今日はこの子の誕生日、自らの還暦祝いとして5月にオーダー

ちょうど去年の今日、京都まで引き取りに行って私の手許に・・・それまでとブレーキの効きが異次元の感じに(@_@。したものです(^-^;
ツーリングデビューは12月7日に西伊豆スカイラインをメインに駿河湾1周、不慣れな状態でフロントのチェンジがうまくできずに上り坂で失速して転倒・・・いきなりサドルに大きな傷をつけてしまうという大失態デビューでした(^-^;
来週の先輩方との西伊豆スカイラインに備えてお昼を食べてから暖かい日差しの中で、3日に走ったまま、タイヤの確認他なにもしてなかったので手入れを兼ねて掃除をしました(*^^)v
今日も各地でレース、結果に満足している人、ふがいなく思っている人、なんとも思ってない人もいるかな?・・・どちらにしてもレースは普段の練習とは負荷のかかり方が段違い、しっかりと疲れを取ってから次のステップを目指してくださいね(*^^)v
いろんな考え方があっていいと思うけれどあえて
13日の金曜日に引っ掛けたパリの悲劇・・・あるSNSでフランス国旗を模したプロフィール写真への変更サービスというのをやっているけれど、一つの宗教観に偏った見方のような気がするのは私の感覚がおかしい?
本来宗教というものは「人の心を救う」ためのものと思っているけれど、昨日の悲劇は完全に宗教戦争で、違う宗教を奉ずる人は「人にあらず」という考え方が根底にあるのでは?
きちんと勉強したわけじゃないから間違っているかもしれないけれど、博愛主義とかいろいろ耳当たりの良い言葉を並べても、その宗教を信じる人だけを対象にしていてほかの宗教を信じる人は排斥するってことが根本的に間違っていると思う・・・「八百万(やおよろず)の神」の国、日本のように何でも受け入れてしまう宗教観が有れば、基本的に宗教戦争なんて起こらないと思うのだけれど・・・
今回のSNSでのサービス、哀悼の意を表する趣旨のはずだけれど・・・対立を煽りこそすれ、平和的な解決に結びつくものではないような気がするので私のプロフィール写真はそのまま・・・犠牲者に対する哀悼の意がないのではなく、以上のような理由から
双方の攻撃、テロ行為によって犠牲になった一般市民への哀悼の意を国・宗教を問わずすべての
犠牲者に捧げます。

ちょうど去年の今日、京都まで引き取りに行って私の手許に・・・それまでとブレーキの効きが異次元の感じに(@_@。したものです(^-^;
ツーリングデビューは12月7日に西伊豆スカイラインをメインに駿河湾1周、不慣れな状態でフロントのチェンジがうまくできずに上り坂で失速して転倒・・・いきなりサドルに大きな傷をつけてしまうという大失態デビューでした(^-^;
来週の先輩方との西伊豆スカイラインに備えてお昼を食べてから暖かい日差しの中で、3日に走ったまま、タイヤの確認他なにもしてなかったので手入れを兼ねて掃除をしました(*^^)v
今日も各地でレース、結果に満足している人、ふがいなく思っている人、なんとも思ってない人もいるかな?・・・どちらにしてもレースは普段の練習とは負荷のかかり方が段違い、しっかりと疲れを取ってから次のステップを目指してくださいね(*^^)v
いろんな考え方があっていいと思うけれどあえて
13日の金曜日に引っ掛けたパリの悲劇・・・あるSNSでフランス国旗を模したプロフィール写真への変更サービスというのをやっているけれど、一つの宗教観に偏った見方のような気がするのは私の感覚がおかしい?
本来宗教というものは「人の心を救う」ためのものと思っているけれど、昨日の悲劇は完全に宗教戦争で、違う宗教を奉ずる人は「人にあらず」という考え方が根底にあるのでは?
きちんと勉強したわけじゃないから間違っているかもしれないけれど、博愛主義とかいろいろ耳当たりの良い言葉を並べても、その宗教を信じる人だけを対象にしていてほかの宗教を信じる人は排斥するってことが根本的に間違っていると思う・・・「八百万(やおよろず)の神」の国、日本のように何でも受け入れてしまう宗教観が有れば、基本的に宗教戦争なんて起こらないと思うのだけれど・・・
今回のSNSでのサービス、哀悼の意を表する趣旨のはずだけれど・・・対立を煽りこそすれ、平和的な解決に結びつくものではないような気がするので私のプロフィール写真はそのまま・・・犠牲者に対する哀悼の意がないのではなく、以上のような理由から
双方の攻撃、テロ行為によって犠牲になった一般市民への哀悼の意を国・宗教を問わずすべての
犠牲者に捧げます。