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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

夏の憂鬱【小学生の思い出】

2021-07-24 10:04:53 | 毎日コラム
私は小学校の頃、夏休みが憂鬱だった。
その原因は夏休みに出される宿題だ。

非常に勉強熱心だった私は、当然のごとく宿題をこなすということが苦手だったし、意志の強い私は毎日こつこつ机に向かうという計画的なビジョンも描くことができなかった。
いや、厳密に言えば、今も描くことなんてできない。
小学校の授業について行けなかった記憶はない。
ただただひたすらに宿題がいやだったのだ。

子どもが小学生になり、一生懸命宿題をこなしている。
ちょっとめんどうくさそうではあるが。
その子どもの姿を見ていて、自分の幼年時代を思い出さないわけにはいかない。
なぜ授業はそれほど嫌ではないのに、宿題となるとこんなに嫌になるのか。

私はここに自分の性格以上に勉強なるものがどういうものかという本質を見出した(ような気がする)。
授業は一人で受けるのではない。
だから、誰かよりも良い成績を取りたいとか、褒められて嬉しいということが直接的に感じられる。
しかし、宿題は孤独である。
その結果(あるいは報酬)を得るまでに時間がかかる。
だから、どうしても続けることが難しい。

それは仕事も同じかもしれない。
やってもいいし、やらなくてもいい。
いつまでにやるかは特に設定されていない。
そういうようなものは取り組むのが難しい。
だから、どうしても手を抜いたり後回しになったりする。

勉強は自分だけのためにやるのはひどく困難である、ということだ。
ゆくゆくは自分の夢のため、という長い視野をもつことも重要なのかもしれない。
だが、当面、小学生にとっては誰かに見られている、誰かに認められる、という対話や関係性の中で勉強を捉えている。
その対話が失われてしまう夏休みは、どうにも取り組みにくくなる。

昨年の小学1年生が特に、コロナの影響を受けたという話を職場でも耳にする。
だれかと一緒に勉強する、というスタイルはもしかしたら人間の本質なのかもしれない。

あ、だから友だちのいなかった私が勉強ができなかったのは必然だったわけだ……。

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