続き
宿泊した越路荘の脇に「六日町温泉・発祥の地」と刻まれた石碑が立っておりまして
側には湧きだす源泉が有り足湯も設けられておりました
説明によりますと
「S32年、六日町都市ガス構想のもとガス井戸を掘削中、突如温泉が噴き出した」
凄いと言いますか羨ましいですね
地下からの予期せぬお宝が六日町温泉を誕生させたのです
朝食を戴き9時半チェックアウトを済ませ外に出ますと
ポツリポツリと雨滴が顔に当たりました
今日は山に登る事も無し観光も昨日、済ませましたので後は帰るだけです
多少の雨は差支え有りません
塩沢石打ICに向かう途中関興寺の看板を見つけ寄り道する事に致しました
この寺門は今から200年以上前に建立された総門で
驚いたのは我が町・箕輪から移築したものなのだそうです
当時の持ち主は安房勝山藩の酒井家でしたが
伊香保へ寄付した下田家の門と言い、よくよく箕輪は文化財を大切にしない町である事を
痛感させられました
上の写真のこじんまりした門は三門で
関興寺に現存する最も古い建造物だそうです
真ん中の観音様は水月観音ですが
この時期は雪囲いに守られて如何にも安らかですね
下の写真の雪囲いされた木々の下は雪が融ければ臥龍の庭が見られるはず
そして昇龍の滝も何処かに隠れています
玄関脇の部屋から女性達の笑い声が聞こえましたので声を掛けましたが無反応でしたし
拝観自由と有りましたので遠慮なく本堂に向かいます
ヒンヤリと冷たい廊下の雰囲気を和らげる様に置かれた無数の蛙
写真は一部ですが一体、何匹いたのでしょう
「蛙と一緒に座禅を組んで幸せをよびましょう」
「お賽銭を挙げない拝観者はカエリましょう」はて!どちらか?
そこへ「御朱印が必要か?」
思っていた事が現実になったかと一瞬、身構えてしまった私でした
歳にして40歳後半と見られる決して愛想が良いとは言えない住職でした
「いえ、拝観させて頂くだけなのですが・・・」
(私、慌てて本尊様まえの賽銭箱にお金を投入)
もう随分前ですが新潟の或るお寺をお詣りした時に至る場所に賽銭箱の置かれた
寺が有りました 観光客は皆さん律儀にもお賽銭を入れていましたが
10歩あるけば別のお賽銭箱ですから、こうなるともう商売ですね
置かれています仏像は、そう古い物では無く、その中の千手観音像は
江戸時代の物だそうです
さて本題の味噌なめたかですが、これには謂れが有りまして
上杉謙信亡き後、景勝、景虎の二子の間で家督争いが起こり
その兵火にあって諸堂が焼失した際、関興寺に納められていた上杉氏鬼神の
大般若心経六百巻は味噌桶の中に隠し難を逃れました
以来、御利益のある味噌として、何時からかそう呼ばれる様になったのだとか
「舐めてみますか?」と試食させて下さった奥様の説明を聞きながら
私もその御利益に授かります、そしてお土産として購入する事に致しました(500円)
関越トンネルに近づいた辺りから本降りの雨となり山々は雲を巻き
険しさと優しさを織り交ぜて幻想的な墨絵も世界を造り出しておりました
堪能した雪国と別れトンネルを潜れば雪の一片もない群馬です
(山は飯士山)
一泊の旅が大分、長くなってしまいました
最後までお付き合い下さった皆様、有難うございました
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関興寺の味噌は甘口でした。
さっそく、味噌おにぎりを作ってみましたら
・・・・・・・・・・・・・・美味しかった~・・・・・・・・・・・・・・・・・
因みに、たか味噌は塩っ辛いかも。
人間は「隣の芝生」では有りませんが他県が気になるものです。
新潟は昔から米と酒で財を成した豪農が多いですよね。
そんな豪農の暮らしぶりにも興味が有りますし
何と言っても群馬と関わりの深い上杉謙信の国
跪きながら覗き見させて頂いております。
山も良し花も良し、いう事ありません。
山男、niceさんもおりますし・・ネ。
僕は、まだなめたことありません。
なめ、たか、った、なぁ。
たか、たか、たか、掛け言葉みたいです。
僕よりも新潟を深く掘り下げて旅してますよねぇ。
自分の、慌ただしいだけの山登り。ちょっともったいない気がして来ました。
学生の頃、正月休みが終わり、雪景色の新潟から県境のトンネルを抜けて群馬側へ出た時の、パーと光が差す、あの瞬間に心踊らされたものです。takeさんと一緒です。
「国境の長いトンネルを抜けると真っ青な空であった。」
もう家へ帰るだけと言う時に走っている途中で
もの珍しい物や気になる者が有ると寄ってみようかという気になってしまいます。
今回は嘗て箕輪の武家屋敷の門であったものが
どんな事情が有ったのかは分りませんが関興寺に移築されていたという事を知りました。
写真では雪囲いされていますので分りづらいと思いますが
中に入りますと門の両側には門番の詰所があるな当時の酒井家の繁栄を示す重厚な造りでした。
>雪国の人間は逆で「真っ青な空」でした。
そうなんだそうですね。
