幹事さんのひとりごと

秋田市 土崎港 壱騎町一区 壹友会 非公式ブログ 語ったもん勝ち

変更が伝統だ

2016年06月20日 | 土崎港祭り
昔からやってきたことを続けなければならないというのは
伝統ではなく、単なる継承であってそれを変更してはならない
というのは時代に合わないことも多く、かかる負担から廃れて
しまうものもあるのが現状だ。

何度も書いたけど土崎港祭りが「かすべ祭り」と呼ばれたのは
戦後の食糧難のころのことだろう。
今じゃかずべは高価だし調理が面倒で、祭りで簡単に出すような
料理じゃなくなってるし。

「浴衣祭り」で浴衣を着るのが当然として、浴衣を半強制して
「町内3役は終日浴衣着用」と決められている。
それもまたおかしなことで。
そもそも浴衣の着用が始まったのは昭和になってからだっけ?
曳山を神事として女人禁制だったころ、とある町内が芸者衆に
踊りを披露させたのが輪踊りの始まりで、それに基づき浴衣で
統一した町内を各町内がまねただけ。
その後は半纏統一の町内もあった。
それを「浴衣祭り」だとして「浴衣で統一」ってそもそも
おかしなことだ。

曳山の呼び方。
「やま」と呼ぶが、以前は「曳山車」と書いていた。
「やまに車がついてるから動くんだべ」ととしょりに説明されたっけ。
それが奉賛会の方針で車をはずして「曳山」となった。

運行についても今は20日の宵宮に奉納全町内の曳山が新明社の鳥居を
くぐって本殿に参拝しなければならないというルールになった。
それを「郷社参り」と呼ぶ。
なんで?
奉賛会で決めたと言われたけど、理由は「新明社が昔『郷社さん』
と呼ばれてたから、そこに参拝に行くから郷社参りなんだ」って。
そもそも「郷社」っていうのは神社の社格のランクで、一番下が
「村社」その上が「郷社」さらに上が「県社」。
戦後に社格は廃止されてるけど、土崎新明社は「県社」に格上げに
なってたはずで、新明社の前に記念碑まである。
わざわざランク下げるなよな。
おまけに「郷社」というのは地名にもなっていて、うちの町内の
旧住所は「土崎港郷社通り」だ。
新明社の周りの道路はぐるっと郷社通り。
うちの町内に来ること自体が郷社参りだよ。

その郷社参りの呼び名が決まるずっと前に、やはり奉賛会で決めた
運行の呼び方がある。
「御幸曳山」だ。
「みゆきやま」と言う。
21日の本宮に南のはずれの御旅所に集まった曳山は土崎を回った神輿を
迎え、そこで神事が行われる。
午後から神輿は北のはずれの御旅所に行く。
その神輿に付随するために曳山は随時動き出す。
その南から北へ向かうのを「御幸曳山」と呼ぶこととなった。
以前は夜中に町内に帰ってくる曳山を「戻り曳山(もどりやま)」とか
「帰り曳山(かえりやま)」と呼んでたのに対し「送り曳山(おくりやま)」
とか「行き曳山(いきやま)」などと呼んでた。

統一の呼び方をつけたのはいいけど、なぜ「御幸曳山」なんだ?
氏子総代が奉賛会で決定したと言ってたので理由を聞いたけどはっきりしない。
「そう決まったから」ってそんなんじゃ納得できないし、いまだに疑問。
そもそも「御幸(みゆき)」とは天皇が旅立つことでアマテラスじゃないな。
土崎の曳山は天皇とは全く関係ないはずで。
なんかおごそかっぽい呼び方だというだけじゃないの?

それにしても、午前中に穀保町に集まるやつには呼び名ってないの?
神輿を出迎えるやつにも呼び名があってもいいんじゃない?
どうせいろいろルール作っていくのなら徹底してやればいいのにと。


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