなど、1840年前後に

生まれた一群の若い画家たちは、長い間、当時の美術家の登竜門とされた

「サロン(官展)」への入選を目指して挑戦と失敗を繰り返していました。次第に

サロンのあまりの保守性に嫌気がさした彼らは、1874年4月、「画家、彫刻家、

版画家などによる“共同出資会社”と名付けたグループを結成し、その第1回展を

パリのカピュシーヌ大通りにあった写真家ナダールのスタジオで開きます。これが

のちに「印象派展」と呼ばれるようになる記念すべき展覧会で、以後1886年に至る

まで計8回催されました。

 

ルノワールは1880年になると、光の効果を重んじ形状の正確性を失った純粋な

印象主義に疑問を抱き始め翌年にイタリア旅行しルネサンスの巨匠ラファエロ

などの作品に触れるほか、1884年にはカミーユ・コローの研究のため

ラ・ロシェーヌへ旅行。この1880年代は古典主義を探求し作風を変化させています。

 

1885年に息子ピエールが生まれ、その5年後の1890年に『田舎のダンス(1883年制作)』

のモデルを務めたアリーヌ・シャリゴと結婚、家庭を築きました。

 

1888年頃にリュウマチ性関節炎や顔面神経痛に襲われ、この病によって1880年代の

古典主義的な表現から豊満な裸婦画に代表される暖色を用いた豊潤な様式へと再変

させました。晩年期の1890年代からは体調がさらに悪化し、1911年には車椅子生活

を余儀なくされるも、痛みに耐えながら最後まで精力的に作品制作を続け、真偽のほど

はわからないですが、「指に筆をくくりつけて描いた」という伝説も生まれました。

78歳で亡くなっています。

 

ルノワールの作品総数は、4000点は下らないだろうと言われています。

 

                  小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢 1864年

                           クリーグランド美術館所蔵

         

 

                   フレデリック・バジールの肖像 1867年

                       オルセー美術館(パリ)所蔵

            

 

                       ラ・グルヌイエールにて 1869年

                       ストックホルム国立美術館所蔵

  

                       青衣の女(パリ女) 1874年

                       ウェールズ国立美術館所蔵

              

 

                                                       バレリーナ(踊り子) 1874年

                                                    ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

                  

 

                                                        アルジャントゥイユの庭で絵筆をとるクロード・モネ 1875年

                                                                       ワズワース美術館(コネチカット)

                                                                             

                         ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場 1876年
                                                          

                             オルセー美術館(パリ)所蔵

                                                        

                         アンリオ夫人の肖像 1876年頃

                       ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

             

 

                         シャルパンティエ夫人とその子供たち 1878年
                                                      

                               メトロポリタン美術館所蔵

                                               

                  イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像 1880年

                                                 
                                           ビュレル・コレクション(チューリヒ) 

                   

                                                      

                        舟遊びをする人々の昼食 1881年

                                                         フィリップス・コレクション

 

                                                                テラスにて 1881年

                                                      シカゴ美術研究所所蔵
 
                    
 
 

                                                                     雨傘 1881-1885年

                                                        ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵
 
                                
 
 
 
                          ブージヴァルのダンス 1883年
                        
                              ボストン美術館所蔵 
 
 
                      
 
 

                                                             都会のダンス 1883年

                                                         オルセー美術館(パリ)
 
 
                                        
 
 

                                田舎のダンス 1883年

                               オルセー美術館(パリ)所蔵
 
                      
 
 
             
                         ヴァルジュモンの子供たちの午後 1884年
                              ベルリン国立絵画館所蔵 

  

                             草原にて 1890年頃

                        メトロポリタン美術館(ニューヨーク)