secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

オール・ユー・ニード・イズ・キル

2014-08-17 10:55:51 | 映画(あ)
評価点:76点/2014年/アメリカ/113分

監督:ダグ・リーマン

トライ・アンド・エラーの先にあるもの。

宇宙から飛来した何者かが世界を侵略しつつあった。
そんな中、パワード・スーツが開発され、ヴェルダンでは大きな戦果を得たという報道が飛び交っていた。
たった1人でギタイと呼ばれるエイリアンを数百体殺したというのだ。
ヴェルダンの女神と呼ばれた彼女の戦果により、厳しい闘いを強いられていた連合国軍は一転して攻勢に転じようとしていた。
そのスーツを開発したウィリアム・ケイジ(トム・クルーズ)は広告塔としてメディアを賑わせていた。
しかし、将軍に告げられたのは「最前線でこの勝利の様子をレポートしろ」というとんでもないことだった。
まったく戦役がなかった彼は動揺するが、脱走犯として気づけば最前線に送られていた。
翌日の早朝使ったこともないスーツを着せられて、最前線に送られたケイジは、すさまじい負け戦であることを思い知らされる。
殺されると思った瞬間、機雷を手にしていた彼は、青い不思議なギタイを抹殺することに成功する。
目覚めた彼は、戦線に放り込まれる前日にタイプトリップしていた。
そして何度も同じ日を行き来することになる……。

この夏話題になったトム様のSF作品。
なぜなら、この作品は日本のライトノベルを原作にハリウッド実写映画化された映画なのだ。
という説明はきっとどこかで聞き飽きるくらい聞いただろう。
とにかく、日本のサブカルチャーとしては記念碑的な作品になったことは間違いない。

とはいえ、私は桜坂洋という原作者を全く知らないので、あまり思い入れがあるわけではない。
きっと多くの人があまり知らない作品だろう。
この映画の事だけで言えば、それは幸いしたことだろう。
いちいち原作との差異点をあげつらう労力が必要ないのだから。

原作者などは忘れて、とにかく楽しめば良いと思う。
SFであるから多少のむちゃな設定については触れないほうが良いと思う。
それは「重箱の隅つつくの助」に任せておこう。
アクションとして楽しめばいいと思う。

▼以下はネタバレあり▼

私はおもしろかった。
久々にアクション映画として当たりだったと思う。
最近では、オーソドックスなアクション映画は珍しい。

主人公のケイジは同じ数十時間を繰り返し経験することで、成長する物語となっている。
これは原作者の桜坂が話しているように、アクションゲームのような設定だ。
死を経験しながら、少しずつクリアに近づいていくという話なのだ。

だから最初の主人公は戦闘経験がゼロの、いわば「非国民」である。
闘う気もないし技術もない。
いきなり戦場に放り込まれたのだから無理もない。
その彼が世界を救うという話の流れだ。

その流れがおもしろくなるように計算されたシナリオになっている。
最弱から最強の戦士となるように、トライ・アンド・エラーを繰り返す。
時には逃げ出したり、時には色気に負けたり、まじめに練習したり。
あらゆる可能性を探りながら、敵を殺すすべを確立していくのだ。

死を避けていたはずのケイジが、死を恐れなくなり積極的に自分を鍛えるために死を選ぶ。
そして、局面を脱出し、一つ一つ課題を克服していく。
ギタイのアルファ、オメガの謎を解きながら、敵を追い詰めていくのだ。
必要な情報は初出の情報としてケイジに提示し、あとで説明してもわかる情報はすでに何度も体験したように見せている。
このメリハリが非常に上手く、かなり無理のある設定でも何とか説得力があるように描いている。

なによりループするという設定がエイリアンの力であり、エイリアンがあまりにも強力すぎるという点を上手く設定に活かしている。
時を支配する敵に人間はどうやっても勝てるはずがないのだ。
何度もループしているはずのケイジ(そして観客)と、周りの人間のギャップがあまり感じられなかった点はマイナスだろう。
しかしどんどん展開していくため、それほどアラを探したいとは思わない。
最弱でやる気もなかった主人公がどんどん最強に成長していく姿は、とてもおもしろい。
やはり物語は成長という要素が不可欠なのだ。
(このあたりもマンガ的で、ゲーム的だ)

しかしこの物語が俄然おもしろくなるのは、ループの力を失ってしまった時だ。
初めてここで「人は死んだら取り返しが付かないものだ」ということを突きつけられる。
それまでトライ・アンド・エラーを繰り返せばよかった主人公が、「死ねない」状況に追い込まれる。
この落差が非常におもしろい。
いきなり緊迫感が出てくる。
それまでこの死んでもループするという設定をすんなり受け入れてきた観客にとっては窮地に立たされたように感じることだろう。
この感情のコントロールが非常にうまい。

ラスト、なぜあそこから「やり直し」になったのだろうという違和感はあるものの、そしてあまりにもいろんなことが都合良く進んでいく感じはするが、それでも緊迫感をそぐほどではない。
私ならもっとマイナスな行動をとって逃げまくることを考えるだろうし、エッチな行動もとってみたい。
そういう煩悩のカタマリのような行動も入れればもっとケイジのキャラクターを立体的に描き出せたと思う。
とはいえ、そんなことを描いてしまうとどんどん上映時間が長くなるから仕方がないか。

原作が日本のライトノベルかどうかはもはや問題ではない。
きちんとアイデアを映画として昇華させればよい作品になることの証明のような作品だ。
こういう映画化なら大歓迎だが。


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