secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

運命のボタン

2010-05-21 21:30:12 | 映画(あ)
評価点:43点/2009年/アメリカ

監督:リチャード・ケリー

その選択は、あまりにもアンフェアだ。

1970年代アメリカ。NASAは火星に打ち上げた探査機が送る映像に熱い視線を送っていた。
その搭載されたカメラを開発したのは、アーサー(ジェームズ・マーズデン)だった。
宇宙飛行士を夢見る彼は、カメラの開発をしながら、宇宙飛行士への夢を追いかけていた。
その妻ノーマ(キャメロン・ディアス)は、小学校で教師をしながら一人息子を育てていた。
共働きであっても、家計は厳しいものだった。
そんなある日のこと、家の前に一つの箱が置かれていた。
箱を開けると、5時に自宅へ来るというメモがあった。
5時に訪れたスチュワード(フランク・ランジェラ)は、取引を妻に持ちかける。
それは、箱にあるボタンを24時間以内に押せば、100万ドルを渡す。
その代わり自分の知らない人間が一人死ぬことになる。
驚く妻を残しスチュアートは去っていく。
夫に話した妻は、決断できずに悩むが…。

キャメロン・ディアスが主演するサスペンスドラマ。
あれほどかわいかったキャメロン・ディアスも、35歳の子持ち役をやるようになったか、というちょっと切ない映画である。
観るつもりは全くなかったのだが、時間があったのがこれだったので観た。
M4会でも話題になっていたので(?)、気軽な気持ちで、全く期待せずに観た映画だ。

ネタバレになるのであまり書くことはできないが、別に観に行く価値はないかも知れない。
期待せずに観たこともあって、それほどの怒りはわいてこないが、肯定的な評価はしがたい。
時間があって、キャメロン・ディアスに興味がある人は、どうぞ、という感じだ。

▼以下はネタバレあり▼

簡単に言うと、「フォーガットン」、「ノウイング」、「地球が静止する日」と同じ登場人物が出てくる。
そう、アメリカ人がいると信じて疑わない例のやつだ。
そのオチをどう受け止められるかによって評価は分かれるだろう。
僕としては、そういう映画を見慣れていることもあって、それほど違和感はなかったが、それ以上にテーマの描き方が不十分だったことが残念だ。

すべては宇宙人による人間への試験だった。
人の命を奪ってまで大金を手に入れるのか、それとも大金をあきらめて人の命を奪わないでおくのか。
他人の救済のための自己犠牲を払えるかどうか、ということが宇宙人の問いかけであり、そのままそれが映画のテーマである。
ボタン一つで運命を変えることができるそのボタンをどう考えるのか。
聞けば確かに高尚な印象受ける設定だが、この取引はアンフェアすぎる。

この取引には裏がある。
その裏を説明せずに夫婦に契約を持ちかけるのはいかにもアンフェアだ。
その裏とは、蝋人形になるということだ。
もしその人間に同情の余地がなければ、完全な僕(しもべ)となってしまう。
それは人間として他人を思いやることができない者は生きる資格がないと判断されてしまうからだ。
人類を試す宇宙人は、それでも100万ドルを選ばないことを試している。
その罠にかかった者は、ことごとく蝋人形になってしまう。

もしかろうじて生きる価値があると判断されれば、今度は究極の選択が待っている。
愛する人間の視覚と聴覚を奪われるか、それとも愛する人間を殺すか。

そう、この取引に、100万ドルを選んで利を得る可能性は全くないのだ。
だが、そのリスクについては全く話されない。
ただ他人が死んでしまうという話を聞かされるだけだ。
その条件で、選択しない人間は少ないだろう。
裏があるかも、と思う人もいるかも知れない。
あるいは、その罪悪感にさいなまれることを苦にする人もいるかもしれない。
だが、日常的に赤の他人が死んでいる状況の中、誰が自分のスイッチで人が死んだとリアリティある感情に浸れるだろうか。

NASAの局員が死んだのだって、スイッチを押したからなのか、たまたまそうだったのか、因果関係はない。
そのリスクの低さだけを見せておいて、100万ドルいる? と聞かれたなら、誰もが押してしまうだろう。
それは、その人がエゴイスティックだとか、他人を思いやることができないとかいう聖人君子の浮ついた理論とは、別次元の問題だ。
倫理性とはかけ離れた取引に、上から目線で「他人を思いやることができない人間は絶滅しろ」という理不尽きわまりない取引を持ちかけるのは、あまりにひどい。
それこそ、エゴイスティックの極みだ。