石川県河北郡の知り合いが「冬は毎日、曇り空です」と言っていたのを聞いた事が有りますが
それだけに春の訪れを感じた時の喜びは格別のものが有るのでしょうね。
takeさん、大分、長くなってしまった今回のブログですが最後までお付き合いして頂き本当にありがとうございました。
神社寺院は だいたい それなりの歴史、謂れ有りで 目から鱗 ということが多いと思いますが ふっと 立ち寄ろうという気になる たか様ご夫婦、やはり 名コンビだと思います。ウチなんかでは 寄る、寄らないで 必ずもめます。しっかり、写真、レポートも さすがです。
私には どうしても 雪景色に 郷里のお寺の雰囲気を感じて 懐かしくなってしまいましたが。
トンネルと越えると・・・、
雪国の人間は 逆で 「真っ青な空」でした。
「雪の中で過ごしてみたい」これが夢でしたので思い切って出かけて本当に良かったと思っています。
観光というと、どうしても神社仏閣となってしまいますよね。
ただ地区の歴史を知るには一番の近道と言えるでしょうか。
「トンネルを潜ると其処は雪国だった」
この言葉は今や川端康成の普及の名言となりました。
長い関越トンネルを走り前方に出口の灯りが見えてきますと絶対に浮かんで来る言葉です。
そして右方に見えて来る飯士山を目で捉えて、いよいよ雪国に来たことを実感いたします。
小さな旅を小さく分けながら長いブログになってしまいました。
お付き合い下さり感謝です、有難うございました。
>共有しようとする器が大きく心の広い町
オッオッオッオオオ・・・さすがKさん、そう言う見方も有りましたか。
箕輪は流行に先駆けて使い捨てを推奨する町かと思っていました。
役所の人達はKさんに感謝しますよ、きっと。
>お金第一主義の神様・仏様
手は合わせますがお賽銭はスル―する私
寺や神社を維持する為に寄付金を募るので有れば私も快く寄付させて頂きますけどね。
御利益を謳うのはあまりいい感じを受けません。
それが一つも寺内に20も30も在るのですから・・・ねぇ。
新潟の小さな旅、最後までお付き合い有難うございました。
これだけでも満足のいく旅でしたね♪
でも、その他にも観たり聞いたり盛り沢山で、とてもわずか一泊の旅とは思えませんでした。
たかさんの好奇心と探求心の深さを感じました。
トンネルをくぐると、そこは雪国だった。
それだけでも旅情が広がる思いでしたね(^_-)-☆
いえいえ
文化財を 我がものとせず
共有しようとする 器が大きく心の広い 町ですね(^^)/
>10歩あるけば別のお賽銭箱ですから・・・
よく目にします
神様も仏様も 人間様に負けず お金第一主義の様ですね
特に春は いろいろ物入りでしょうか・・・?
十万石と言えば土地の支配を許されたと言う事ですよね。
どれ程の格式で有ったかは、廊下も敷居も障子の腰板に至るまでも(写真参照)全て漆塗り
そして欄間の素晴らしさからも伺う事が出来ました。
飯士山、形の良い山です。越後湯沢駅から関越道を挟み東側に位置しますが南斜面がスキー場と言うのが難でしょうか。
登ったのは尾根コース、でもこの時は若かったので引き返しはしませんでしたがキツカッタ
仙台に雪が少ないのは奥羽山脈と丁度、寒流と暖流がぶつかり合う所という事に影響しているのでしょうか?
群馬の気候に似ている?のかなぁ。
Fsさんも新潟の小さな旅、お付き合い有難うございました。感謝です。
しかし飯士山の眺め、なかなかのものですね。
前回のコメントでお問い合わせの「仙台での雁木」ですが、仙台では雁木は見かけませんでした。
私の知る限り、雪はそれほど降らないので必要なかったのではないかと思います。
ただし私の狭い範囲の知見ですので、間違えていたらゴメンナサイです。
そうですね!
あの三国山脈一つで世界がこれ程も変わってしまうのですから
川端康成氏もこの劇的な変化に流行り言葉で言えばビックリポンだった事でしょう。
凄い雪ですよね。 数年前、5月に十日町へ行った時、林道は雪で塞がれ通行不能な所が
何カ所も有りましたから5月末にならないと全線の完全な開通は無理な地域の様です。
お賽銭は一寺に一つで十分ですよね。
因みの関興寺さんの名誉のために・・・本尊さん前に一つだけでした。
イケリンさん、こんな所で温泉に浸かりお酒を飲む・・・漸く夢が叶いました。
小さな旅にも関わらず長い記事になってしまいました。
お付き合い本当に有難うございました。
昔も今も変わらないようです。
それにしても関興寺境内の、この雪の深さは3月下旬だとはとても思えないですね。
どこの神社もお寺も、まるで集金マシーンのようにお賽銭箱が列をなしています。
お参りする方も、一つでもスルーするとご利益がなくなるような気になるから
不思議ですね。参拝者の心理をよく読んでいるようにも思われます。
今回の旅は、山登りでは登頂目的を果たせなかったものの、最後は温泉で疲れを癒し、
地酒で英気を養われたことと思います。時にはこういう旅も必要ですね。