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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

17歳の肖像

2010-05-16 12:28:00 | 映画(さ)
評価点:73点/2008年/イギリス

監督:ロネ・シェルフィグ

ジェニー・イン・ワンダーランド。

16歳の高校生ジェニー(キャリー・マリガン)は親に言われるがままオックスフォード大学への進学のために自分を磨く日々を送っていた。
親にはだめだと言われているフランス文学や音楽に情熱を燃やしていた。
そんなある日、ずぶ濡れでバスを待っていると、一人の男性が現れる。
中年だろうと思われる男性(ピーター・サースガード)は、ジェニーを家まで送り届ける。
その後家の前に花束が置かれていた。
ジェニーは刺激的なその男性に惹かれていく。

オスカー作品賞候補にあがった作品。
ざっくりとしかストーリーは知らなかったが、やはりオスカー候補は観られるなら観ておこうと考えて、映画館にいった。
主演女優のキャリー・マリガンが新人ながら注目を集めたことでも話題になった。
僕としては「アリス」の女優よりも数倍演技は巧いように思う。
出た映画の差もあるかもしれないが。

大きな展開があるわけではなく、それほど衝撃的な結末を迎えるわけでもない。
だが、安定した、丁寧な作品であるという印象を受けた。
見にいっても損はない映画である。
実話に基づく話らしいが、確かにリアリティはある。

▼以下はネタバレあり▼

アリス・イン・ワンダーランド」とほとんど同じテーマをもっていると感じた。
だが、もちろん、こちらの方が完成度は高く、また内容はしっかりしている。
何も知らない勤勉な少女が、ある日不思議の世界(=大人の世界)に迷い込み、そしてまた還ってくるという物語構造である。
もちろん、日常―非日常―日常という物語のパターンの中に収まる。

ジェニーは優等生を絵に描いたような女子高校生である。
だが、多くの優等生と同じように、クレバーであるが故によりおもしろいものを求めてしまう。
それが異国のフランス文化であるのだ。
それに対して、父親の判断基準はすべてオックスフォードへ進学できるかどうか。
彼女もその判断基準のもと育てられてきた。

そこに現れたのが、貴公子のような、白馬の王子様だった。
スマートだし、頭もよく、文化に精通している。
何より彼には生活感がない。
「グレイト・ギャツビー」みたいな男である。
少女は必然的に惹かれていく。
大人からみれば、戦略的に彼女を陥れていく姿がまたスリリングだ。
平気な顔をして両親を言いくるめてしまうデイヴィッドには、危険な香りも漂う。
その危険さが、退屈だった日常から逃げ出したジェニーにとっては、蜜の味に見えてしまう。

そして、その危険は本当に危険だったわけだ。
絵を盗み回り、時には脅迫じみた手法で安く絵を手に入れる。
それを転売することで生計を立てていた。
それがジェニーにばれる頃には、ジェニーはすでにデイヴィッドに恋していた。

グラハムという同年代のボーイフレンドもまた良い味を出している。
JUNO」でも書いたように、男の子は女の子よりも発育が遅い。
相手に気を回す、なんていうことはできない。
だからしょうもない辞書を17歳の誕生日に渡してしまう。
でも僕でもそうしたかもしれないというリアリティがある。
男はいつも馬鹿なのだ。

その対比としてデイヴィッドがいれば、もう彼にかなう人間はいない。
どんどん身も心も捧げてしまう彼女は、いよいよ抜き差しならない状況まで陥る。
結婚を申し込まれ、快諾し、高校をやめてしまう。
両親もまたこれに同意するところが、この家族の不幸さである。
結局両親は、何のヴィジョンも持っていなかった。
彼らは娘を教育しなかったのだ。
誰かの借り物の理想を追い続けることで、それが教育になると信じていた。
だが、そこには何の理想像も、社会人としてどうあるべきかという問いかけもなかった。
だから、あっさりデイヴィッドの計略に引っかかってしまう。
それは計略といってもいいほどの悪意に満ちた罠だった。

家族丸ごと、彼にとっては対等な存在ではなかったのだから。

気づいたときにはもう遅い。
デイヴィッドの実家に向かったとき、正妻が見せる表情と、二人のやりとりはあまりにも残酷だった。
そして、無駄がなかった。
あのシーンを観るだけでも、この映画は十分におもしろい。

彼女は自分の軽率さに気づき、そしてもう一度大学進学を成功させる。
だが、もう戻れない。
あのすばらしい大人のワンダーランドを体験したジェニーにとって、すべては茶番にすぎない。
人生の最も輝かしい瞬間を、17歳で体験してしまったのだ。
その価値観が元に戻ることはない。
ちょうど「アリス」が貴族との結婚を選択できなくなったのと同じだ。

彼女にとって、その出会いと別れはそれほど決定的なことなのである。

原題は「ある教育」だそうだ。
確かに、これは非常に教育的な物語だ。
教育するべき人間が、だれも〈教育〉できていない。
けれども、デイヴィッドとの時間が〈教育〉的だったとも思えない。
その矛盾の中で、彼女は一つ大人になったのだろう。
当たり前だ。
矛盾のない教育などこの世に存在しないのだから。

この映画で特筆すべきは、やはり主演のキャリー・マリガンだろう。
彼女の台詞回しがどうかはわからないが、少なくとも表情豊かだった。
小悪魔的な魅力をみせたり、あどけなく笑ったり、崩れ落ちて泣いたり。
オードリーかどうかは知らないが、今後が楽しみな役者である。


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