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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

アイアンマン2

2010-06-20 08:55:50 | 映画(あ)
評価点:52点/2010年/アメリカ

監督:ジョン・ファヴロー

前作と次回作とのつなぎ、という印象がぬぐえない。

大富豪で、アイアンマンであることを公表したトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)は、兵器であると国防総省から喚問を受けていた。
一方、アイアンマンのコアであるリアクターを共同開発したヴァンコの息子イワン(ミッキー・ローク)は、一人英雄気取りのトニーへの怨念を募らせていた。
スタックエキスポで大忙しのトニーの前に、スーツを完成させたイワンは、力差が極わずかであることを公衆の前で見せつける。
スーツを着たトニーが、ウィップラッシュを打ち伏せたが、イワンが開発したスーツに興味を持った者がいた。

ロバート・ダウニー・Jrに、サミュエル・L・ジャクソン、スカーレット・ヨハンソン、グウィネス・パルトロウ、そしてミッキー・ローク。
これだけのキャスティングで、あの「アイアンマン」の続編を完成させた。
それだけで拍手ものだ。
僕の目当ては、ただただスカーレット・ヨハンソンだけだが、前作があれだけ楽しめたこともある。
いやでも期待は強くなるというものだ。

見た後に知ったことだが、来年か再来年に次回作の公開が決定している。
「アベンジャーズ」というマーヴルコミックのヒーローが数多く登場するというオールスターのような映画になる予定らしい。
今回はその伏線として登場するキャラクターがいる。
そのため、物語としては「つなぎ」の印象が強くなっている。
もちろん、単体の映画としての魅力がないわけではないが、予備知識として知っておいたほうが、戸惑いは少ないだろう。
おそらく、観客はそういったことを知っているとみこして、この映画は撮られている。

まあ、何事も期待しすぎていいことはない。
所詮アメコミ。
気楽に見ましょう。

▼以下はネタバレあり▼

前作は非常におもしろかった。
その期待があったことは認める。
スカーレット・ヨハンソンが相変わらずかわいすぎる。
その期待があったことは認める。
だが、これじゃあ、「ウルヴァリン」と変わらないじゃないか!
と多少の憤りを感じてしまうほどのできだったことは、否めない。

結局、この映画の完成度を落としているのは、トニー自身の描き方が甘いことが原因だろう。
前作でトニーがアイアンマンであることを名乗ったことで、世間の注目を浴びることになった。
そのせいもあってか、本業をおろそかにするようになって、後継者として秘書のポッツを指名する。
問題はなぜそんなに忙しくなったのか、ということだ。
確かにアイアンマンが世界の平和のために活躍していたのだろうが、実際に悪を打ちのめすシーンがない。
スパイダーマン2」のように、ニューヨークの治安維持のために活躍するシーンがあれば、なんとか理解できたが、豪遊しているようにしか見えない彼が会社を傾けてまでなにをしているのか見えない。
そもそも、あの会社は死の商人として大きくなったのだが、前作でその商売を放棄すると言い出した。
そうなると、スターク・インダストリーズは、なにをメインの商品としてやっているのか、わからない。
ポッツの様子だとやたらと忙しいと言うことはわかるが、次の一手が見えないため、トニー自身の考え方も不明確だ。

表の顔だけではない。
今回はアイアンマンに変身することによるリスクを描こうとしている。
パラジウムを探し、より安全なリアクターを開発することを物語の軸、課題に設定している。
体中に毒素が回ってしまうという課題だ。
だが、それもまた不明確だ。
リアクターにどのような問題があるのか、毒素とはいったい何なのか、どういうリスクなのか。
そういった技術的な説明が、科学者・技術者であるトニーから明かされない。
だから、リアクターの新しい元素を発見したところで、そのカタルシスは小さい。
しかも、そのヒントが父親が作ったエキスポの地図だった、というのも都合が良すぎて違和感が残る。
その残してくれたヒントから元素を見つけ出すという手順も、かなり強引な展開だ。

ヒーローが悩まない、ヒーローが絶対的な力をもっている、という脳天気な設定は嫌いではない。
ヒーロー映画でも、主人公が悩めばいいという最近の流れは、どこかしら病んでいる。
だからといって、課題を乗り越えるという展開に得られるカタルシスを犠牲にしてしまっては意味がない。

彼が曖昧だから、当然敵も曖昧だ。
ミッキー・ロークは絶大な存在感を示しているが、あの容貌でセキュリティをいとも簡単に解除してしまうと、もはや笑うしかない。
なんかすごくできそうな男だが、結局オーラだけ、という張りぼての印象だ。
それが彼の魅力なのだが、中身がない。
よって、勝っても嬉しくないし、気持ちよくない。
しかも、敵もおなじリアクターによる変身では代わり映えしない。

また、途中で敵対することになるローディも、同じリアクターによる変身。
しかもこちらは過去の作品をただぱくっただけ、という全く迫力のないものだ。
その姿は、ジムがジムカスタムになったかのようなインパクトの薄さ。
もう少しひねったことができたのではないか。
結局アイアンマンが世界の中心であることは、揺るぎなく、世界観が狭い。

その他のキャラクターも同様だ。
どうしても、物語に登場させるべきキャラクターが多かったことで、無理が生じている。
特にサミュエルの役どころが、唐突すぎて、だれもが戸惑ったはずだ。
スカーレット・ヨハンソンの真の姿が明かされるのも、伏線がないこともないが、唐突すぎる。
美しいから許せるのだが、それを差し引いても、強引さをぬぐえない。

そして残念なのは、見せ場となる場面が少ないこと。
スカーレット・ヨハンソンの侵入がもっともおもしろいシークエンスとなっているのは、皮肉だろうか。
監督自身が格闘するということもあってか、あのシークエンスは力が入っている。
それに比べて木偶人形との戦いはインパクトに欠ける。

次作は「アイアンマン3」なのか、「アベンジャーズ」なのか。
まあ、観に行かざるを得ないのだろうけれども。

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