音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

「帰宅困難者」に必要なもの

2006-01-21 16:12:16 | 身辺雑記
雪である。土曜日で幸いだった。都心でも6㎝以上積もっているらしいから、久々のまとまった雪かもしれない。交通機関への影響も出そうな雲行きだ。

最近書店で「震災時帰宅支援マップ」を買った。それからはバッグに入れて常に携行しているのだが、コンパクトながら、都内もあらかた網羅してくれているため営業にも使えたりする。移動時間などにつらつら眺めているとなかなか興味深い。ちょうど『文芸春秋』2月号でも京都大学の鎌田教授という方が、この地図を取り上げ、実際に都心から松戸まで歩く(途中足が限界にきて一部区間バスに乗ったそうだが)という体験レポートを寄稿されている。チャレンジャーだな。

東京都が平成9年8月に発表した報告では、震度6強の首都圏直下型地震が平日の午後6時に発生した場合、371万人が帰宅困難者になるだろうと想定している。帰宅距離10㎞以内は徒歩帰宅可能。10㎞以上は1㎞ごとに10%帰宅困難者が増えていく。そうすると20㎞を超える通勤者は翌朝までに帰れないだろうというのだ。うっ、私も立派な「帰宅困難者」だ。帰宅支援マップの巻頭に折り込まれているルート索引図は首都圏通勤エリア全体を俯瞰できるのだが、東京駅を中心点として、半径10㎞、20㎞、30㎞・・・と色分けされている。

東京駅から直線距離で20㎞というのがどのようなところかといえば、東急田園都市線でいうと宮前平、小田急線は向ヶ丘遊園の少し先、京王線は国領、中央線は武蔵境の手前、西武新宿線は西武柳沢、西武池袋線は保谷の少し先、東武東上線は朝霞、埼京線は北戸田と武蔵浦和の中間、東北線は南浦和の手前、東武伊勢崎線は草加の新田、常磐線は松戸の馬橋、新京成線は八柱、北総鉄道は松飛台、総武線は船橋、京葉線は南船橋の手前といったところ。我が家は残念ながら半径20㎞の同心線外にあり、およそ23㎞くらいの地点ではないかと思われる。この距離をどうイメージしようかと考えたら、あの箱根駅伝「花の2区」が23.2㎞だった。今年は山梨学院大学のモグスが快走したのが記憶に新しいところだが、彼の区間タイムは1時間7分29秒。速いなあ。私が日本橋の会社まで電車を使ってドアツードアでちょうど1時間3分くらい・・・。人が走るのとあまり変わらないじゃないか。

昨年の7月23日も首都圏で大きな地震があった。あの日、私はさいたま市で開催されているアニメキャラクターの祭典の会場まで、妻子を送って行った。幼稚園のクラスメートの母子も一緒だったが、私がいない方がゆっくり遊べるというので、彼女らを送り届けた後、私だけ車で帰路についた。終わったら迎えに来ようかという私の申し出に、「電車で帰るから」とのお返事。うららかな土曜日一日をまったり過ごせると内心では、しめしめと思い、速攻で帰って、日がなゴルフ番組なぞ見ていたと思う。15時頃だったか、かなり大きく長い時間の揺れがあり、すぐにテレビでテロップが流れた。東京・埼玉を中心に震度5強と出ており、すぐさま続報で彼女たちの乗る電車がストップしたことを知った。携帯にかけ続けるも全然つながらない・・・。胸騒ぎがしながら携帯のボタンを押し続けていると、ようやく応答があった。幸いに全員何事もなかったようだ。駅で切符を買おうとしたまさにその時に、地震に遭遇したのだという。「乗っていなくて良かった!」後から考えると、その時点ですぐに車を走らせれば良かったのだが、少し待てば乗れるだろうからと言うので、電話を切った。しかし、その予想は甘かった。いつまでたっても復旧の目処の立たないその路線をあきらめ、とりあえず運転再開した京浜東北線でいったん上野まで出て、Vターンしようとしたらしい。また電話が通じなくなり、気が気ではなかったのだが、上野でも足止めを食らい、延々待たされた上に、キーステーションの宿命で、どんどん漂流者が膨張し、妻は友人一家とともに、空腹と疲労困憊の小さな子供2人を連れ、超満員電車に気の遠くなるほどの時間揺られながら、ようやく最寄り駅に辿り着いた。時刻は21時をまわっていた。

