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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん(V)

2020-05-15 17:56:39 | 映画(か)
評価点:77点/2014年/日本/97分

監督:髙橋渉

野原ひろしは永遠に。

サラリーマン野原ひろし(声:藤原啓治)は、息子の野原しんのすけ(声:矢島晶子)とともに映画を見た後、しんのすけを持ち上げようとしてぎっくり腰になった。
日曜で病院は閉まり、途方に暮れていると、「メンズエステ・ダディ」という怪しげなエステに勧誘される。
タダだ、ということ、勧誘に来た女性がナイスバディだったこともあり、ひろしはそのまま店に入った。
目覚めると体調がすばらしく改善したが、なんとロボットになっていた。
怖がるみさえ(声:ならはしみき)に対して、しんのすけは大興奮。
しかし、これは大いなる陰謀の第一歩だった。

野原ひろしの声を長年務めてきた藤原啓治が亡くなった。
自分も父になり、また違った視点でクレヨンしんちゃんを見るようになった私にとって、大きな衝撃であり、深い悲しみだ。
子どもが120分程度の映画を見ることができる、とわかったので、二人で見ることにした。

シリーズには他にも良い作品はたくさんあるし、見ていない作品ばかりなのだが、やはり今日はこの作品だろう、そう思って再生ボタンを押した。
しんのすけと同じ年の子どもがどれくらいこの話についてこられたのかはわからない。
だが、親子で見たい、とくに父親が見たい作品の一つだろう。

▼以下はネタバレあり▼

正直、息子の前でも泣くつもりで再生ボタンを押した。
だが、泣くことはできなかった。
ちょっと期待が大きすぎたのかもしれない。

それはおいておくとして、日本でも代表する人気シリーズで、完成度は高い。
個人の物語を、社会的な視座をもって描く、ということに成功している映画は、日本映画でそれほど多くない。
ヨーロッパやアメリカ、そして韓国でも当たり前の、映画(物語)の社会性という課題をになっているのは、「クレヨンしんちゃん」なのかもしれない。

「ロボとーちゃん」のテーマはわかりやすい。
わかりやすすぎるほどだ。
とくに、日本の類型的なサラリーマンである人にとっては、いやというほど思い知らされるテーマだろう。
会社の歯車になって、家族のために働く男性。
「私」は、一体何者なのか。
必要とされているのか、不要なのか。
誰のために生き、誰のために会社に向かい、誰のために家に帰るのか。

そういう逡巡は、戦後すぐからみられ、未だにその答えを得ることができない人は多い。
その問いに対して、「ロボット」と「人間」というふたりの「ひろし」から描いている。

家族や会社のために、ばりばり働くことができる、機能が完璧のロボとーちゃん。
すぐに足が臭くなり、ぎっくり腰にもなる、だらしのない人間のとーちゃん。
どちらが理想的な「とーちゃん」なのだろうか。

おもしろいのは、二人のとーちゃんは、ともに「野原ひろし」という同じ人格、思いをもっているというところだ。
機能だけあるロボット、人格が備わった人間といった対立ではなく、ともに「とーちゃん」である。
二人の違いは、「できることが多い」か「できることに限りがある」かという違いだ。
だからこそ、しんのすけを初めとした家族は、ロボとーちゃんにも信頼を寄せていく。
見た目はロボであったとしても、このロボは「私たちの理想」として描かれる。

息子のために身体を張る、疲れない、酔わない、吸わない。
髭をつける(=権威の象徴)ことで、人格が支配されてしまうが、それまでは理想的な父親像なのだ。

真相が明かされて、ロボは単なる記憶の転写であり、「本物」ではないことがわかる。
そして、ロボは家族を守るために研究所ごと破壊されてしまう。
最後に完璧だったロボから、不完全な人間のひろしに、家族が託される。
「完璧でなくてもよい、不完全でも家族のために生きろ」という思いをひろしは受け取るのだ。

誰もがよりよい父親(母親)になりたいと思っている。
だが、なれない。
二人はその、理想と現実を体現したキャラクターとして設定されている。
多くの人は、現実から理想へという変化を望む。
理想に近づくことを、意識的に、無意識的に、目指す。
だが、託される思いは、理想から、現実へという流れだ。
理想が、現実を「許した」という言い方もできる。
それが、私たちへの答えであり、救いであり、映画のメッセージだ。

ひろしと対極にあるのは、黒幕警察署長の黒岩である。
彼は家族から顧みられることもなく、孤独な単身赴任で、世の中を変えることで、問題を解決しようとする。
彼は、妻や娘への怒りが、社会への怒りへと変貌していく、そういう動きをたどる。
これもまた、私たちに経験されやすい思考であり、志向だろう。

残念だったのは、彼のキャラクター造形が、前半でそれほどみられないことだ。
真相が明かされるにあたって、初めて彼の悲哀が描かれる。
黒岩にもっと感情移入することができれば、物語はより深いものに、そして泣ける構成になっただろう。

現状を変えるのは、社会を、ではなく、自分を、である。
これも、ベクトルを自分に向けよ、というメッセージではないだろうか。

ユーモアは、シリーズの安定感で、ばかばかしさも安心感がある。
テーマはまじめ、ノリは五歳児。
ちくビーム、ちちふれ同盟、五木ひろしロボ(声はコロッケ)、署長室の鏡の多さなど、あげればキリがない。
このアンバランスさが、絶妙のバランスとなり、映画の魅力となっている。

先にも書いたが、こういう「本気」のテーマをもつ日本映画は意外と少ない。
すべてが個に凝縮されてしまうような恋愛やドラマ、医療や教育など限定された場面の物語しかもはやヒットしないと思われている。
政治色を濃くさせるとか、そういうプロパガンダは好きじゃないが、社会的な視点を観客に与える映画を、もっと企画するべきだと思う。


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