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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

日本のリメイクが下手なのはなんとかならないのか。

2018-05-26 10:18:56 | 表現を考える
日本人(日本映画)は原作をリメイクして映像化するのがとても下手だと言われる。
そして、その多くが原作のファンを蔑ろにしていると完成後にたたかれる。
それには大して多くの例を挙げずとも、同意してくれる人が多いだろう。
私もそう思う。

私たちはリメイクや映像化と聞くと、まず拒否反応と不安が起こる。
どんな監督であっても、どんな原作であっても同じだ。
これは、長らくリメイクや映像化が下手であった、世界観を壊された経験に起因しているのだろう。

そもそも、リメイクという考え方、映像化という考え方が私たちを縛っているように思う。
海外の映画作品で言えば、リメイクに対して大きな抵抗はない。
マンネリだという批判が出たとしても、作品そのものを評価しようという土壌ができている。
キューブリックの「シャイニング」などは、原作とは全く違ったシナリオになっても、高い評価を受けている。
(原作者はいやがっているけれども。)

なぜなのだろうか。

それには「リトールド(retold)」という単語を考えるとわかりやすい。
リトールドとは、訳語は「再話」である。
原作をもう一度語り直す、という文学的な営みのことだ。
シャルル・ペローという作家は、多くの民話を集めて「童話」という形で再話した。
そしてさらに、グリムも同じように再話をして有名になった。
「赤ずきん」は、もともとの原作ではオオカミに少女が食べられて終わりだった。
それをグリムやその後の童話作家たちが、オオカミに復讐できるように(ハッピーエンドになるように)再話したのだ。

そういう再話という文化が日本には少し足りない。
だから、忠実に再現、原作の世界観やストーリーを壊さないことが、リメイクであり、映像化というふうに思われている。
だが、漫画をアニメに、ゲームを映画に、全く違う表現媒体にするとき、忠実と言うことは不可能だ。

そのことを私たちはしばしば忘れてしまう。

本当に大切なことは、「原作の面白さをどのうように違う表現媒体で再現するか」なのだ。
面白さと世界観はイコールではない。
その線引きが非常に下手だ。

だから、シェイクスピアのように「ウェイスト・サイド・ストーリー」のような名作は生まれない。
世界観を崩さないことを求められている映画は、その枠をはみ出すことを許してもらえない。
商業的に成功させたいという思惑から、原作を用いるわけだから、当然原作ファンを向いて映画を作るしかない。
そうなると悪循環だ。
原作ファンを向くと、どうしても無理が出る。
新しいファンを獲得しようとすると、原作ファンを怒り出す。

私たちにとって、その作品(漫画、アニメ、ゲーム、小説など)はどういう点が面白いのか。
そのことをしっかりと押さえなければ、今後不毛な作品ばかりが世に並ぶことになる。





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