タイタニック号沈没時に生後2カ月で救われた96歳の英国女性がゆかりの品をオークションにかけたという。これがなお世界的なトピックになるほどに事故が残した足跡は大きい。
1513人死亡の規模だけではない。1912年4月14日深夜氷山にぶつかり、翌未明沈むまで、豪華客船上で繰り広げられた人間ドラマは、1世紀近くになっても語り伝えられる。
当時日本は明治末年、通信発達や競争で新聞の速報体制も進んでいた。東京日日新聞は17日付で「大汽船の遭難」と突っ込み、翌日「千五百名溺死(できし)す、未曽有の大事件」と詳報した。
さらに21日付は「巨船タ号名残の大悲惨」と、生存者らの話から状況を伝える。救命ボートをめぐる大混乱。割り込もうとして射殺された男。賛美歌を奏でる楽隊。病弱な妻とのボート同乗を求めた大富豪に「すべての婦人が移さるるにあらざれば男子は一人も乗り移ることを得ず」と拒んだ船員。今も語られるエピソードが紹介された。
宮沢賢治も強く心動いたらしい。後年「銀河鉄道の夜」で、死者が天上に向かう列車に、氷山にぶつかって沈んだ船に乗っていた姉弟と青年家庭教師を登場させた。甲板で他の幼い子らを押しのける気になれなかった青年は言う。「わたしたちの代わりに、ボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのおとうさんやおっかさんや自分のおうちやらへ行くのです」
無償、自己犠牲の心といっても笑われる今か。でもタイタニックが語り続けられるのは、そんな人間の、ほっとさせるような「善」を私たちが心のどこかで求めているからではないか。(論説室)
毎日新聞 2008年11月4日 東京朝刊
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