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ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2023(8月13日〜16日)

2023年08月21日 | オペラ
パンデミックによる中断を経て、4年振りにアドリア海に面したリゾート地ペーザロを訪れた。目的は勿論ここで毎年開催されるロッシーニ音楽祭である。今年はその中の6公演を聴いた。昨年末の地震で伝統あるテアトロ・ロッシーニが修復中となり今年は代わりに定員500人程度のテアトロ・スプリメンターレという映画館が小会場に当てられた。大会場はいつものようにヴィトリフリゴ・アレーナだ。アレーナは元来バスケット・ボール用の体育館だそうだが、このオペラ祭のためにその年の演目に応じて仕切りを作って仮設の劇場にする。今年はキャパ1200名程度の中劇場が出来上がった。座席こそ粗末だが、音響は適度な残響があって中々良い。さて最初に見た演目は13日の「ブルグントのアデライデ」(1817)だ。これはArnaud Bernardによる新プロダクションの大初日だった。映画スタジオの中という劇中劇仕立てで、段々と映画が出来上がり本編が完成するという時間経過の下にドラマが展開するという中々面白いアイデアだ。オットーネ役のVarduhi Abrahamyanが期待に違わぬ出来。対するアデライデ役のOlga Peretyatkoは当初は声が乗らなかったが次第に本領を発揮した。アデルベルト役は新国でお馴染みのRene Barberaで変わらぬ太めの美声で安定的な歌だった。指揮は2017年に藤原の「ノルマ」に登場したこともあるFrancesco Lanzilotta、演奏はRAI(Torino)の秀でたオーケストラで、細やかな音楽作りが単調さを回避してロッシーニに格調を与えた。彼は2024年には新国の「椿姫」にクレジットされているのでとても楽しみだ。続いて14日の昼は小劇場での「マリブランの死に寄せるカンタータ」の世界初演。実はこれはロッシーニと縁の深い夭折の大ソプラノ、マリブランの死に四人の作曲家が寄せた曲集であるが、その四人の中にロッシーニは含まれていない。作曲家の顔ぶれはG.Doizetti+Giovanni Pacini+Saverio Mercadante+Pietro Antonio Coppola+Nicola Vaccajというもの。中では藤原歌劇団のベルカント・フェスティバルでその「ジュリエッタとロメオ」を上演したことのあるNicola Vaccajによる終曲が聞き物だった。Diego Ceretta指揮によるTeatro della FortunaとPilarmonica Gioachino Rossiniと6人の独唱者による演奏はオケと合唱にいささか荒さが目目立つものだった。その日の夜は「エドアルドとクリスティーナ」(1819)のStefan Podaによる新プロダクション初演二日目。この曲は前日に観た「ブルグンドのアデライーデ」からの転用も多く含むパスティッチョ・オペラである。舞台は全身白塗りのヌードダンサーによる現代舞踏を全編に多様した極めて斬新な試みだった。歌唱ではエドアルド役のDaniela Barcellonaは安定的な歌唱だったがいささか力感に不足を感じた。クリスティーナ役のAnastasia Bartoliは、往年のコソットを彷彿とさせるクリスタルな美声が魅力的だったが、力で押し切る一面的な歌唱が目立ち残念だった。カルロ役のEnea Scalaのピンと張った声質のスタイリッシュな歌唱は実に魅力的だった。指揮のJader BignaminiはRAIのオーケストラを駆り立てて骨太の音楽を作った。それにしてもRAI(Torino)のオーケストラは上手いなとつくずく感じさせた。ロッシーニの音楽は抽象性を極めたもので、それゆえに転作も常套的なことであった。だからそこにドラマ性を付加するのは秀でた歌手の技法に他ならない。今回の演出は賛否両論あると思うが、そうした歌唱を舞踏で後押してキャラクターの内面を捕捉的に描くことで更なる説得力をもたらす役割を十分に果たしていたように私には思われた。15日の昼は小劇場で「教皇ピウス9世をカンタータ」(1846)。これは様々なオペラから多くを転用・編纂して作られた機会音楽だが、明るく軽やかで威勢の良い音楽に心が弾んだ。Christopher Franklin指揮によるCoro del teatro ventidio Basso+Filarmonica Gioachino Rossini+四人のソリストの演奏は今回もオケと合唱はいささか荒いものだった。この夜は「パルミーラのアウレリアーノ」(1813)のMario Martoneによるプロダクションの2014年以来の再演だ。序曲をはじめいくつかの曲が「セビリアの理髪師」へ転用されているので知った曲が度々出てくる。シチュエーションも違えば曲種も違うわけだが、場面場面での説得力は十分にあるのがロッシーニ・マジックだ。ロッシーニの世界は誠に深いことを痛感した。演奏の方はもうゼノビア役のSara Blanchとアルサーチェ役のRaffaella Lupinacciの名唱に尽きた。眼前で聴いた(観た)この二人の二重唱の衝撃を忘れることは一生ないだろう。Georges Petrou率いるOrchestra Sinfonica G.Rossiniも好演だった。そして最終日16日に観たのは今年のアカデミーの生徒によるお馴染みEmilio Sagiのプロダクション(2001)による「ランスへの旅」だ。いつものことだがロッシーニ唄いを目指す若者達による溌剌とした舞台は大物歌手によるものとは全く異なる魅力があるものでとても楽しい。今年は日本人としてSaori Suigiyamaという名前がクレジットされていたが、彼らが世界の舞台に羽ばたくのを楽しみにしたい。

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