私自身も昨年、会社から帰宅途中に台風に巻き込まれてひどい目にあった。強烈な豪雨と物凄い雷で、直通電車が運行休止となり別路線で迂回したのだが、乗り換えのターミナル駅のホームは長蛇の列になっており、やっと乗った電車は吊革の前に人が2人いるような状態、逆Cの字の体勢で渾身の力でバーを掴むも、少し走っては止まり、その度に現状がちっともわからないワンパターンの車内アナウンスに乗客も殺気立ち、その電車が途中駅で唐突に運転打ち切りとなり、一方的に後続列車への乗り換えを通告されるに至って、一部の乗客が凄い形相と勢いで駅長室へと走って行った。暴動は起きなかったのか?結局帰宅できた時、深夜2時になっていた。

都市近郊通勤者にとって、電車がストップするのは本当に辛い。何かあったら歩いて帰宅する覚悟と備えは常に必要だろうと痛感して、震災帰宅マップを買った。「何か」は台風、雷、積雪、テロ・・・と色々考えられるが、その代表格はやはり大地震であろう。ただ、震災リスクに詳しい方に聞くと、首都圏直下型は阪神や東海と性格が異なり、最大でも震度6強で範囲も限定的なのだそうだ。ということは、阪神・淡路のように道路が陥没したり、首都高の橋脚が崩れたりといったことが、広範囲で起こる可能性は低いということ。震度5であれば電車がストップするものの、帰宅難民になる前に、さっとタクシーを捕まえて乗り込めば、家に帰れそうである。しかし、震度6を超えたら道路上の車の通行が不可能になる。そうなると、徒歩で23㎞の自宅までひたすら歩くしか途はない。

自分がどこで被災するかも問題ではある。ゴルフ場には大抵車で行っているのでとりあえず大丈夫か。出張中という場合もある。私は名古屋出張が多いので、「東海地震」の被災リスクがあることは前から覚悟していて、栄と名駅でよく泊まるホテルの避難経路は確認してある。自分が無事でいることを知らせることさえできれば、家族の安否を心配しなくて良いわけだから、その点は気が楽だ。

私は内勤でなく、営業職だから、会社の外にいる時間も多い。新規ではどこに行くかわからないのだが、おおむね都心か山手線の内側である。ルーティーンの取引先の所在地を思い浮かべても、自分の会社よりも自宅に近いところはない。したがって「何か」発生したときも、とりあえず会社を拠点にできそうだ。そこで、自分のデスク下に最低限の備蓄をしようと考えた。

まず、一番はスニーカーである。仕事では革靴のため、これは必須。履き慣れたものを用意した。ちょうど今のような寒い季節(阪神大震災もこの時期だったんだよなあ)であれば、歩いているだけで身体が強制冷却されるため、セーターの他にゴルフ用の防寒下着もストックしておいた方が良いかもしれない。探してみると、今はこのような帰宅困難者セットというのもネットで販売されている。夜間であればライトが要るし、携帯ラジオも必携。長い道中で、頻繁に休憩する必要もあるので、非常用のキャッシュも備えておいた方がいいだろう。まあ、考えていくときりがないし、会社のデスク周りに折り畳み自転車や救命ボートを置いておくわけにはいかないので、最低限のものをリュックに詰めておくしかない。

震災時帰宅支援マップを見ていこう。この地図のよいところは、「都心の会社から自宅に歩いて帰る」という目的に特化しているので、「北が上」という呪縛から自由になっている。ページををめくると街道に沿って、目的方向に進行していくというつくりなので、方向感覚が優れていない人や、最近カーナビや携帯ナビに慣れて、地図のリテラシーがめっきり退化している人にも、とても使いやすいと思う。
ルートに沿って、コンビニや帰宅支援ステーションになるガソリンスタンド等の施設の場所も細かく記載されている。私は男性なのでそれほど神経質にはならないが、公衆トイレの在処などは女性にとっては重要情報であろう。

道路にも歩行危険度によって、細かくグラデーションがかけられている。

地盤
沿道建物倒壊危険度
沿道火災危険度

によって道に色がついている。姉歯物件のグランドステージなどの所在地も印をつけてカスタマイズしておけばベターだろう。

私の場合、想定ルートでは会社から荒川の橋の手前まで9㎞程ある。毎朝通勤時に最寄り駅から15分程度歩き、少年時代から歩く速度は人並み以上との自負を持つ私にとっては、時速6㎞くらいでは歩けるのではという感覚があるのだが、地図では1時間で3㎞が目安となっている。かなりのスローペースだなあと最初は思ったのだが、震災時の道路状況や疲労を勘案すると、やはり時速4㎞くらいが関の山かもしれない。とすれば、橋の前までに休憩も入れると3時間くらいかかる計算になる。

3時間かあ。高校時代は数十㎞の強歩大会などが毎年あったし、学生時代も旅行などで長距離を歩く機会はいくらでもあったのだが、最近はめっきりへたれになっているので、酔っぱらって終電車を一駅乗り過ごし、歩いて帰る羽目になると、いつも車であっという間に通り過ぎる道のりが、こんなにも長いのだとしみじみ感じ入るようになってしまっている。半分も行かないのに3時間か。ふー。

