secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

求められる主体性と剥奪される主体性

2018-03-03 18:16:08 | 毎日コラム
主体的な人間でなければ、これからは生きていけない。
自ら発見し、解決する能力を身につけていることが、AIに負けない、人間らしい人間であることが最低条件のようだ。
そうでなければ、生きるための仕事に就くことができない。

だが、私たちは、ますますその人間性を剥奪されるように仕向けられているようにもおもう。
スマホで便利さを与えられ、ゲームであそばされている。
最も主体性が伴うはずの遊びが、誰かに企画されてその道を歩むかのような遊びがばかりが氾濫している。

自ら遊ぶ方法をあみ出せないから、都会にはスマホや携帯型ゲームに夢中になる子どもたちであふれている。
都会だから仕方ないのかもしれないが。

そんな中で、主体性を求められても、難しいような気がする。
しかし、主体性はこれからAIが溢れる世界で最も人間らしい要素になるに違いない。
ブレードランナー 2049」でも描かれていたのは、主体性を持つレプリカントだった。
人工物であるレプリカントと人間の線引きがどこにあるのか。

主体性を剥奪されて、私たちはレプリカントになるように仕向けられているような気さえする。
人間がレプリカントを開発する、それは、人間がAIを作り人間そっくりの人工物を作るのではなく、人間がレプリカントそっくりの人間に成り下がっていくことなのかもしれない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シェイプ・オブ・ウォーター | トップ | なぜ現代人は過労になるのか »

コメントを投稿

毎日コラム」カテゴリの最新記事