secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ボーン・スプレマシー(V)

2009-05-02 21:19:34 | 映画(は)
評価点:64点/2004年/アメリカ

監督:ポール・グリーングラス

マット・デイモンの「自分探し」映画。

インドで身を隠していた元CIA特殊工作員のジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は、突然何者かから追われてしまう。
追われる中で恋人が殺されてしまったボーンは、その理由を知るため、モロッコを経由してイタリアへ向かう。
同じ時期、CIAはある事件の情報屋が工作員共々殺されてしまう。
その手がかりとなったのは、仕掛けられた爆弾に残されていた指紋だった。
その指紋は「ドレッドストーン計画」と呼ばれるメンバーの一人、ジェイソン・ボーンその人だったのである。
イタリアでボーンを確保したCIAだったが……。

マット・デイモン主演の人気シリーズの第二作。
僕はもう作らない方がいいとおもっていたのだが、アメリカではこのシリーズがバカ売れ。興行収入も非常に良かったようだ。
これまでのヒーロー像とは少し違う、しかし、どこか懐かしいスパイアクションを見せてくれるデイモンに、アメリカ人は狂ったようだ。

上映時間が短い、という理由だけでレンタルしてみた。
いい意味でも悪い意味でも、前作を受け継いだ正真正銘の「2」である。
そこそこ楽しめるとは思うので、気軽にみるのがいいだろう。
間違っても、本格的な出来のいいスパイ映画を期待してはいけない。

あくまでも「お気軽スパイエンターテイメント」作品だ。
たとえるなら安全なヨーロッパ旅行といったところか。
ヨーロッパの美しい景色と、めまぐるしいカーチェイスが売りの映画なのだ。
 
▼以下はネタバレあり▼

タイトルが「2」となっていないが、世界観や設定はすべて前作を踏襲したものになっている。
監督が替わってしまったがあまり違いを感じなかった。
前作を知っている人は安心してみられるし、結局前作の話が伏線になったりはしていないので、
前作を知らない人でも理解できる範囲のつながりである。

記憶を失ってしまってから二年が経過している。
だがボーンは依然として記憶を取り戻すことができていない。
恋人と過ごした二年がすべてであり、ずっと悪夢に悩まされている。

そんな彼を動かすのは、恋人の死と、CIAの執拗な追跡である。
冒頭の早い時点で、恋人を殺したのはうまい動機付けになった。
つまり、現在のボーンにとってこの二年間は、人生のすべてであったと言ってもいい。
それまでの記憶を失った彼にとっては、恋人と過ごした二年間しか、「生きていない」のである。
だから、その恋人が死んだことは、ボーンのすべてを賭けてでも追究しなければならない問題なのだ。

同じ時期、CIAの女捜査官が指紋からボーンを犯人とふみ、執拗に包囲網をしかけてくる。
元CIAの敏腕捜査官と、現在のCIAの激突という格好である。
この辺りまでは、非常に話が緊迫した様相を呈している。
だが、サスペンスとして成功しているのはこの辺りまでで、後はどんどん先細ってしまう。
理由は単純である。
地球の裏側で起こった事件というスケールの大きい話が、どんどん内輪だけの狭い世界に追いやられていくからだ。

なるほど、世界を股にかけた追跡劇、逃亡劇である。
だが、結局は物語が進めば進むほど、真相以外の可能性がみるみる減っていく。
実行犯と、真相を握る黒幕、この二人がどんどん絞られていく。
なぜなら、他に疑える人物が一向に出てこないからだ。

ボーンは逃げながら真相を調べ始める。
捜査官たちは逃げるボーンを追い続ける。
だが、全体の焦点はボーン対真犯人(実行犯)ではなく、ボーン対捜査官なのである。
一向にボーンは実行犯に近づいていかないのだ。
彼の手がかりとなるのは自分の記憶と、CIAとのやりとりの中だけだ。
だから、自ずと敵は絞られてしまう。

これでは全くスパイ映画としての緊張感がなくなってしまう。
しかも頂けないのは、その真相がまたまた「ドレッドストーン計画」関連。
追っているのはCIA。
なんと内輪の狭い世界でのやりとりなのだろうか。
これまで世界を回ってきたスケールがどんどん内輪だけの小さい小さい物語になっていく。
「はいはい、勝手にしとけよ」的な怒りさえ芽生えてくる。

冒頭は複雑な物語にみせているが、結局整理されるとものすごく単純で、ものすごくありきたりな話なのだ。
ただそれをややこしく無理に描こうとしているようにしか思えない。
これでは小手先の演出によるまやかしに過ぎない。

前作に引き続き、カメラワークが雑すぎる。
アクションシーンというものは「かっこよく」撮られなければならない。
だが、「状況がよく分かる」ということも同時に実現しなければならない。
なにかよく分からない、というシーンでは、観客に無駄な負担を強いるだけだ。

カーアクションにしても、人間のアクションシーンにしても、非常にカメラワークがぶれる。
だから、素早いようだ、だがよくわからない、という状態になってしまっている。
それがかっこいいと錯覚させたいかのような、ブレようである。
全然わからない……。
極端に近くぶれたカメラか、ものすごく遠いシーンかしかない。
インドのカーチェイスは短いシーンだったので、見せ場として成立しているが、ロシアでのカーチェイスはまったくの失敗だ。
あれでは誰がどうなっているのか、よくわからない。
しかも短いシーンの連続で見せようとするから、余計に状況が把握できない。
演出によってごまかしたかったとしか思えないのだ。

そもそも、この映画は「中身」よりも「演出」でみせようとしすぎている。
ストーリーの陳腐さもさることながら、アクションシーンもそうだし、ボーンの行動も不可解なところがある。
一番顕著なのが、序盤、モロッコ経由でイタリアに入国しようとする時だ。
「ジェイソン・ボーン」と書かれたパスポートを使って、空港の警備員に別室に呼ばれる。

おまえはあほか! と言いたい。

イタリアに入国したのは、敵に襲われたから。
敵に襲われたのは自分の居場所がばれてしまったから。
なのに、また自分の名前が入ったパスポートを使って堂々と入国しようとする。
素人の考えでも偽造パスポートでないと危険だとわかる。
それなのに、CIAのエージェントだったボーンは、堂々と入国。
あまりに無防備で、本当に工作員だったのか疑いたくなる。
むしろ、その後の展開上、CIAに見つからなければ仕方がなかったから、あえて使わせたのではないか、と制作者の意図まで見えてくる。

このあたりが、非常に曖昧模糊としていて、不自然だ。
演出でなんとかごまかそうという弱腰な姿勢が見え隠れする。

マット・デイモンはしばらく業界でヒット作に恵まれなかった経緯がある。
自分探しのために名作「太陽がいっぱい」のリメイクの仕事を受けたり、「オーシャンズ11」では端役に甘んじた。
行き着いた先が、この「ジェイソン・ボーン」のシリーズのはずだ。
にもかかわらず、このような小手先の映画では、この先が思いやられる。
いい映画に巡り会うための自分探しの旅は、まだまだのようだ。

(2005/10/9執筆)

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