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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

トマト味の孤独

2010-06-22 22:56:50 | 日記
居酒屋に行くと、真っ先にトマトサラダを頼む。
スピードメニューであることもさることながら、飲みに行くときの定番メニューである。
とりあえずビール、と同じくらい当たり前の光景。
出されたトマトを見て味わいながら、いつもではないが、僕は密かに昔を思い出す。

僕とトマトとの思い出は幼稚園までさかのぼる。
思えば、僕はその幼稚園で人生のほとんどの苦行を体験したのかもしれない。
姉と同じ私立の幼稚園へ、親の計らいで入園した幼稚園では、僕は集団生活というもののつらさを日々味わっていたように思う。
行事があるたびに、自分の能力のなさを他人と比べられ、宿題はろくに出さずに、それでいて社交的でもない。
このときの体験がなければ、僕は小学校でまともに授業を受けるどころか、不登校にさえなっていたかもしれない。
ほどよい挫折を味わうことで、僕はともかく不登校にならずに小学校を卒業することができた、のかもしれない。

だが、中でも僕が鮮烈に覚えているのは、教室で残され泣きながら食べさせられたトマトのサンドウィッチだ。
食事の後、掃除が始まる。
だが、給食に出たそのトマトが入ったサンドウィッチを食べることができない。
給食は残してはいけない。
食べたことにしてズルすることもできたのかもしれないが、僕にはそんな度胸もない。
くそまじめに、食べたくもないトマトを、僕は毎回のように泣きながら食べていた。
トマトは無駄な果汁が僕の口の中で広がって、苦さだけを伝えてくる。
周りには誰もいない。
この悪魔の果実を食べるしか、僕には選択肢はない。
その苦しみから逃れることもできないし、その苦しみを母親に押しつけることもできない。

その時の味は、まさに孤独の味だった。
僕が経験した、どうしようもない壁、逃げれられない「僕」という〈個人〉に迫ってくる課題。
僕はトマトの味を、孤独の味として原風景に刻み込んだ。

居酒屋で出されたトマトは、ほどよく甘く、ほどよく冷えて、やはり苦かった。
交わされる会話は、相手に同意を求めながらも、今置かれた自分の人生からは逃げられない、代わってもらえないものばかりだ。
時には愚痴かもしれない。
あるいは、自慢かもしれない。
その傍らにあるのは、自分の人生からは逃げられないのだという決意を示すトマトサラダだ。

飲みともだちに言われる。
「ほんまトマト好きですねぇ」

それは孤独を知り、人生の孤独を受け入れることができるようになったということなのかもしれない。
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