secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ボーン・アルティメイタム

2010-01-14 22:25:42 | 映画(は)
評価点:74点/2007年/アメリカ

監督:ポール・グリーングラス

そんなやつおらんやろ~。

前作で、自分の記憶を探し出せなかったボーンは、CIAに追われながらも、自分探しの旅をしていた。
言葉の検索システム、エシュロンを駆使して「黒バラ作戦」を調べている新聞記者を割り出した当局は、この新聞記者を拘束しようと包囲し始める。
同じ頃、自分の記事を書いていたことを知ったボーンは、この新聞記者に近づこうとする。
情報ソースを握る彼を当局から守ろうとするが……。

人気シリーズ第三弾。
そして、シリーズ完結編となる本作が「ボーン・アルティメイタム」である。
スプレマシー」やら「アルティメイタム」やらで、イマイチ意味もよくつかめない。
それ以上につかめないのが、「なぜこの映画がアメリカでそんなに人気なのか」ということであることは間違いない。

今まではずっとレンタルですましていたのだが、今回は映画館まで足を運ぶことになってしまった。
シリーズ最高峰だとする話もちらほら。
期待は一向に高まらない中観たのだが、そこそこおもしろかった。
少なくとも「シリーズ最高傑作」であることは正しい。
なのに、なんでこんなに点数が低いかって?
それはシリーズ自体の完成度が低いからではないか?
 
▼以下はネタバレあり▼

この映画が最も優れているのは、自分探しの闘いというテーマがそっくりそのまま、主人公のマット・デイモンの様相にあてはまることだろう。
しかも、それがどこか中途半端きわまりないところに、また哀愁と魅力がある。

公開キャンペーンの記者会見で「僕はまだこのジェイソン・ボーンというキャラクターを終わらせるつもりはないよ」と思わせぶりな台詞をのたまっていた。
これはそっくりそのまま、「僕はまだアクションスターとしての地位を確立できたわけではないんだ」という告白に置き換えることができそうだ。
やっぱりハリウッドで生き残るのは難しい……。
ニコラス・ケイジくらい、思い切りがないとね。

映画のコンセプトはかわらない。
ここまでシリーズをしっかり踏襲する映画も珍しい。
よって、「」「」に魅力を感じられなかった人は、きっとこの映画にも魅力は感じにくい。
陳腐な話、無理矢理なアクションシーン、サスペンスとして死んでしまっている結構。
などなど、正統進化している。
ただ、これまでよりも、もう少しアクションがわかりやすく、もう少しドラマとしてハラハラがある、程度だ。

今回、スパイ映画にしてはやたらとアクションシーンが多かった理由は、サスペンスとしてほとんど放棄しているかのように、敵が明確であったからだ。
むしろ、いい敵が見つからなかったから、無理矢理ボーンの復讐相手を作り上げたかのような強引さがある。
たとえば、裏切ったとみられる女エージェントを殺せと指示するシーン。
ヴォーゼン(デヴィッド・ストラザーン)を敵と仕立て上げるために「そんなことはやりすぎよ!」とパメラに言わせる。
これは誘導尋問のような展開で、敵を絞り込ませるためのレトリックだ。

CIAという組織の特殊性から、どうしても内部に敵を作り出さざるを得なかったのだろう。
前半からいきなりヴォーゼンが犯人であるかのように話がすすむため、記憶がもどろうと戻るまいと、ほとんど影響がない。
裏切りや組織の腐敗をテーマにしておきながら、サスペンスとしての起伏がほとんどない。
安定したレールの上を進むがごとき見え見えの展開である。
そのため、逆にアクションをたっぷり入れることができたのだ。

その見え見えの真相も、陳腐きわまりない。
一昔前の映画を見ているようなありきたりな真相だ。

ドラマ部分が弱すぎるため、事件解決のカタルシスは非常に低い。
誰が犯人か、どういうことがされたのか、という真相はほとんどおもしさを生み出さない。
案の定、次回作につながるような終幕で、すべてが「期待通り」に進みすぎる。
シリアスで、悲しみが漂う世界観が魅力的だったのに、なんだか、007化、ヒーロー化してしまっている。
「記憶」をモチーフにした映画で、ここまでシリーズ化してしまったことが、裏目に出たのかもしれない。
おかげで感情移入しやすかったのが、せめてもの救いか。

アクションは文句なしにグレードが上がっている。
スタンスを維持しながら、課題であった「わかりづらさ」が解消された。
相変わらず速すぎるのが、魅力であり汚点なのだが、若干の編集の工夫により、事態が全然理解できないほどではなくなった。
その若干の違いによって、飛躍的におもしろくなった。
カーチェイスも、「そんな奴おらんやろ」と思いつつも、わくわくできる。

またアクションにとともにジェイソン・ボーンの知的戦術もおもしろい。
ケータイ電話をこっそりわたし、そこからカメラや追っ手の目線を気にしながら
逃がそうとするシークエンスは、スパイ映画としてのおもしろさを存分に発揮している。
ボーンを追っている人間をもっとスマートに撮っておけばさらによかっただろう。
いかんせん追っ手の長であるヴォーゼンがあまりにも間抜けなので、ボーンのかっこよさを目立たせるためだけに終始している。
それをアメリカ人は求めているのだろうから仕方がないが。

もしくはスナイパーのエージェントにもっと迫ればよかっただろう。
内面を描いたり、ドラマを作っておけば、人間性を捨てなかったボーンと、組織に飲み込まれてしまったエージェントとの対比がより濃く描けたはずなのに、もったいない。
すくなくともパリにいた彼がなぜアメリカにいたのかという説明は、ワンシーンでも入れておくべきだった。
「身を隠すためにアメリカへ送れ」とか。

まあ、とにかく次回作も決定しそうな勢いだし、ボーンは、まだ死なないだろう。
次回作は「ボーン・ジャスティス」くらいでどうでしょう。
007と同工異曲にならないことだけを祈ります。

(2007/12/24執筆)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 摩天楼はバラ色に(V) | トップ | ディスタービア »

コメントを投稿

映画(は)」カテゴリの最新記事