江戸に多い物として「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」というはやり言葉があった。実際、まち中を歩いていると、伊勢屋と犬の糞はめっきり見かけなくなったが、稲荷社の赤い鳥居はよく目に付く。何故だろうと疑問に思っていたが、ある文献に、個人的にあるいは集落など特有の土着の神が、邪教の取締りや社格制度、神社整理などで、廃棄されないための方便として、稲荷社になることが多かったとあり、そんなものなのか?と思っていた。それが、昨晩のテレビ「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」で、すでに多くの信者を有していた稲荷信仰と、国家鎮護のお墨付きを得た真言宗が手を組んだこと。許認可制ではなく、届出制で勧請でき、それも総本宮・伏見稲荷大社ではなくても所定の手続をすれば、飛脚便(通信販売)で稲荷社を建立できたこと。がその数を増やした要因だと説明していた。昔の家では、神棚と仏壇があったが、いずれも魂分けしていたのではなく、神棚には守札、仏壇には先祖・縁故者の位牌を置いて拝んでいただけだったから、稲荷社とは意味が違う。
ちなみに、稲荷に祈った願いが叶ったときは、お礼参りは倍返しとか、願い以上だったときは十倍返しとされ、それを怠ると祟られると誰かから聞いた。本当なのだろうか?写真は、京急・穴守稲荷駅にある「コンちゃん」像。
ゴミの不法投棄に困っていた地方都市で、捨てられやすい場所に小型の鳥居を建てたらピタリと投棄がなくなったといいます。
そういえば、立小便されやすい路地裏の壁なんかにも、赤い鳥居の絵が書いてあったりしますもんね。
これには神社本庁も苦りきっているとか…