『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

小波多父子兄弟(をばたちちこきゃうだい)

2020-04-18 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小波多父子兄弟(をばたちちこきゃうだい)

<現代仮名遣い>おばたちちこきょうだい


不詳。

1581年9月の北畠信雄伊賀攻めで討ち取られる。


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小幡清左衛門(をばたせいざゑもん)

2020-04-17 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小幡清左衛門(をばたせいざゑもん)

<現代仮名遣い>おばたせいざえもん


不詳。

1582年3月高遠城の軍で、信忠の軍と戦い討死に。

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小幡五郎兵衛(をばたごらうべゑ)

2020-04-16 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小幡五郎兵衛(をばたごらうべゑ)

<現代仮名遣い>おばたごろべえ


不詳。

1582年3月高遠城の軍で、信忠の軍と戦い討死に。

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小幡因幡守(をばたいなばのかみ)

2020-04-15 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小幡因幡守(をばたいなばのかみ)

<現代仮名遣い>おばたいなばのかみ


不詳。

1582年3月高遠城の軍で、信忠の軍と戦い討死に。

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小野木(をのぎ)

2020-04-14 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小野木(をのぎ)

<現代仮名遣い>おのぎ


1581年7月安東愛季は神藤右衛門を取り次ぎと

    して、信長に黄鷹五連・生き白鳥3つを

    進上する。返礼として小袖十・緞子十巻

    が送られ使いの小野木には黄金2枚が

    下された。

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越智小十郎(をちこじふらう)

2020-04-13 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
越智小十郎(をちこじふらう)

<現代仮名遣い>おちこじゅうろう


不詳。

1582年6月本能寺の変で討ち死に。

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越智玄蕃(をちげんば)

2020-04-12 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
越智玄蕃(をちげんば)

<現代仮名遣い>おちげんば


大和高取城主。もと筒井氏と大和国を領分した

豪族。

1577年11月信長が東山で鷹狩をしたところ、愛

    蔵の鷹が折からの風雪にあおられて大

    和国まで飛んでいってしまった。方々探

    していた所越智がその鷹を捕らえ持参

    する。信長は喜び服・秘蔵の駮の馬を下

    した上、越智の望みに応じ闕所となった

    知行地を回復させた。


 ※捕らえた鷹がまさか信長公が見失ったもの

  であったとは、偶然かもしれませんが越智

  玄蕃も継代の名誉となったことでしょう!

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小田垣(をだがき)

2020-04-11 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小田垣(をだがき)

<現代仮名遣い>おだがき


不詳。

1577年10月羽柴秀吉に但馬竹田城を攻略される。

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小沢六郎三郎(をざわろくらうさぶらう)

2020-04-10 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小沢六郎三郎(をざわろくらうさぶらう)

<現代仮名遣い>おざわろくろうさぶろう


不詳。

1576年4月の安土山の石垣作りの時の石奉行。

1582年6月二条新御所の軍で、烏帽子屋に寄宿

    していた小沢は、敵の振りをして二条新

    御所に乱入し、正面をかため、織田信忠

    に挨拶をした後切り回って討ち死に。


 ※信長・信忠の家臣の模範といってもよい

  人物です。

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小栗吉忠(をぐりよしただ)

2020-04-09 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小栗吉忠(をぐりよしただ)

<現代仮名遣い>おぐりよしただ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


二右衛門。松平宗家の末流で、はじめ松平氏を

称したが、母方の小栗姓を称するようになった。

吉忠は松平広忠に小姓として仕え、広忠の死後

は家康に仕えた。

1563年三河一向一揆の際、家康方として居館筒

針の砦を守る。

1569年には掛川城攻めの戦功により、四十人を

つけられ同心級八百二十四貫を与えられた。


1582年4月徳川家康の命により、小栗吉忠・浅井

    道忠・大橋の三名が奉行をつとめ、天竜

    川池田の宿のあたりに舟橋をかけた。

1590年9月駿河城で死去。


 ※小栗氏は松平宗家の出自であるという。

  もしかしたら小栗旬も・・


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