
1970年代は日ソ合作映画の全盛時代でしたが、ソ連における「日本ブーム」の兆しは、1960年代にもありました。その火付け役となったのが、1963年に日本で大ヒットしたザ・ピーナツの歌謡曲『恋のバカンス』です。
1963年に日本でリリースされたザ・ピーナツの『恋のバカンス』ですが、フランス出身のドイツ人歌手カテリーナ・ワレンテ経由でまずヨーロッパを魅了し、最終的にアメリカに到達する、というルートを経ています。
一方ソ連へは、ウィキペディアによれば、ソ連国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ、国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員が気に入り、ソ連本国に持ち込んだとのこと。
もっともドイツから東欧、そしてソ連へ、という話しも聞いたことがあります。
いずれにせよ、1964年には既にソ連本国で「有名な曲」となっており、1965年には法律家であり詩人でもあった作詞家レオニード・テルベニョフ Леонид Дербенёвがロシア語の歌詞『海辺にて、青い海辺にて』«У моря, у синего моря»をつけたこの曲を、当時ソ連で人気があった歌手ニーナ・パンテレーエワ Нина Пантелеева が歌って大ブレイクしました。

(ニーナ・パンテレーエワが歌うロシア語版『恋のバカンス Каникулы любви』を聴いてみたい方は、こちらへどうぞ。
写真はこちらから。)
それもモスクワやレニングラード(現ペテルブルク)だけではなく、遥か彼方中央アジアのウズベキスタン(当時はソビエト社会主義共和国連邦を構成する15共和国のひとつ)でも、エリエール・イシムハメドフ監督 Эльер Ишмухамедов の『優しさ』«Нежность»(1966)という映画の主題曲に使用され、映画が大ブレイクした「主な要因」になったとまで言われているのです。
映画『優しさ』の中の『恋のバカンス』の場面・・・YouTubeにアップロードされています。こちらへどうぞ。
(トップのザ・ピーナツの写真はこちらからです)
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1963年に日本でリリースされたザ・ピーナツの『恋のバカンス』ですが、フランス出身のドイツ人歌手カテリーナ・ワレンテ経由でまずヨーロッパを魅了し、最終的にアメリカに到達する、というルートを経ています。
一方ソ連へは、ウィキペディアによれば、ソ連国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ、国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員が気に入り、ソ連本国に持ち込んだとのこと。
もっともドイツから東欧、そしてソ連へ、という話しも聞いたことがあります。
いずれにせよ、1964年には既にソ連本国で「有名な曲」となっており、1965年には法律家であり詩人でもあった作詞家レオニード・テルベニョフ Леонид Дербенёвがロシア語の歌詞『海辺にて、青い海辺にて』«У моря, у синего моря»をつけたこの曲を、当時ソ連で人気があった歌手ニーナ・パンテレーエワ Нина Пантелеева が歌って大ブレイクしました。

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それもモスクワやレニングラード(現ペテルブルク)だけではなく、遥か彼方中央アジアのウズベキスタン(当時はソビエト社会主義共和国連邦を構成する15共和国のひとつ)でも、エリエール・イシムハメドフ監督 Эльер Ишмухамедов の『優しさ』«Нежность»(1966)という映画の主題曲に使用され、映画が大ブレイクした「主な要因」になったとまで言われているのです。
映画『優しさ』の中の『恋のバカンス』の場面・・・YouTubeにアップロードされています。こちらへどうぞ。
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