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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ナショナル・トレジャー

2009-03-01 19:59:47 | 映画(な)
評価点:74点/2004年/アメリカ

監督:ジョン・タートルトーブ

テンポの良いアドベンチャー・スパイ・アクション!

ゲイツ家は、代々「テンプル騎士団」と呼ばれる国家の財宝を守る家系だった。
子どもの頃に聞かされたその話を忘れられずに、ベンジャミン・ゲイツ(ニコラス・ケイジ)は、大人になった今でも、財宝の手がかりを探し続けていた。
ついに、沈没船「シャーロット」を見つけたベンだったが、次の手がかりがワシントンにある「独立宣言書」だということがわかると、仲間だったイアン(ショーン・ビーン)に裏切られる。
「独立宣言書」を盗むことを躊躇っていたベンは、FBIに「宣言書」が盗まれることを警告するが、誰も取り合ってくれない。
そこで、イアンたちに盗まれる前に、守るために自分達が先に盗もうと決心する。

同じディズニー配給の大ヒット映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のスタッフが、再び集結して製作されたアドベンチャー映画だ。
インディー・ジョーンズ」、「ハムナプトラ」、「トゥーム・レイダー」などなど、数多く撮られ続けてきたこのジャンルの新しい主人公は、なんとニコラス・ケイジ。
アダプテーション」のころに比べると、微妙に髪の毛が増えた気がするが、彼は秘宝を追い続ける冒険家に扮して、「謎」を追求する。

さすがは大ヒットメーカーが製作しただけあり、非常に安定して楽しめるエンターテイメント映画になった。
稀にみる秀作といった雰囲気はないが、誰でも楽しめる、気軽に楽しめる、当たり外れの極めて少ない映画だ。
多少の功罪はあるものの、このように安定して楽しい作品を生み出せるハリウッドは、やはりすごいの一言に尽きる。
 
▼以下はネタバレあり▼

アドベンチャー映画の基本は、「エキゾチック」である。
と言っても過言ではない。
アメリカとははるかかけ離れた時間、空間で展開される、「ええ!! なにそれ、そんなもんあるの?」
「うわっ! 猿の脳みそのシャーベット? さすが未知の国!」という驚きが中心だ。

ルーカスの「インディー・ジョーンズ」などは、もろにそれが出ている。
西洋人は、中東やアジアなどに妙なイメージと憧れを持っている。
あそこに行けば、宝の山の一つや二つ、あるに違いない、と。
明らかに西洋人の幻想なのだが、(そもそもなぜそんなところでシャーベットがあるのか謎だし。)
この映画はその点で違う。

この映画が単なるアドベンチャー映画と一線を画するのは、日常にある謎を追求している点にある。
謎は、アメリカの日常的な場所や物に隠されているのだ。

「1ドル札」「独立宣言書」「ウォール街の協会」などなど、アメリカ人にとっては当たり前だと思っていたものに、実は重大な秘密が隠されていた……。
この映画が楽しめるか否かは、この日常の「トリビア」に驚嘆できるかどうかにかかっている。

その意味では、「トゥーム・レイダー」のような王道を行く“冒険”とは異なっている。
「独立宣言書」を盗む、ということから考えれば、寧ろ、「ミッション・インポッシブル」シリーズや、「ミニミニ大作戦」などのクライム・アクション、スパイ・アクションのテイストが強いと言えるかもしれない。

本作が楽しめなかった人の原因も、そこにあるだろう。
面白いと思えた人は、その「融合」が素直に受け取れた人だ。
楽しめなかった人は、それが「中途半端」と感じた人だろう。
僕は前者に入るが、日本人にとってそれほど馴染みの浅いモティーフであった点は、マイナスの要素になりうるだろう。

この映画のもう一つのウリは、何と言ってもそのテンポだ。
仲間のイアンに裏切られ、「独立宣言書」を先に盗むことになる。
「宣言書」を盗むのに成功しても、イアンは執拗に追ってくる。
謎を解きながら、イアンを排斥し、警察からも追われる。
この三者の行動をテンポよくみせ、また同時に謎を解き明かしていくという展開は、映像じたいの演出のテンポが良く、脇役がしっかりしていることもあって、観客をグイグイ引きこんでいく。

