この週末で何とか無事に引っ越しが終わり、だいぶ片づきました。
単身時代は身軽でしたし、子供が乳幼児の頃は移動もペットの輸送みたいなものですから、当日以外は大した手間はありません。でも学校に通っているとなると、これがなかなか厄介です。息子が公立小学校の児童という、ある種の社会的存在になっていることを思い知らされました。
住民票を移すのは原則として転居後15日以内となっています。但し住宅ローンを組む人は登記費用節減のため、金消契約の前に新住民票を取得することが銀行から奨励されています。もちろんマストではありませんが、仕事で平日はなかなか自由にならないので、出来るときにやっておこうと、10日前くらいに役所に届け出を済ませました。オフィシャルには、新住所に籍があるものの実態は旧住所のままということになったわけですが、仮に妻と二人であれば、一瞬そのような状況になっても、なんの問題もなかったでしょう。
しかし、公立小学校に通う長男は、扶養者たる親が他の市に住民票を移転したことで、現在通学している学校に在籍する資格を喪失したことになるわけです。そこで、住んでいる処の市役所に出向き、教育委員会に「指定区域外通学通知書」という申請書を提出することになったのですが、学校課の窓口で事情を話して書類を出せば、ハイおしまいなのかと思っていると、他に必要なものがあるのだといいます。これは「居住証明」といい、「かくかくしかじかの事情で、この男は既に転出しているが、たしかにまだここに住んでいますよ」というのを第三者に証明してもらうことだといいます。市役所の職員がそれをするのでなく、こんな時は「民生委員」が登場します。
住んでいる地域を担当する民生委員の方の連絡先を聞き、電話してみたのですが、これはあくまで私一家が現在も「そこに住んでいる」ことの証明ですから、私が「書類ください」とお伺いしては意味がないわけで、民生委員に家まで来ていただかなくてはいけません。帰宅は遅いので、休日にしたいところですが、「空白の10日間」を埋めるための申請を先送りするわけにはいきません。さりとて妻も仕事があるし、私も朝の出勤前しか機会がありません。おそるおそる朝の7時半に家に来てもらいたい旨をお願いすると、向こうもそこは心得たもので、快諾して翌朝50代半ばと思しきご婦人が現れました。電話でもイマイチよくわかっていないようでしたが、新居でなく旧住所で手続きすると住所変更で二度手間となり登記のコストもかかるので、住宅ローンの都合上で先行して住民票を移したのだということを、面と向かって縷々説明しても、まだピンと来ていない様子だったので参りました。早く会社に行かなくちゃという内心の焦りを隠して、民生委員の任期について尋ねたり、「とても大変なご任務ですよねえ」などとお愛想を言ってつないでいたら、何とか複写式の冊子を開いて、証明書を作成する体勢になってきたのでホッとしました。フォーマットや言い回しの確認なのか、おばさんはその冊子のバックナンバーをしきりに確認しているので、見てはいけないと思い体を離してはいたものの、目に入ってしまったのは、母子家庭で就学困難な子供の親の、なんらかの公的補助の申請とか、それこそ給食費未納とか、そういう類のものがほとんどでした。
市役所の方に聞くと、民生委員はこのような任務の性格上、基本的には自宅にいて、常に連絡が可能で(なかなか捕まらないんじゃ話にならない)、地域のそこそこ経済的・時間的な余裕のある年配の方が務めることが多いそうです。推理小説などで、非行少年の更生に尽力する民生委員といった登場人物の設定がたまにあるので、その存在は知っていましたが、実際に接触するのは初めてです。案外一般人にはなじみがないものですよね。まあ無事に居住証明を発行してくれたのでよかったのですが、市役所が地域の市民にこのようにアウトソースするのはよいとして、必ずしも社会性に富む方々ばかりではないでしょうし、前述の理由からその属性は偏りがち(高年齢)ですから、住民の多様なニーズに応えるために、たまには事例研修などをしていただくとよいかなと。
先週は1日有休をとって、長男が通っている小学校に「在学証明書」と「教科書通知書」(国語が光村、算数が桐原・・・とか今までの学校で使用していた教科書の種類を転出先の学校に知らせる)を取りに出向きました。あらかじめ予約していたので、必要書類はすぐに出してもらえました。転校するにあたって、クラスのみんなに記念品を配ることにしていたのですが、ただでさえ荷物が多い長男に持たせるのも酷なので、併せて紙袋を持ってきていたのです。このクラス全員にあげる記念品の件も妻との間で一悶着ありました。30人学級ですから、読書振興のために、千円の図書カードでも配ろうと考えていた私に心底驚愕したらしい彼女は、
「うちの子はどこの御曹司やねん! 200円相当で十分や!!!」
と私の案はあえなく却下されていたので、紙袋の中身は硬筆用の鉛筆とノートでした。
登校最終日は翌日なので、担任の先生に挨拶がてらお渡しして当日の配布をお願いしようと考え、職員室で待っていたのですが、授業の合間にも戻ってきません。そこで直接教室に向かうことにしましたが、教室は空っぽでした。誰もいない教室で壁に掲示された作文や絵などを眺めていると、隣のクラスの先生が入ってきて、何をしているのか尋ねられました。事情を話すと、どうもその時間は歯科検診の最中で保健室に一同行っているのだと教えてくれました。廊下でボーっと立っている間にも、3人もの先生に次々に職務質問されました。防災ワッペンをさっき教頭に返却しているので仕方がないのですが、中には「ドキドキしました」と言って去っていく女の先生もいました。もちろん私がいい男だからうっとりしたというわけではありません・・・。
俺は宅間じゃないっつーの!!
