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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

レディ・プレイヤー1

2018-06-03 16:25:35 | 映画(ら)
評価点:73点/2018年/アメリカ/140分

監督:スティーブン・スピルバーグ

あの映画の世界が完全に再現されているという驚き。

2045年、地球のリアル世界はますます希望のない世界になっていた。
そんな中、底辺層の人々までも多くの人々を巻き込んだゲーム「オアシス」に、スタック出身のウェイド/パーシヴァル(タイ・シェリダン)も夢中になっていた。
アバター名は、パーシヴァル。
彼は、オアシスを作り、死んでしまったジェームズ・ハリデー(マーク・ライランス)が残したというイースターエッグを探すために毎日のようにゲームに没頭していた。
ジェームズ・ハリデーが死んで5年たった今でも、まだ誰もイースターエッグの一つ目の鍵も手に入れられないでいた。
一方、「オアシス」全経営権を手に入れられることもあり、「IOI」という大手企業は、様々な人間を取り込み、イースターエッグを組織ぐるみで手に入れようとしていた。

少し前から話題になっていた、オンラインゲームを題材にした映画がこれだ。
スピルバーグが監督をして、なおかつ日本のアニメが多数登場することが明かされると、日本でも大きな話題になった。
私はたまたま休みが取れて(公私ともに)、見に行くことができた。
3Dで見たのはいつ以来だろう?

私にとっては多くの作品がど真ん中だったので、うれしかった。
映画が好き、アニメが好き、という人ならきっと楽しめるだろう。
逆に、ここ最近の映画やアニメしか興味がない、見たことがないというのなら、ちょっと厳しいかもしれない。
良くも悪くも、アメリカで話題になっている、なったことがある日本のアニメが中心なので、そのあたりを理解していないと、「どの部分が楽しいのか」わからない可能性もある。
引用の産物、オマージュのラッシュ、わかる人にはわかる、わからないことは気にしなくていい、そういう映画だ。

▼以下はネタバレあり▼

さすがのスピルバーグだ。
楽しい映画に仕上がっている。
もっとも、元ネタが分かるかどうか、どれくらいわかるかどうかによって、かなり評価が分かれるだろうが、ライトな映画ファンにも、それなりに「にやり」とできるだろうから、大きく評価を下げることはないだろう。
私はライトな映画ファンなので、わかるところとまったくわからないところがあった。
まあ、仕方があるまい。

この映画が面白い、楽しめるというのは、実は逆説的だと思う。
新しくないから楽しい。
陳腐な物語構成になっているからこそ、私たちはその世界に浸れる。
そういう展開になっている。
だから、良くも悪くも、新しい題材、舞台であるはずなのに、世界観はかなり古い。
この映画に新しさは、映像技術以外に何もない。
だからこそ、「新しい(面白い)」と感じることができる。
不思議な映画だ。

映画の構成はいたってシンプルだ。
いわゆる「往来の物語」になっている。
現実に辟易していた主人公が、ゲームの世界に浸り、そしてまた現実世界の重要性に気づいて戻ってくる。
それだけの構成だ。
この安定感が、ゲームの世界に登場するオマージュに共感できる人々が求めていたことと一致する。
今現在、ネットゲームにどっぷりはまっている人には、きっと古臭く感じるだろうし、物足りなく感じることだろう。
だが、近未来を舞台にしているものの、新しさを描くことをやめている。
かえってそこが面白い。

物語の結論は、「ゲームの世界から出よう」だ。
ゲーム依存が大きな問題になりつつある現在、近未来を描いた作品の時代なら、もっと深刻になっていることだろう。
それでも「現実が大切だ」と言ってのける古さが、この映画を支えている。
これを評価するのは、「シャイニング」を知っている世代であり、「ゴジラ」に強い愛着がある人々だ。
あらゆるオマージュを積んで映画を作り上げているが、結局「陳腐」であること、これまでの古いサブカルチャーを愛した、「こんなふうな世界であればいいのに」という少し古い近未来を描いている。
オトナ帝国」にも通じる、古さだろう。

これほど多くの作品を盛り込めたのは、スピルバーグあってのことだし、これほど古くても面白いと思わせるのもそうだろう。
だから、面白いが、それ以上の何かを求めることはできない。
要するに、「同化」効果が高く、「異化」効果が低い作品になっている。
ゲーム依存がこれほど深刻になってきた時代に、新しい視座を与えてくれるという期待は、さすがにハードルが高すぎた。
物足りなさがあるとすればそこだろう。

物語は「個」に迫ることを軸としている。
ゲームマスターである、「ジェームズ・ハリデー」の内面にどれだけ深く切り込めるか、それがイースター・エッグの発見への条件となる。
それは、作者が作品を作り出す、神様であるという古い価値観の世界観だ。
ゲームが個人で製作されることはすでにあり得ないことを、知っている若い世代たちはどれくらいこの「世界観」になじめるのだろう。
作品は企業が作るのではなく、個人が作るのだというスピルバーグの自負だ。

だから、それと敵対するのは、「IOI」という巨大企業の社長である。
徒党を組んで、集団でカネのためにゲームをする。
そこには個性や行き方、楽しみといった人間性は捨象されている。
その態度への痛烈批判は、彼らがゲームにいそしむ姿に現れている。
まるで「スターウォーズ」のクローン兵のような、無個性で従順な姿と、主人公たちの個性的な姿とは対比的だ。

ゲームは楽しむためにある。
ゲームは現実を豊かにするためにある。
ゲームは人間が作り出した、壮大な夢の世界である。
そうした「原点」をもう一度取り戻そうとすることが、この映画のメッセージである。
そう、まさに古いのだ。

企業 対 個人、無個性 対 個性、ザ・マン 対 持たざる者。
こういう構図と、それらが描かれていた物語やサブカルチャーを集めてきたのだから、マッチしないはずはない。

私は個人的に好きな作品だ。
だが、予想を裏切る何かがあったかと言われると、良くできた「小品」といった印象だ。


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