gooブログはじめました!散歩写真の達人 石ちゃんのフォトエッセイ ーーー30年の私写真散歩 少しずつお見せしましょう。

「東京原色図鑑」散歩とスナップ写真1万点。
80年代の東京も。大好きな写真家に、濱谷浩、石元泰博、森山大道氏等。

カメ漫だらだら石ちゃん散歩 2013年大晦日にこんな悲しいニュースが・・・

2013年12月31日 | 散歩 余暇 趣味 健康 デジカメ

大瀧詠一さんが亡くなった、こんなニュースに接したのは台所から戻ってようやく夕餉にありつこうかというそんな瞬間だったかと思う。

 

大晦日を、Facebook の友たちとやり取りをして 幾つかの挨拶を送って、またぼくも受けて

それではよいお年を

などというありきたりの挨拶でもほとんど送る人も機会もないぼくのような人間には、ウェブ上の人間関係のほうが煩わしいこともあまりなくって、いまふうの新しい人間関係として面白いかもねなどとこの頃しきりに思うこともあるこのぼくなのでした。

そんな時、あるサイトを見て瞬間、ん?と思いましたねえ。

あわてて詳細を追いかけてみると、森進一がどうたらこうたら、どうも、大瀧詠一氏がお亡くなりになったようなのである。もっと詳しく知りたいとあちこち検索・・・・・どうやら本当にお亡くなりになったようなのである。

ガックリ来ましたね。

すぐ、高校時代の友人に電話してみた。つながらなかった。彼は、実にこの数年行方がつかめないんですよ。音楽に詳しい友人で確かイギリスにロックバンド キンクスの熱烈なファンでいつか、高校を出てから偶然街で出会って以来、急速に親友になった男であるが、その彼が大瀧詠一って知っているか、と聞くのである。当時のぼくは大学に入ったばかり、いや数年経っていたかなあ、モダーンジャズにいかれ始めのころで、当然日本のポップシーンなど興味もない、故に知らなかった。彼が言うには、大瀧詠一氏とは、高校で同級生だったのだそうな。知らなかった、そして写真を見て、ああ、いたなあ、というほどだった。

話しかけたこともなければ、話をしたことも全くなかったと思う。ぼくもおとなしい目立たない地味な生徒だったと思うが、大瀧さんも印象にないんだよね、たぶんおとなしい生徒だったのだと思う。

しかし、きっと田舎の普通の高校の中で、たぶん一人沸々と音楽への情熱を燃やしていたのではなかろうか?あれから、50年の時間が流れて、突然悲報に接することになるのでありました。

 

         続く

      写真・文 石郷岡まさを