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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

VRの可能性と提言

2018-10-29 20:25:38 | 不定期コラム
細かい経緯は抜きにして、VRを体験してきた。
大阪のHEP FIVEにある、施設だ。
HEP FIVEじたいに入館するのが数年ぶりで、人の多さに辟易したが、VRの施設にはそれほど多くの人はいなかった。
日曜だったので、企業側の本音を言えば、もっと来て欲しいのだろうが。

一日券で体験したので、4本遊んだ。
約90分ほどで4本体験できた。
その後の時間の都合もあり、やりたいものをやるというより、比較的空いているところに入った。
もちろん私は初めての体験だった。

周りの客の反応を見ても、殆どの人が初めて体験するような様子だった。
私はもっとこじんまりした印象をもっていたが、施設は大がかりで、家庭用に発売されている装置よりももっと身体的な体験を重視しているように感じられた。

エヴァの例で説明しようか。
エントリープラグに乗せられて使徒を殲滅するわけだが、プラグ内にLSLが満たされる様子や、出撃する重力や動きなどが再現されている。
隣を見るとしっかりと味方がいることが分かるし、下を見ると、吸い込まれそうなくらい高い位置にいることが意識できる。
座っているので身体の安定感はあり、怖さよりも高揚感が強い。
動きに合わせて風が来る仕組みで、座席の動きとともに、体感できる。
これはさすがに家庭用のVRでは再現できないだろう。

私は友人に招待されたので、値段との比較はできない。
ただ思っていた以上におもしろかったし、周りに勧めたくなる完成度だったと思っている。

今後このような施設や楽しみは、一つの流れになっていくことは間違いないだろう。
安全に、しかもある程度手軽に、身体を使ったエンターテイメントは必要になるだろうし、需要があるだろう。
一方で、「完成された面白さ」を体験したとは思っていない。
ニンテンドーDSが出た頃、こんな楽しみ方があったのか、という「完成度の高い」遊び道具であると誰もが思った。
そういう新しさ、そういう工夫はまだ余地がある気がする。

一つは、装置が大がかりでありながら、殺風景であるということだ。
装置が思った以上に大がかりなのに、ブースに別れているだけで一つ一つの体験が他と差別化ができてない。
そのことで、やっている人間は楽しいが、やっていない人がその姿をみると、滑稽に見える。
やっている人間も、やっていない人間もあるていど共有できる「見た目」にすることが、抵抗感をなくしたり、あえてその場所に行って行う意義につながるだろう。

もう一つは、長時間できないということ。
座ってやるタイプはそうでもないが、立ってやるタイプや自由に動き回れるものは三半規管を麻痺させる。
自転車に乗って天空城をめざすものは、酔ってしまった。
4分程度だが、4分以上は難しいと感じた。
酔うほどリアルということだが、逆にやりすぎるとしんどくなる。

だから、休憩が必要だ。
それは他のエンターテイメント、たとえばボウリングやカラオケ、ゲームセンターなどとは根本的に違う。
疲れ方が心地良いものではないので、やはり休憩が欲しい。
そうなると、ただ遊ぶブースがある場所ではなく、遊ぶ以外のスペースが必要だろう。
ゲームセンターの延長上というよりは、テーマパークのようなスタイルに近い。
HEP FIVEの施設はその意味で物足りない。

最後に、体験することでしか理解できないところが多い、ということだ。
だから、一度やってみるしかこの感覚はわからない。
USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の3D体験などとは全く違う。
やってみる機会を増やさなければ、浸透しないだろう。

そのためには人を呼び込む方法を考えないといけない。
やっている人を見て「恥ずかしそう」と思わせないレイアウト、金額の徴収方法を含めた料金設定、待ち時間と終わった後の時間の使い方を提案する、用意する説明する時間が長すぎるのをどう解決するか(人員がそこに割かれて近未来的なスマートさがない=人件費も嵩むのでさらに料金が高くなる)などなど。
もっと洗練された施設にしていかなければ、浸透しないだろう。
近未来に来た、という興奮をいかに終わった後も感じられるか。

新しい体験が私たちに何をもたらせてくれるのか。
楽しみではある。
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