インディー・ジョーンズ」のような派手な仕掛け、アクションはないが、テンポを崩さない程度のユーモアや、ちょっとオバカな謎解きが、独特の面白さを生み出している。

だが、観ていて既視感に駆られたのは、おそらく僕だけではない。
「この展開、どこかであったような……」
そうなのだ。
この展開は、小説「ダ・ヴィンチ・コード」そっくりなのだ。
日常にかくされたウンチク、主人公たちを中心とする三すくみ状態、新たな歴史を知ろうとする目的、アドヴェンチャーのような展開……。
その魅力のほとんどが、小説の「ダ・ヴィンチ・コード」で体験したことなのだ。

映画を観ながらこう思った。
「あれも映画化すると、こんな感じになってしまうのかな~」

なぜそう感慨深く思ったか。
それは、この映画「ナショナル・トレジャー」と小説「ダ・ヴィンチ・コード」とは決定的な違いがあったからだ。
それは、この映画には、あまりに知的要素が欠けているということだ。
「ダ・ヴィンチ・コード」も壮大な物語になっているため、多少うそ臭さ、胡散臭さが目立っていた。
しかし、それをおぎなって余りあるほどのトリビアが満載であり、知的好奇心が駆り立てられるしくみになっている。

しかし、この「ナショナル・トレジャー」にはその知的さがない。
一番象徴的なのが、100ドル札を手がかりにした「独立記念館」の時計台。
ゲイツは、100ドル札の時計台がさしている時刻に、実際の時計台に登り、その影が指す方向に次の手がかりがあることを知る。
その時刻が既に過ぎていることに気づき、慌てるが、サマータイムで一時間ずれている事を知り、間一髪間に合う、というシーンだ。

だが、これはむちゃくちゃ極まりない。
まず、季節。
いくら四季のないアメリカといっても、季節によって太陽の出ている時間は違う。
太陽の角度が違えば、とうぜん同じ時刻でも影の指す方向は違ってくる。
それなのに、劇中ではそれは問題にされない。
このあたりの詰めの甘さが、どんどん、彼らの冒険から説得力を奪っていく。

そもそも、ルーブル美術館のダ・ヴィンチと、アメリカの独立宣言書では持っている歴史が余りに違う。
アメリカには、歴史なんてものは存在しない。
それでも「謎がある」と騒いで歴史を求めようとする姿には、アメリカ人の根本的なコンプレックスが見え隠れして、憐れささえ滲んでいる。

ラストでお約束どおり金銀財宝を見つけ出す。
そこには、いつの時代の、どこのものか判らないが、美術品の数々が並べられている。
それは、アメリカの歴史のなさを払拭したいがための「歴史的遺産」であった。
僕は、こんなありきたりなシーンを最後にもってくるくらいなら、もっと「冒険」ができなかったものかと惜しく思う。
例えば、その財宝の中に、「ミッキーマウス」の人形があるとか。
「アメリカの歴史はディズニーとともに」というくらいの“気概”が欲しかった。
もしくは、超ヴィンテージもののジーンズとか。
それで映画の雰囲気が壊れても、いいではないか。
なによりもミッキーやジーンズが歴史的遺産なのだという、新たな歴史的「解釈」を見せて欲しかった。
それなら爆笑できたのにな~。
もったいない。

それにしても、この財宝が、ルーブルに行くとは恐れ入った。
帝国主義時代にあれだけ各地を荒らしまわって奪ってきた財宝が飾ってある「ルーブル美術館」に、アメリカで発見された遺産までもっていかれるとは。

歴史のないアメリカで無理やり見出した歴史。
それをまた欧米のルーブルに持って行こうとは。
アメリカ、もとい欧米人の「欧米は世界の中心だ」的思想が、もっとも色濃く表われたシーンではないか。
(並列された「カイロ美術館」なんて、その“いい訳”にしか聞えない!)
このあたりがディズニーの「教育」なのである。

細かいところをみれば、荒はある。
しかし、こんなおバカなハリウッド映画があっても、いいんではないか。

(2005/4/5執筆)

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