保護者としては、学校がセキュリティの意識を持ってくれているのは結構なのですがね。
その日の夕方は、新しく通うことになる学校に書類を届けに行きました。教頭先生の一通りの説明の後、転入するクラスの担任を紹介されました。20代と思われる大河内奈々に似た可愛い先生が出てきたので、ちょっと萌えました。同行した息子は、いつもは仏頂面で無口な父親が相好を崩して妙に饒舌になっているのを、怪訝そうな顔をして見ていました。
今朝は運動も兼ねて、25分以上かかる学校までの通学ルートをウオーキングしてみました。途中の坂はしんどいでしょうが、ここを毎日歩いたら、それだけで体力がつきそうです。
夫婦揃って転校の経験がないのです。転職はいっぱいしているのですが・・・。こうしてみると、3~4年周期で動く転勤族の方は大変だったんだろうなと実感します。子供はもっと大変でしょうが、繰り返していれば、すごい対人能力(場の空気を読んで、アジャストしていく)が身につくかもしれません。
明日の初登校を前に、今日などは近所の同年代の子供と遊んでいましたが、私に似てシャイで引っ込み思案の性格の長男が、無難に滑り出せるかどうかを妻はかなーり心配のようです。祈るような気持ちでいますが、案ずるより生むが易しだといいんですが。
単身時代は身軽でしたし、子供が乳幼児の頃は移動もペットの輸送みたいなものですから、当日以外は大した手間はありません。でも学校に通っているとなると、これがなかなか厄介です。息子が公立小学校の児童という、ある種の社会的存在になっていることを思い知らされました。
住民票を移すのは原則として転居後15日以内となっています。但し住宅ローンを組む人は登記費用節減のため、金消契約の前に新住民票を取得することが銀行から奨励されています。もちろんマストではありませんが、仕事で平日はなかなか自由にならないので、出来るときにやっておこうと、10日前くらいに役所に届け出を済ませました。オフィシャルには、新住所に籍があるものの実態は旧住所のままということになったわけですが、仮に妻と二人であれば、一瞬そのような状況になっても、なんの問題もなかったでしょう。
しかし、公立小学校に通う長男は、扶養者たる親が他の市に住民票を移転したことで、現在通学している学校に在籍する資格を喪失したことになるわけです。そこで、住んでいる処の市役所に出向き、教育委員会に「指定区域外通学通知書」という申請書を提出することになったのですが、学校課の窓口で事情を話して書類を出せば、ハイおしまいなのかと思っていると、他に必要なものがあるのだといいます。これは「居住証明」といい、「かくかくしかじかの事情で、この男は既に転出しているが、たしかにまだここに住んでいますよ」というのを第三者に証明してもらうことだといいます。市役所の職員がそれをするのでなく、こんな時は「民生委員」が登場します。
住んでいる地域を担当する民生委員の方の連絡先を聞き、電話してみたのですが、これはあくまで私一家が現在も「そこに住んでいる」ことの証明ですから、私が「書類ください」とお伺いしては意味がないわけで、民生委員に家まで来ていただかなくてはいけません。帰宅は遅いので、休日にしたいところですが、「空白の10日間」を埋めるための申請を先送りするわけにはいきません。さりとて妻も仕事があるし、私も朝の出勤前しか機会がありません。おそるおそる朝の7時半に家に来てもらいたい旨をお願いすると、向こうもそこは心得たもので、快諾して翌朝50代半ばと思しきご婦人が現れました。電話でもイマイチよくわかっていないようでしたが、新居でなく旧住所で手続きすると住所変更で二度手間となり登記のコストもかかるので、住宅ローンの都合上で先行して住民票を移したのだということを、面と向かって縷々説明しても、まだピンと来ていない様子だったので参りました。早く会社に行かなくちゃという内心の焦りを隠して、民生委員の任期について尋ねたり、「とても大変なご任務ですよねえ」などとお愛想を言ってつないでいたら、何とか複写式の冊子を開いて、証明書を作成する体勢になってきたのでホッとしました。フォーマットや言い回しの確認なのか、おばさんはその冊子のバックナンバーをしきりに確認しているので、見てはいけないと思い体を離してはいたものの、目に入ってしまったのは、母子家庭で就学困難な子供の親の、なんらかの公的補助の申請とか、それこそ給食費未納とか、そういう類のものがほとんどでした。
