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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

アナと雪の女王(V/吹替)

2014-08-10 09:19:36 | 映画(あ)

評価点:41点/2013年/アメリカ/102分

監督:クリス・バック/ジェニファー・リー

あまりにも薄っぺらい人物設定と平坦な物語。

アレンデール王国のプリンセスであるエルサ(声:松たか子)は特別な力をもつ少女だった。
しかし、あるとき妹のアナ(声:神田沙也加)と遊んでいるとき、妹に魔法があたり、命の危機にさらされる。
魔法を取り除くためには、これまでの魔法の記憶を全て消す以外になく、アナはエルサとの魔法で遊んだ記憶を全て失ってしまう。
ショックを受けたエルサは閉じこもる事が多くなり、そのまま成長していく。
理由が分からないアナはエルサと遊びたいと願うが、それが叶えられることはなかった。
まもなく成人を迎えると言うとき、両親が船に乗って旅に出ることになった。
しかしその船は難破し両親は死んでしまう。
二人きりになったエルサとアナは、孤独を抱えたまま成人を迎える。
成人式を迎える日、アナは王妃として戴冠式を行った。
王妃となったエルサは依然として人との関わりを絶とうとする。
アナはパーティーで出会ったハンス(声:津田英佑)と結婚の約束までしてしまい、それを知ったエルサは激怒する。
勢い余ったエルサは魔法を見せてしまい、周囲は動揺を見せるが……。

何かあったら「レリゴー」の声が流れ、一種のブームになってしまった。
私はその波に乗れないまま横目で「どうせおもしろくないのだろ」と斜に構えていた。
ほとんど見るつもりはなかったのだけれど、たまたま見る機会に恵まれたので、観た。
不本意ながら吹き替えで観たので、少し字幕とは少し違う印象を受けたかも知れない。
ただ、歌の迫力によって私のこの批評の記事が変わることはあるまい。

映画を観て絶賛した人に関しては、後の記事は読まないことをおすすめする。
私の予想通り、この映画は私の食指が動かされることはなかった。

▼以下はネタバレあり▼

こんなことを書くと批判の嵐になるのかもしれないと、少し怖い。
しかし、おもしろくないものはおもしろくない。
こんな感情ばかりを売りにするような映画を作るから、こどもたちは本当にいい映画と出会うことができないのだろう。
ここまで残念な映画だとは正直思っていなかった。

原作「雪の女王」は読んだことがない。
私の生育歴では童話や伝記を読んだり読んでもらったりする経験がほとんどない。
だから、原作と比較することはできないし、比較しながら映画を観たわけでもない。

この映画がおもしろくないのは、いつまで経っても映画が始まらないということにある。
そして始まる前に終わってしまうのだ。
だから、この映画に対して、何か特別な感情を抱くことができない。
ただ、「え? いつ始まっていたの?」と思うのみだ。

おいおいおい、何を言っているんだ、menfithは、と思った人はちょっと冷静になって続きを読んでもらいたい。
少し順を追って説明したい。

この映画のおもしろくない原因の一つは、どのキャラクターも立体的なところがないからだ。
エルサは魔法を使ってしまったことを後悔し、魔法を使うことだけではなく魔法を使えることを知られることも恐れている。
しかし、アナとのやりとりの中でそれが周囲に明かされてしまうと、「レット・イット・ゴー」を思う存分唄うことになる。
これまで自分が殻に閉じこもっていたことは、実は不要だったのだということを悟るのだ。
この映画の最大の見せ場となっている、あのシーンだ。
だが、よく考えれば、他者がいないのに「ありのままに」なんてのんきなことが言えるのは不自然きわまりない。
ただ1人山奥に閉じこもって「私は私で良いの」なんていうのは奢りでしかない。

だから、この映画の最大の見せ場が、すでに薄っぺらく「間違った答え」であるわけだ。
それは最後のシーンを待つまでもなく、わかりきったことである。
そして、彼女の元へ訪れたアナに対して「あなたは帰って。」と言い放つ。
すでにありのままでないことが浮き彫りになり、さきほどの感動は急速に冷えていく。

ハンスによって囚われたエルサを救うのはアナだ。
アナの胸元に当たってしまった魔法によって、アナとエルサは再び2人の絆を思い知る。
エルサは自分にとって大切なものは、アナという肉親の愛であることを知るのだ。
映画はそのまま大団円で終わってしまう。

エルサは結局閉じ込められた生活を送り、アナによってその扉を開ける。
しかし、実はそれ以外の彼女の個性は何も描かれていない。
だから彼女はすごく薄っぺらい人間に見えてしまう。
自由に気兼ねなく魔法を使いこなせるようになったとき、「ありのままに」と歌ってしまうことにそれは象徴されている。

もっとひどいのはアナだ。
純真なアナは、出会ったその日に結婚を決めてしまうほど無邪気だ。
姉が好きで、まっすぐに姉のことを思っている。
だから、彼女がエルサの心を開くことができたのだ。
しかし、彼女もまたそれ以外の個性は描かれることはない。
もっと言えば、彼女に至っては何も変化しないし、成長しない。
ただその純真さを押し通すだけだ。

視点人物(観客に感情移入させるキィ・キャラクター)であるアナが変化しないということは観客は「安心して高いところから物語を体験する」ことに他ならない。
超越的な立場から眺める景色は、ただ単に物語が平坦に進んでいくだけで山も谷もない。
この映画が物語が始まる前に終わってしまうと先に書いたのは、そのことだ。
ずっと自分というものを押し通す彼女に、感動しろというほうが無理な話だ。
それは、ずっと母親であることを疑いもせずに一直線に進んでいく「おおかみこども」の母親にどこか似ている。

結局この話は、オチが決まってから一直線に物語が進んでいくような予定調和の物語なのだ。
この感動を描くために置かれたキャラクターに過ぎない。
ハンスにしても、ウェーゼルトン公爵にしても、オラフにしても、すべて物語を進行するためだけに置かれたキャラクターなのだ。
だから、迷いもなければ意外性もない。
すべてが薄っぺらく、一時の感情だけで物語が進行するような軽薄さだけが目立つ。

吹き替えで観たが、とくに声優陣に対して不満はない。
違和感もなかったと思う。
問題は吹き替えかどうかではなく、物語そのものにあるのだと思う。

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