みなさんは、「正常性バイアス」という言葉を知ってますか?
わかりやすく言うと、自分の目の前で何かが発生しても、絶対に自分だけは大丈夫であるという、なんの根拠もなく自信に溢れた対応をすることを言います。
防災行動、心理学等でよく使用されます。
ただ、昔からこれに対する注目すべき物事の考え方はありました。
「対岸の火事」がそれです。
被災している場所から離れているので自分には関係ないという意味ですが、問題は「何」をもって対岸とするのかです。
誰かの好きだった言葉ですが、「想定の範囲」という言葉も同じく、「何」に対して想定しているのかなのです。
それは視野から入る「被害の程度」、「距離的な安全範囲」、「過去の事例」等がその決断をする材料になっていると考えられます。
また、第三者からの「情報」も判断する材料になっていると考えられます。
これが学者が言うところの「正常性バイアス」になるのだと思うのです。
このバイアスが人間に対して一瞬の間をつくり、その一瞬の判断の差で被害の発生が左右される。
ただ、私は正常性バイアスについては、もっとシンプルに「人間」というところに着目しています。
それは、人間は正常の有無を判断することによって、自己の生命・身体・財産を守ろうとします。
ただ、その方法が不確かな場合、今度は自分の知識から答えを導き出そうとします。
そうです。
人間は命という大事なものが天秤にかかっても、先ずは頭で考えて整理しようとする行動を無意識でとるのです。
よって、安全行動等ではこれを回避すべく、すべて手順という形式、枠にはめています。
それが最善であるという行動の認識を事前に植え込み、それを信じて事案対処に当たることが可能となるのです。
安全行動は「備え」です。
備えと言っても、物の備え、知識の備え、行動の備え等、1つだけではありません。
その備えを「活かして」こそ結果につながると考えます。
これを達成するために「訓練」があります。
我々はあまり考えずに普段から言っていますが、行動心理を考えた方は凄いと感じます。
この訓練を誰でも行って、それがすべて理にかなっているかは不明ですよね。
なので、次の言葉を覚えておいて欲しいのです。
人間は恐怖にさらされた時、「夢 感 信」になるということ。
「夢感信」というキーワードです。
目の前で発生した驚くような事案の前では、一般の方は、ほぼ一瞬「固まります」。
何が起きたかを考え、それが「本当のことなのか」、それが「夢」であってほしい。
次に、目の前で起きていることに対して「感覚」が麻痺します。
そして事実であることに対して、それをすぐに認めようとせず、自分の良い方向にだけ「信じて」しまう。
その結果、漠然と立ちすくむ光景が見られがちなのです。
ベビに睨まれたカエルのようにです。
人間以外の動物は、ことに対して俊敏に反応することが多いと言えます。
それは、常に弱者は強者に食べられるということを、24時間鋭敏に感じているからこそ出来るものなのかもしれません。
私達は平和な環境の中で生活していますが、自然と向き合うとき、危険と向き合うときは、夢感信という行動は回避すべきです。
学校は夏休み、長期休暇をとったり、来月は、お盆休みに入り帰省や行楽地では賑を見せます。
心の中に最も油断が生まれやすい時期の1つです。
生きてこそ、悲しみや楽しみを感じることができます。
今一度、安全のアンテナだけは磨いておきましょう。
ちびっ子には難しすぎましたか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます