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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

オッペンハイマー

2024-04-01 17:29:31 | 映画(あ)
評価点:88点/2023年/アメリカ/180分

監督:クリストファー・ノーラン

その発明は、圧倒的な破壊をもたらす爆弾。

1940年代初頭、世界はファシズムとの闘いが始まっていた。
オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、ユダヤ人を迫害するヒトラー率いるドイツに対抗するべく、新しい兵器の開発を任された。
しかし、そのプロジェクトは国家機密であり、いかなる情報漏洩が許されない。
そこで、アメリカの中央にあるロスアラモスに街を作り、そこに研究所を立ち上げるという壮大なものだった。

紆余曲折あり、原子爆弾の唯一の被害国である日本では、2024年3月という時期に公開になった。
もしかしたら日本では劇場公開できないかもしれない、と言われたほどの曰く付きの作品となってしまった。
政治的な話は抜きにしよう。
ここでその情勢を詳報しても、より詳しい人が説明してくれたほうが適切だろうから。

少なくとも、ようやく日本でも公開されることになり、しかもアカデミー賞の作品賞を始めとする多くの評価が下された後の公開となった。
クリストファー・ノーランという監督が、新しいチャレンジとして選んだ題材ということもあり、期待は膨らむばかりだが、IMAX鑑賞はやはり難しく、一般劇場の字幕版でみることにした。

180分という長い上映時間だが、むしろ短すぎるくらい話が詰め込まれている。
冗長な作品ではなく、描ききれなかった部分をカットして、削ぎ落とされた3時間と考えるべきで、話はかなり複雑である。
ゆえに、映画の鑑賞に慣れた人しかついていけないかもしれない。
時間軸も非常に交錯しており、細かい描写に目を向けなければならない。

それでも私は多くの人に観てほしいと思うし、歴史を知る教材としても素晴らしいと思える。
アメリカという国、国際社会が選択したこの現代というあり方を、根本から問う映画である。
心して観てほしい。
前評判とか、右翼とか、左翼とか、反戦とか、そういうのを抜きにして、自分の心と目で鑑賞すべきだ。

▼以下はネタバレあり▼

時間軸が非常に入り組んだまま物語が進む。
よって、状況を把握して順序立てて理解できるまでに二時間くらい費やすことになる。

1)イギリス、ドイツ、そしてアメリカに戻るというオッペンハイマーの前半。
2)そこで任されたマンハッタン計画から核兵器の実験まで。
3)さらに戦後、ルイス・ストローズに抜擢されてプリストン高等研究所の所長となり、アメリカの原子力研究の筆頭となっていく場面。
(しかし、この後、オッペンハイマーは核兵器に対する考え方を翻し、水素爆弾開発に対して否定的になっていく。)
4)その後、スパイ容疑で諮問を受ける非公認の調査委員会でのやりとり。
5)その後、公聴会でやりとり。

あまり上手く言語化できないが、以上の五つの場面が断片的に描かれて、ラストで一本のストーリーにつながるようにできている。

始めに書いておくべきことは、この映画は明確な反核兵器の考えを示している、ということだ。
最初のプロメテウスの火についての引用から始まり、ラストで彼が開発した爆弾が、この世界を破壊するという予言で終わる。
核兵器を開発すること、それはやむを得ない国際社会の情勢が背景にあったとは言え、彼の開発した兵器は、世界を、地球を、後戻りできない状況に破壊してしまった。
そのことを描いた作品であり、どのように歪曲して読み解いても、そのことは揺るぎないように思う。

それをオッペンハイマーという人の人生と目線で描いている。
もちろん、これが史実かどうかというのはどうでもいい。
史実として、事実として描かなければならないとすれば、それは教材であり、歴史であり、プロパガンダであり、イデオロギーであるということだ。
映画である以上、伝えたいメッセージがあるわけで、それと史実がどれくらい違うのかというのは、史実やその人物に詳しい研究者にでもさせておけばいい。
映画として何を描こうとしているのか、それが主題であり、映画を鑑賞するということだろう。

オッペンハイマーという人は、理論家で、机の上で、頭の中で考えていくタイプの研究者だった
(としてこの映画では描かれている)。
それが最も象徴的に分かるのが、前妻ジーン・タトロック(ローレンス・ピュー)とのやりとりだ。
ロバートを求めて、彼なしでは生きていけないことを承知で、彼はジーンを捨てる。
案の定、彼女は自殺してしまう。

妻のキティ(エミリー・ブラント)にそのことを告げ、泣きつくが、彼女は一蹴する。
「そんなことわかってて捨てたのでしょう?!」と。
そう、彼は、その予想が十分立つのに、それを少しも理解せずに物事を進めてしまうという性格だった。
核兵器開発についても同じである。

核兵器の開発は、地球で最も深刻な事態をもたらすということを彼は知りながら、それを知らないふりをして開発していく。
そして、核実験が行われ、それが実際に日本の中規模の都市に落とされると分かって初めて、「使うことの危険性」について言及する。

そして、その爆弾が落とされた(作戦が成功した)とき、彼は大きな衝撃を受ける。
自分が開発した武器が、一瞬にして何万人もの人間の命を奪ったということを。
奪われた者は、その意味も、その戦略的意図もなにも理解せずに、ただ奪われてしまったということを。

ロスアラモスの人々が彼を讃えるように拍手で迎えるが、彼にはそれが地獄の業火のように鳴り響く。
実際にどんなスピーチを残したかなんてどうでもいい。
彼は、この研究が成功したことしか、話をすることができないほど憔悴していた。

もちろん、彼はそんなことははじめからわかっていたのだ。
開発すれば、それが使われ、確実にこれまでにない規模の人間が死ぬことを。
使われないとか、死なないとか、そんな可能性は残されていないことを。

しかし、それは彼だけの問題ではないのだ。
国際社会がそれを要求し、ユダヤ人への悪意とその反発がオッペンハイマーに開発させた。
その後の冷戦で、世界が水爆を要求し、結果、核兵器を開発することが一国の安全を確保する最善の策になってしまった。
世界は、核兵器なしの世界ではいられることができず、破壊されてしまったのだ。

そんなことは誰もが予想できたのだ。
しかし、開発する、使う、保持する、拡張するということ以外に道を選ばなかった。
「誰かが開発する。ナチスが開発するよりアメリカが開発した方が良い」というのは詭弁だった。

物語の最後には、ストローズがすべての黒幕であり、彼が長い年月をかけてオッペンハイマーを陥れていくという筋書きになっている。
彼は政治家であり、オッペンハイマーを利用することで入閣すること目指した。
しかし、田舎の新議員であったケネディによって阻まれてしまう。

その政治家たちを選んだのは民衆であり、アメリカ国民である。
民衆たちは、科学者を利用する政治家たちを選択し、核兵器がなければ生きていけない世界に作り替えていった。

オッペンハイマーという人をモティーフにしながら、クリストファー・ノーランが描こうとしているのが、何かは分かるはずだ。
私たちは、アメリカという国に新兵器を落とされ、その影響で何十年も苦しむ国で生きている。
しかし、その私たちでさえ、その核兵器の傘の中で生きるという否定し得ない矛盾の中で平和を謳歌している。

こういう映画が、その国でもっとも権威ある映画賞を受賞する、その鋭さもまたアメリカだ。


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