井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

運転免許証を棄てるべき人は棄てよう

2019年05月11日 | 日記

このところ高齢者による交通事故が続き、中でも園児が亡くなった事件は痛ましい。
園は安全を最大に考慮しての散歩だったのに、メディアは
号泣している園長に向かって
言葉の針を吹き矢のように吹き付ける。これがきっかけで、外で遊ぶことの少ない都心の園児たちの散歩を控える動きもあるようで、そういう意味でも残念なことだ。


車がなければ暮らしが成り立たない田舎の人は除くとして、視力や
反射神経が衰えたと自覚したら、運転免許証は棄てよう。

我がことを述べれば、運転免許証の更新に行かなかったのが4年ほど前の
ことである。

運転は昔、メルボルンで習った。今は知らないが、あちらは教官が
隣にいて、いきなり路上での練習である。

交通量も少なく、じき心地よく運転出来るようになり、試験官が
同乗しての免許取得テストであったが、これに落ちた。

スイスイ運転していたのに、なぜといぶかしかったのだが、
横断歩道を渡る人の片足が、わずかにまだ横断報道に残って
いたそうなのだ。

帰国して練習場に通ったのだが、下地があるので免許はすぐ取れた。
しばらくは山道をトラックで走る如き、今思えば無謀なことを
やっていたのだが、じき自分が運転に不適格なことを悟った。

その後運転をする人間がいたこともあり、またマニュアルで覚えた身に
オートマは扱いづらく、当時は局の送り迎えがあることもあり、
出演時にも必ず送迎がつくので運転を自分ですることはなかった。

それでも免許証を更新し続けたのは、写真付きの身分証明書として
便利だったのと、当時熱海の山中に別荘があり運転手役の
秘書が週末は東京に帰り、いざという時自分で運転
することもあろうかと思ったからだ。結局、そのような
局面はなかったのだが。


秘書を雇うほどの状態でもなくなり、別荘も車も手放し、
結局交通網の発達している都内では、電車とタクシーで
十分なのだった。そうこうするうち、更新に行くのが
億劫で、長年記念品と化していた免許証を承知で
失効させた。

私の技量ではいずれ事故を起こしたかも知れず、ニュースを
見るたび心臓が縮まる。己の命なら自業自得だが、人さまの
命、とりわけ幼い子らをどうかしていたら、と思うと運転をすっぱり
止めてよかったと、思う。

写真つきの身分証明はマイナンバーカードに写真添付で
用が足り、しかし使ったのは皇居内に入れて頂いた
二度だけである。

何歳からという線引きは個人差があるから言えないが、ちょっとでも
おぼつかなくなったら、運転免許証はきっぱりと返上して
頂きたいと思う。

自分が免許証を取得しておいたよかった、と思ったのは
一度きりである。高原にドライブに出かけたら
足を骨折してうずくまっている若い男がいた。その人を
乗せて病院まで送り届けた、その時だけである。

 


1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ドラスティックでドラマチックな人生が与えられる人々 (mai)
2019-05-11 16:33:49
>自分が免許証を取得しておいたよかった、と思ったのは一度きりである。
高原にドライブに出かけたら
足を骨折してうずくまっている若い男がいた。その人を
乗せて病院まで送り届けた、その時だけである。

スゴイ…先生、そんなドラマチックなこと私の人生では絶対に起きない。
朝、家の前を掃除してると外人さんに「“トリ○○”ハ、ドコデスカ?」と聞かれるくらい。(トリップアドバイザーに載る程有名になったらしい近所の焼鳥屋さんです)
先生はご自身の事を凡夫などとご謙遜されますが、もうね住んでる世界も、多分これまでのご経験も、周りで起きることもすべて、なんか私のような豚婦とは質的に格段の違いがありますね実際。

私の微感霊視では先生の前世は平安時代の歌人ですから。(大真面目)

これからもよろしくお願いします
返信する