宮沢賢治は、革命家であり、優れた芸術家であると思う。農民への共感も、より弱い立場の人々への共感という意味からだったのでは?
2013年、賢治の没後80年にあたるという。
実は、生誕100年の年、1996年にぼくは「賢治のことば絵本」という小さな本
を私家版として、出版しているのです。
賢治さんがとても新しいと思ったから、何か形に残しておきたかったのです。
盛岡の、今もあるのですが、素敵な民芸品店 光原社 から1924年に出版された
「注文の多い料理店」が、自費出版同様のかたちで世に出たものの、店にうずたかく積まれて、あまり売れなかったということらしい。もったいない、今、1000部印刷されたという同書を持っていたら大変な価値ある本になっていることでしょう。
ぼくのつくった本は、まったく話題にもならずに、売れずに残った。
1000部くらい売れただろうか?出版の流通システムを批判したから、某出版社の経営者から、その一文がなければ、うちで扱いたいんだけれどもと言われたことをなぜか覚えている。人知れず、ヤッタァと喜んだことがある。一つは、ぼくが考え抜いた本のスタイル、すっかりそのまま某大手流通系おしゃれなカルチャー、渋谷系?の出版部の本に、まんまぼくの本のスタイルを真似された本を見つけた時。もう一つは、地元の岩手日報が、山折哲雄氏の講演記録とともに大きく写真入りで紹介されたことくらいである。2冊だけたしか大きな記事中で紹介されており、もう1冊はぼくも認める画家さんの労作の本だった。ただし、高価であった。ぼくの本は1250円と付けたが、デザイナーは、1000円だったらなあと言ってくれた。アメリカで長く活躍され日本の禅やお茶のアートの本をつくってきた腕のあるデザイナーだからぼくが頼んだのだった。実はもう一つ失敗をしていた。ISBNを、付けなかったのだ。無知であった。デザイナーに付けますか?と言われていたのだ。書店に置くつもりはなかったから、いいです、要りませんと答えていた。後日、ISBNが付いていないからアマゾンで売れないと分かった。
写真・文 石郷岡まさを