〈他者〉として設定されたエイリアンのスチュアードは、人間を脅かす存在であっても、観ている人間たちにそれほど大きな衝撃を与えない。
それは彼が絶対的な立場にいて、なおかつそのゲームがアンフェアだからだ。
つまり、〈他者〉がいないと突きつける彼らこそ、〈他者〉がいない。
例えばキャメロン・ディアスが真摯な態度で接しても、エイリアンたちは全く動揺もしなければ、その立場を揺るがしたりもしない。
よって彼らは人類を見下すだけの立場でしかない。
だから、観ている観客は、全くこの映画に対して危機感や啓蒙的な印象を受けないのだ。
衝撃もない。
元々勝てないように設定されたゲームに負けても、驚かないし腹も立たない。
この映画がおもしろくないのは、仕方がない。

また、人間側の人物の描き方も甘い。
余計な伏線で、思わせぶりな緊張感をあおるだけで、結局二人の内面はよくわからない。
まじめでごく普通の家族思いの夫婦。
それ以上にどんな内面も読み取れない。
妻が事故で足を失っているというのは象徴的な身体性だと思わせているだけで、結局それが物語の重要なキィを握るわけではない。

水の中に飛び込もうと、図書館で蝋人形に追いかけられようと、それは単なる見せかけだけの「演出」にすぎない。
肝心の中身は空っぽだ。

やはり〈他者〉を人間以外に設定している時点で、思考停止で解答放棄のような気がする。
宇宙人という便利な記号は、アメリカでは受けるのかもしれないが、遠い異国の日本では受け入れられるものではないだろう。
なんだか、宇宙人以外に自分たちは止められないという、エゴイスティックな傲慢ささえ感じる。
だからハリウッド映画は、と言われても仕方がない映画だ。

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2 コメント

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そうかな?・・・・ (aida)
2010-08-23 03:22:51
宇宙人はアメリカでは受けるかもしれない。だが、日本では受けない。これは違うと思う。人間は未知(どんなものか知らない。)の生物、物体などにはものすごい興味を示す習性があり、宇宙人などにたいして興味がそそられるのは人間であり、遠い異国の世界であってもなくてもそれは変わらない。

実際僕は宇宙人ものなどの映画はものすごい好きだし、この映画も異星人が導入されていなければ30分ほどで見飽きてしまう。導入したのはグットだと思います。
返信する
V、Xファイルは大好きでしたが…。 (menfith)
2010-08-24 22:25:21
管理人のmenfithです。
「インセプション」のサントラ買いました。
もちろん、2回目も行きました。
電車の中でサントラを聴きながら寝ていたら、気づくと一駅寝過ごしました。
エクストラクション(抜き取り)されて、だれもキックしてくれなかったのかもしれません…。

>aidaさん
書き込みありがとうございます。
僕も宇宙人は大好きです。
興味もあります。

けれども、アメリカ人の宇宙人好きは極端だという気がします。
日本が幽霊を信じている(僕はあまり信じていないのでこういう書き方になるのかもしれませんが)のと同様でしょう。
僕が上で言いたかったことは、好きか嫌いか、興味があるかないかの問題ではなありません。
ある超常的な事態が起こったときに、何を持って説明するのか、あるいは何を持って説明するのが説得力を持つのか、というのは、その国の文化的背景に影響されるものです。
一昔前に「狐に化かされた」という言い方がごく一般的な人々に浸透していた場合、それを映画として取り上げても何ら違和感はありません。
同じように、アメリカではほとんど既成的事実として「宇宙人」がいるようです。
そこに「あなたたちよくやるよね」という感心にちかい印象を抱くわけです。
僕は。

おそらく、その後ろにはアメリカ軍のブラックボックス化とか、地球(アメリカ)の人間が対峙するべき〈他者〉をロシアやパレスチナに求めるのではなく、地球外に求めているとか、そういったものがあるのでしょう。
けれども、僕はそれはアメリカ特有の説明の仕方ではないかと思います。
例えば、想像してみると、友人が「幽霊を見た」というのと、「エイリアンを見た」というのと、どちらが周りに信用されるかといえば、わかりやすいかと思います。
実際アメリカ人がどこまで真剣に信じているのかはわかりませんが。

もちろん、この映画では宇宙人が登場しないとその後の展開を考えても話になりません。
宇宙人が出てきたからおもしろくなくなったとは思いませんが、僕にはリアリティがなかったと感じたのです。
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