幹事さんのひとりごと

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坊主

2010年04月24日 | ひとりごと
「釣りで全く釣れなかったのを『坊主』というのはなぜ?」

息子が突然言い出した。
ん~
釣り人を『太公望』と呼ぶのと関係ある?
太公望って坊さん?

そんじゃお寺の和尚を坊主と呼ぶのはなぜ?
おふくろなんかは和尚さんのことを「おうさん」と呼ぶ。
「和さん」ってことなの?

太公望:
古代中国の軍師、紀元前11世紀ころ周の国で活躍した呂尚(りょしょう)。
太公望とも呼ばれていた。

釣り好きの呂尚が川で釣りをしているときに、当時の王様の文王が通りかかり、
「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」
と言って召し抱えたことから「太公望」と呼ばれるようになったと。

江戸時代の川柳に
「釣れますか などと文王 側により」
というのもあるんだそうな。
中国では「太公望の魚釣り」とは「へたの横好き」のニュアンスがあると。

実際には呂尚はまっすぐな針にエサもつけず、魚のいないところに糸を垂らし、魚を釣る
ための釣りではなく、物思いにふけるための仕草だったとも言われてるよね。

そんなところから、釣り人が謙遜して太公望と使うようになったんだな。
寺の和尚とは関係ないんだ。

そんじゃ「坊主」とはなんだ?

奈良・平安時代、平安京で知られるきっかり四角く道路で区切られた土地。
そこを「坊」と呼んだ。
でかい寺ではその坊の権利を与えられ、和尚が「坊」の「主」となったため、「坊主」と。

全く釣れなかったのを「坊主」と呼ぶのは「和尚」のことではなくて、「坊主めくり」からだと。
百人一首の「坊主めくり」。
坊主をめくってしまうと、持ち札を全部出さなきゃいけない。
釣りに行って全く釣れないとエサを全部出したということで「坊主をめくってしまったようだ」と。

釣れないことを「おでこ」と言うのもあるんだって。
全く釣れないからおでこから髪がないということで「坊主」と言ったという説もあるみたい。

ま、せっかく釣りに行って、なにも釣れなくて帰るのはくだらんと。
行くだけ無駄だと。
そんな風に考えるのは釣りをしない人。
釣りに行くというプロセス、釣れるかなというわくわく感。
釣れたときの喜び。
それが釣りの醍醐味だな。
魚の泳いでる様子を想像し、ここでこうしたらこの魚は釣れるだろうかとか。
ようするに魚とのだましあいだから。

たとえ釣れなくても竿を出したのんびりした開放的な空間とゆっくり流れた時間は想像力や思考力に
大きな影響があることは想像できるね。
釣りをしながら戦略を練る。
太公望に見習って豊かな時間の過ごし方もいい。
たとえ坊主になろうとも。


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