市役所の方に聞くと、民生委員はこのような任務の性格上、基本的には自宅にいて、常に連絡が可能で(なかなか捕まらないんじゃ話にならない)、地域のそこそこ経済的・時間的な余裕のある年配の方が務めることが多いそうです。推理小説などで、非行少年の更生に尽力する民生委員といった登場人物の設定がたまにあるので、その存在は知っていましたが、実際に接触するのは初めてです。案外一般人にはなじみがないものですよね。まあ無事に居住証明を発行してくれたのでよかったのですが、市役所が地域の市民にこのようにアウトソースするのはよいとして、必ずしも社会性に富む方々ばかりではないでしょうし、前述の理由からその属性は偏りがち(高年齢)ですから、住民の多様なニーズに応えるために、たまには事例研修などをしていただくとよいかなと。
先週は1日有休をとって、長男が通っている小学校に「在学証明書」と「教科書通知書」(国語が光村、算数が桐原・・・とか今までの学校で使用していた教科書の種類を転出先の学校に知らせる)を取りに出向きました。あらかじめ予約していたので、必要書類はすぐに出してもらえました。転校するにあたって、クラスのみんなに記念品を配ることにしていたのですが、ただでさえ荷物が多い長男に持たせるのも酷なので、併せて紙袋を持ってきていたのです。このクラス全員にあげる記念品の件も妻との間で一悶着ありました。30人学級ですから、読書振興のために、千円の図書カードでも配ろうと考えていた私に心底驚愕したらしい彼女は、
「うちの子はどこの御曹司やねん! 200円相当で十分や!!!」
と私の案はあえなく却下されていたので、紙袋の中身は硬筆用の鉛筆とノートでした。
登校最終日は翌日なので、担任の先生に挨拶がてらお渡しして当日の配布をお願いしようと考え、職員室で待っていたのですが、授業の合間にも戻ってきません。そこで直接教室に向かうことにしましたが、教室は空っぽでした。誰もいない教室で壁に掲示された作文や絵などを眺めていると、隣のクラスの先生が入ってきて、何をしているのか尋ねられました。事情を話すと、どうもその時間は歯科検診の最中で保健室に一同行っているのだと教えてくれました。廊下でボーっと立っている間にも、3人もの先生に次々に職務質問されました。防災ワッペンをさっき教頭に返却しているので仕方がないのですが、中には「ドキドキしました」と言って去っていく女の先生もいました。もちろん私がいい男だからうっとりしたというわけではありません・・・。
俺は宅間じゃないっつーの!!
保護者としては、学校がセキュリティの意識を持ってくれているのは結構なのですがね。
その日の夕方は、新しく通うことになる学校に書類を届けに行きました。教頭先生の一通りの説明の後、転入するクラスの担任を紹介されました。20代と思われる大河内奈々に似た可愛い先生が出てきたので、ちょっと萌えました。同行した息子は、いつもは仏頂面で無口な父親が相好を崩して妙に饒舌になっているのを、怪訝そうな顔をして見ていました。
今朝は運動も兼ねて、25分以上かかる学校までの通学ルートをウオーキングしてみました。途中の坂はしんどいでしょうが、ここを毎日歩いたら、それだけで体力がつきそうです。
夫婦揃って転校の経験がないのです。転職はいっぱいしているのですが・・・。こうしてみると、3~4年周期で動く転勤族の方は大変だったんだろうなと実感します。子供はもっと大変でしょうが、繰り返していれば、すごい対人能力(場の空気を読んで、アジャストしていく)が身につくかもしれません。
明日の初登校を前に、今日などは近所の同年代の子供と遊んでいましたが、私に似てシャイで引っ込み思案の性格の長男が、無難に滑り出せるかどうかを妻はかなーり心配のようです。祈るような気持ちでいますが、案ずるより生むが易しだといいんですが。
シャイなのは紛れもなく私のDNAでしょう、フフフフ。
おめでとうございます^^
まさに私は転勤族だったので、約2年ごとに転校。
寂しい思いをしたものです。
新しい出会いがあっても、「どうせあと2年すればまたお別れ」と思ってしまって子供ながらにせつなかったな・・。
ところで、「私に似てシャイで引っ込み思案の性格・・・」
という後半の下りには異論を唱えます(ハハ。笑)