secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

〈断片化〉する僕たちの認識 その②

2008-07-20 18:37:56 | 不定期コラム
もちろん先に書いた「コミュニケーション」のあり方も〈断片化〉している。
目の前の人間と全く違う所属の人間と同時的にやりとりする。
それは場所・時間ともに相手を剥奪してしまうことであり、〈断片化〉することである。

たとえば、それだけなら〈断片〉ということばは時代を表す記号とはいえない。
だが、テレビのクイズ番組などを見ていても、やはり〈断片化〉されていくと感じざるを得ない。
最近の、といってももう十年以上かもしれないが、クイズ番組はとてもくだらない。
くだらない常識的な情報を、知らないといって笑いあうのが定番になりつつある。
「これを知らないと恥をかく」という触れ込みで出題されるクイズは、実際には知らなくても恥をかくことはまずない。
なぜなら、知らなくて恥をかくのなら、知っていなければならず、それでも知らないということは、恥をかくことはないという逆説を示しているからだ。

けれども、そういう番組が減らないところをみると、視聴率は高いようだ。
僕は全くおもしろみを見いだせないのだが、人気なのだろう。

またまた、話がそれた。
その番組の出題の仕方があまりにも唐突なのだ。
「社会」の問題だと思ったら、いきなり「算数」の問題。
「算数」だと思ったら次は「音楽」。
漢字の問題も、今では意味もわからなくても済むような死語を出して、できないことを笑いあう。
ただ即時的に〈快〉を得るためのクイズ番組だから仕方がないといえばその通りだが、〈体系的〉とはほど遠い。
どれだけこれらの番組を見ても、「頭がよくなる」ことは絶対にあり得ない。
だが、それなのに視聴者たちは、自分が少し頭のよくなったような〈快〉を得るのだ。

マナーというのもその典型だ。
誰もが使うことのない「知らないマナー」を教える番組は、まさに〈断片的〉だ。
テーブルマナーなどは、テーブルに着く前までに、その人がマナーのある人かどうかはたいてい判断できる。
ナイフの取り方がおかしいからとか、納豆の練り方がマナー違反だから低くみられる、ということはまず現実では起こらない。
割箸の割り方が変だから、こいつは仕事ができないといわれたことはないだろう。
むしろ、それ以外のもっと常識的な食べ方や片付けの仕方などのほうが重要視されるはずだ。
それなのに、「これはマナー違反です」などと押しつけるテーブルマナーの指導者は、かえって滑稽でさえある。
人間の評価を総合的なものとしてみようというのではなく、本来正しいとされるマナーという〈断片化〉された情報のみで判断しようとしている顕著な例だ。

これらの流れはすべて〈断片化〉であり、僕たちが少し前まで信じてきた〈体系化〉〈システム化〉というのとは真逆の発想だ。
知的なものというのは、それだけで体系的であったり、「聡明」ということばが示すように、すべてを見通す知識であったりするものだった。
だが、僕たちが今必要としている知識は、その場その場の〈断片的〉な知識であるようなのだ。
これは、今まで僕たちが信じて疑わなかった知識のありようを根底から覆そうとしている。
それはまさに〈近代〉や〈脱近代〉=〈ポストモダン〉とは全く新しい流れのようだ。
しかも、それはただ僕たちを取り巻く情報がそのような流れになっているだけではなく、僕たちの認識じたいがそのような流れになっているのではないか、ということだ。
〈断片的〉な情報にさらされ続けることで、〈体系的〉な認識じたいができなくなってきている、そんな気がしてならない。

僕が、次に話題にしたいのは、このモダンであり、ポストモダンである。

前の記事
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 〈断片化〉する僕たちの認識... | トップ | インディー・ジョーンズ ク... »

コメントを投稿

不定期コラム」カテゴリの最新記事