都心から郊外に帰る人で、一つも川を渡る心配のない人は、かなり限定される。川を越えるのは、東海道中膝栗毛の時代においても最難関であった。橋が無事であればいいのだが・・・。いざという時のために、短パンとタオルなど川渡りグッズもリュックに入れて置く必要があるかもしれない。

机上シュミレーションでは、そのままひたすら歩くと某大学付近が20㎞地点。休憩時間や頻度によっては、出発から6時間半くらい経過しているかもしれない。この辺までくれば生活圏内なので、妻に車で迎えに来てもらってもよいのだが、道路状況を考えると、無理はさせたくない。あと3㎞くらいだから、独力で頑張ろう!あと一息だ。。。。

てくてくてく、ふー。 さくさくさく、はー ・・・・・


18時に出発して、到着は午前の1時半~2時くらいか。お疲れさまです。

まあ、場合によっては被災時に会社に泊まってもよいのだが、私は昔から人の家を泊まり歩いたりするのが苦手で、いったん自分の家に帰りたい人間なのだ。帰ってシャワーを浴びて(ガスが止まっていなければ)さっぱりして、陣容を立て直し、出社のタイミングを探りたい。それに大きな災害の直後は、家族の許に何としても戻りたいものだ。子供たちにも「お父さんは何があっても帰ってくる」という信頼感を醸成させねばならない。たぶん寝てるだろうけど。

しかし、この安易な机上シュミレーションであっても、つくづく考えてしまった。帰宅困難者にとって最も必要なものは何だろうか。色々な局面が考えられるものの、そんなにたくさんの道具を持って歩くわけにはいかない。もしかしたら、外出先から会社という拠点に寄ることが叶わない事態もあるかもしれない。だからといって、営業に出る度に「マイ震災グッズ」一式を持って外出していたら、さすがに頭のおかしな人間と思われてしまう。

そうです。最高にして最大の武器、いつ何時でも自分の身に付いているもの。それは「自分の脚」に他なりません。「からだが資本」とはよく言ったものです。健康と体力を維持・メンテナンスしておくのが、一番のリスクマネジメントなのです。
それに加えて、単調な道のりでは、石にかじりついてでも家に帰るんだという執念がエンジンになるでしょう。これがあれば、たいていのことは大丈夫なのではないでしょうか。

日頃歩く癖をつけておくこと、それからゴルフみたいですが、「距離感」を養っておくことが肝要のようです。


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5 コメント

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はじめまして (めっち)
2006-01-22 20:55:25
トラックバックありがとうございます。



勉強になりました!やっぱり脚力や体力が一番大事ですね。何しろ全部歩いて帰るんですからね…

私の家も半径20kmの同心外にある上川を越えなければ帰れないので結構困難な帰宅になると思います。

なので帰宅支援マップ買った方がいいのかなーと思ってましたが、母が見たところによるとうちの辺りはあまり載ってないようです。どうやって帰ればいいのやら゜・゜(つД`)・゜



Unknown (音次郎)
2006-01-23 06:09:03
めっちさん、コメントありがとうございました。



一度暇なときに、ちゃりんこでいいから予行演習しておくと良いかもしれませんね。

会社員の頃 (takeyan)
2006-01-24 10:29:22
深夜に会社近く(神田近辺)で宴会が終わり、放り出されて気付くと財布に金がなく、歩いて帰ろうとしたことがありました。

2時だかに歩き始めて始発の5時に到着したのは中間点よりはるか手前。(うーん記憶が・・・)

正直酔っていたのもあるのですが、なかなかきつかった記憶があります。

ただ、都内から私の住む和光市までは大きな渡河がないのは不幸中の幸いかもしれないです。

Unknown (音次郎)
2006-01-24 19:23:12
takeyanさん、コメントありがとうございます。



たしかに和光はぎりぎり川にかかっていないのでよいですね。ひたすら川越街道という感じでしょうか?

3時間で7~8キロくらいですかね。
こちらでははじめまして (kochikika)
2006-02-20 23:50:27
以前のエントリで恐縮ですが、お邪魔させていただきます。

大昔の学生時分に、動機不明ながら電車が止まったわけでもないのに、渋谷から当時の自宅(京王線千歳烏山)まで徒歩で帰ったことがあります。

体力は充分、足元はスニーカーということで楽観視していたのですが、甲州街道付近で足の裏の皮がめくれてしまいました。

準備万端であっても、実際は相当の困難が予想されます。

しかし関東大震災を経験した祖父などは、当時、赤羽から蒲田まで何度も往復したと言ってました。必要なのは明治男のような気概なのかもしれません。

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