secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

トイ・ストーリー2(V)

2010-07-17 22:40:38 | 映画(た)
評価点:48点/1999年/アメリカ

監督:ジョン・ラセター

失われた傑作の魅力。

ウッディは依然としてアンディのお気に入りだった。
激しく遊んだためウッディの右腕がもげてしまう。
一緒にキャンプに行く予定だったが、アンディはウッディを持って行くのをあきらめ、置き去りにされる。
その間にバザーに出されそうになった友達のオモチャを救うため、飛び出したウッディだったが、1人の男に盗まれてしまう。
バズはウッディを助け出すために街へ出かける。
連れて行かれた先で、ウッディは有名なアニメーションのプレミア人形だったことを知らされる。

人気CGアニメの第2段。
ピクサーを一躍ヒットメーカーにした作品の続編ということもあり、公開当時は話題をさらった。
僕は結局いままで見ることがなかったので、今回「3」の公開に合わせてレンタルした。

こちらも「今更何を」という感じではあるが、ファンから酷評された理由を探ってみよう。

▼以下はネタバレあり▼

一作目は冒頭から目が離せないほどおもしろかったのに対し、この二作目はいつまで経ってもおもしろくない。
おなじみのキャラクターは登場するものの、一作目にあった興奮は得られないだろう。
それは何故なのか。
制作者たちが、原点を忘れてしまったからに他ならない。

確かに構成やキャラクターは一作目と殆ど同じだ。
例えば、物語構成はウッディとバズは、日常であるアンディの家から、非日常の街のオモチャ量販店へいき、そして帰ってくるというセオリー通りである。
その構成は、前作と全く同じで、かつよくあるパターンを踏襲しているので、安定感がある。
離れることで、アンディとの関係の大切さに気づき、そして帰ってくる。
いわゆるウッディ、バズの迷子体験である。

また記号性も同じようなものが多い。
一つは、凶悪なオモチャ売人アル(声:ウェイン・ナイト)がプレミア人形であるウッディを売りさばこうと画策する。
オモチャは遊び道具で子どもの成長を見守るべきだという本来のあり方を「善」とする物語世界から言えば、完全に悪である。
また、オモチャを金銭的な価値として扱うアルは、オモチャの売人というよりは、むしろ人身売買としての記号を担っている。
博物館に飾るという考え方も、同様だ。
遊ぶことというかけがえのない「宝」としてのウッディを、もはや手に入れることが出来ない貴重な品「宝石」としてのウッディという対立は、そのまま大人の世界を感じさせる。
子どものオモチャであるはずのウッディを善としているため、やはり勧善懲悪の物語構造は変わりない。

また、大勢の仲間たちが1人の巨大な悪に立ち向かうというのも、いたずらっ子のジルを懲らしめたのと同様だ。

このように、この映画はガチガチの王道であった前作を追随するかのような映画だ。
だが、前作と同じ印象は受けなかったはずだ。
むしろ、なぜかおもしろくない、なぜかわくわくしない。
不思議なくらい、どきどき感や見ているときの好奇心はない。
新キャラクターも出てきているし、バズのライバルまで出てきているのに。

なぜだろうか。
それは前作では核だったものを、最も大切なテーゼを失ってしまっているからだ。
どこまでも「オモチャ目線」というテーゼだ。

前作はミニマムである世界をオモチャ目線を徹底することで、とてつもない広がりを感じた
だから、ジルは恐怖の大王のような怖さを感じたし、ただピザ屋に出かけるだけでもどきどきだった。
本作は、最初から人間目線で話が進む。
端的なのは、子犬を召使いのように扱うウッディだ。
ウッディはもはやオモチャとしてのリアリティを完全に失ってしまう。
オモチャと犬が戯れている、という設定は観客は誰も望んでいない。
不自然きわまりないからだ。

また、プレミアがついている、日本の博物館に売られる、高く買い取ってももらえる、という設定はあまりにも大人の世界を感じさせすぎる。
それをオモチャが正確に理解しているという点にも不自然さを感じてしまう。
オモチャ目線であったはずのリアリティが壊され、人間目線で「フィクション」を描き出した。
そのことによって、もしかしたら僕のオモチャもそんなことをしているのかも! という例の期待や興奮が消えてしまった。
だから全くおもしろくない。

バズがやたらと活動的だと言うことも、不自然さを生む。
20ブロック以上離れた場所へオモチャが大移動しているというのは、あまりにも非現実的だ。
彼らの動きで交通事故が起こってしまうと言うのも、アメリカの古いコメディのノリだ。
ピクサー映画が、ディズニー映画になってしまった瞬間ともいえる。

同様に、無駄に用意周到な手堅い記号性も気になる。
オモチャの量販店で街を捜索するようなシークエンスも、その中にずらりと並んだバズ・ライトイヤーも、ライバルのザーグ(声:アンドリュー・スタントン)が実は父親だったという「スター・ウォーズ」のオマージュも、全てうんざりだ。
昔遊んでもらった記憶を絞り出すジェシーの回想など、DVDの停止ボタンに手が伸びそうになった。
ガチガチにセオリーを狙った結果、結局陳腐な物語に成り下がった。
一言で言えば、センスが古くさい。
何十年も前のディズニー映画を観ているようなそんなチープさ、安易さだ。

全ては原点であったオモチャ目線というテーゼが失われた事による。
ウッディなら、バズならどうするか、ではなく、用意された物語をどう見せるか、どうすれば「売れるか」という観点を優先してしまった結果だろう。
そう考えるなら、アンディの不在という形にはならなかっただろう。
アンディと遊ぶことが全てだといいながら、そのアンディが劇中殆ど出てこない。
前作をみな、見ていることが予想されても、そこはきちんと見せるべきだった。

普通の凡作アニメ。
それ以上にこの映画を評価できる点はない。

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