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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

インディー・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国

2008-07-27 21:39:01 | 映画(あ)
評価点:75点/2008年/アメリカ

監督:スティーヴン・スピルバーグ

当たり外れのない安定感抜群の続編。

1957年、ネバダ州に兵士たちが侵入した。
拘束され、連れてこられたジョーンズ博士(ハリソン・フォード)は、倉庫の中から以前発見した「死体」の発見を手伝うように、迫られる。
強い磁気を帯びていることを知っていたジョーンズは、火薬によって死体を発見する。
その隙に乗じて逃げだそうとしたジョーンズは、追っ手から逃げることに成功するも、その軍事施設では核実験をするためにカウントダウンに入っていた。
とっさの機転を利かせて、冷蔵庫に逃げ込んだジョーンズは何とか逃げ出すことに成功するが。

ようやく、なのか。それとも、いまさら、なのか。
最近は人気シリーズの復刻や続編が多くなってきた。
「ランボー」にしても「ターミネーター」にしても、この「インディー」にしても。
「ダイ・ハード」なんてのもあった。
それだけ現代という時代に逼迫したものを感じ、よき時代に帰りたいと願う人が多いのか、それとも単純に売れる映画を今更企画するのは大変なので、人気シリーズにもたれかかりたいのか、
はたまた、それまでの作品にも増して、すばらしい企画がたまたま連続したのか。
理由はともかく、長い時を隔てた分だけ、制作者にとっては不利な状況だろう。

どんなことでも去って行った人は美化されていくものだ。
同じように、昔の映画ほど、美化されてしまいやすい。
特に、その映画を観て育った人間にとっては、あれ以上の傑作はない、と心に秘めているものだ。
「ハリー・ポッター」最高! という中高生とある意味同じレベルなのかもしれない。

とはいえ、やはりこの映画は見に行かねばならない。
むしろ、この映画を見に行くことは、完成度うんぬんの次元の話ではない。
やはり映画好きとしては「義務」だし、結果はどうあれ、見届けるのが「恩返し」だろう。

賛否両論があるだろう。
結末が「インディー」らしくないのは確かだ。
だが、今まだ観に行っていない人は、観に行くべきだと思う。
それが一つの時代の終わりを告げるものなのか、それとも時代の継続を意味するのか、それは個人で判断すればいい。

▼以下はネタバレあり▼

どこまでも及第点を狙える監督はそうはいない。
傑作を作り続けるだけでなく、人々の期待を大きく裏切ることがない監督。
それがスピルバーグその人である。
本当に彼には一度会ってみたい。
誰か会わせてくれないかなぁ。

と、そんな無理難題を言っても仕方がない。
本題に入ろう。

見終わった感想は、「やはりインディーだった」ということと、「やはりスピルバーグだった」ということだ。

どこまでも王道。
どこまでもお約束。
どこまでもエンターテイメント。

見ていて安心感がある映画だ。
大きな驚きはない。
だが、それがいい。
これがハリウッド映画です。という宣言のような映画だし、映画の楽しさの王道を行く映画だ。

アメリカには歴史がない。
これは多くの国際文化論の学者が言うことだろう。
もちろん、それはヨーロッパに比してという意味においてだ。
この「インディー」もその文脈で読めば、歴史を探し続けるアメリカの〈冒険〉と読めるだろう。
だが、これについては過去の三部作を見直したときに語る方が、適切だ。
僕はもう何年も過去の作品を観ていないので、すっかり忘れてしまっている。
詳しい考察は、そのときまでとっておきたい。

もちろん、歴史、ということは個人の歴史へとすぐに変換される。
これはインディーと、父親のヘンリー・ジョーンズ(ショーン・コネリー)との関係、さらに今回はシャイア・ラブーフというもう一つのお宝との関係だ。
父親を乗り越えることが、男としての(?)共通の歴史的冒険であり、歴史的克服となる。
もう年齢を重ねてしまったハリソン君は、その物語、課題を次の世代にバトンを渡すのだ。
この映画は過去の三部作と一線を画している点は、ハリソン君のその物語場の役割だ。
乗り越える主体であったのが、乗り越えられる対象へと変化する。
これについてはまた後で詳しく語ろう。

だが、過去の三部作からの共通項である、〈歴史〉という記号はしっかりと受け継がれている。
だからテーマがそれほど大きくぶれないし、観ているものもの安心して観られるというものだ。

今作が駄作だという人がいれば、おそらくエイリアンという要素があまりにも唐突、というかインディーらしくないからだろう。
天下のスピルバーグだから、伏線は十分にはってあった。
登場するシーンには、不自然なくらい頭が異形の骸骨が登場する。
壁画にしても、未開(差別用語かもしれないが)民族の趣を超えて、やたらと頭の伸びた絵が出てくる。
「エリア51」という場所もさりげなく、しかし、しっかりと画面に登場する。

多くの人がいやな予感を持っただろう。
結末が「エイリアン」という予感は最後に的中してしまう。
それがあまりにも「ルーカス」的だという批判はきっと正しいし、インディーファンには当然の反応だろう。
この「4」から入った人は、逆に過去の三部作を見て戸惑う恐れがあるくらい、世界観が変容してしまっている。
だが、僕はそこまでのファンでもないので、許容の範囲内だった。
それにしても、アメリカ人は本当にエイリアンとかUFOとかが好きですね。
感心します。
「Xファイル」が再び映画化されることもあって、またUFOのブームがきているのかもしれない。

物語の軸は、エイリアンでもぶれていない。
お約束の連続はもはやスピルバーグのアイデンティティだろう。
ジープ上の戦いで、股間に葉っぱが当たるのは、期待通りだ。
そのほか、冒険を存分に楽しませようというスタンスは、年老いてよりいっそう顕著になっている。
いい映画、というようなくくりではなく、完成度の高い映画、というくくりでもなく、安心できる映画というくくりだ。
すくなくとも、奇をてらうことが当たり前になった昨今では、これほど「温泉につかっているような安心感」を得られる映画は貴重であることは間違いない。

及第点以上を望むファンの気持ちは十分に察するが、僕はこのレベルでむしろほっとしている。
老獪、という感じかもしれない。

今作の発見は、やはりクリスタル・スカルでも、エイリアンでもない。
シャイア・ラブーフである。
特に格好よい顔でも、たぐいまれなる肉体を持ち合わせているわけでもない。
だが、彼にはオーラがある。
それはかつてのハリソン・フォードを思い出させるし、マイケル・J・フォックスにも共通点がある。
ただのイケメンではない、長続きしそうなスターの登場だと予感させる。
さすがスピルバーグ。そのあたりも抜かりがない。
今後もいくつかの作品が公開されるようなので、そちらにも注目だ。

(2023/07/06)加筆・修正
新作のために、この批評を読み直したけれど、内容を全く思い出せない。
やっぱり駄作だったのかも……。

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