たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

思い出に残る山(26) 大菩薩嶺

2018年06月12日 | 心に残る思い出の山
H7年5月3日




(略)

大リーグ入りした野茂投手の初登板の放送に耳を傾けながら柳沢峠に着くと

何時しか雨も上がり眼下の景色が見え始めたのを

眠い目を擦り擦り喜んだが雲の層はまだまだ厚い

雲峰寺入口を左折すると大勢の学生が

くたくた顔で要所要所に立つ係員に誘導されながら降りてきた 

今日は巣鴨学園の恒例・強歩大会との事で現在改装中の長兵衛山荘前(ここへ駐車)は

係り員や学生でごった返し一般登山者の姿は隅に追いやられている感じだ

そんな喧騒を後に7時15分出発、時折り聞こえるシジュウカラの可愛い声が耳に心地よい






緩い登りの林道を20分ほど行くと片手にアイスキャンディを持った

例の学生達が下りてくる  福ちゃん荘は近いなと思っていると左へ大きく

カーブした所が山小屋で、ここも学生や一般登山者を合わせて

予想していた以上の混雑ぶりだった

ここから道は富士見小屋と唐松尾根経由に分れるが私達は富士見小屋経由を選択



   

富士見小屋へは分岐から僅か5分、この先の勝縁荘へは更に5分

中里介山が執筆活動に打ち込んだ三界庵は少し奥まった処にヒッソリ建っていた

小説大菩薩峠と言えば31年間に渡って死ぬまで書き続け、しかも未完に終わった

超・長編小説だ

随分前に片岡知恵蔵演じる机竜之介の映画を観たが作者は、この小説で人間界の曼荼羅を

描こうとしていたらしいから書いても書いても果てしないのは当然だったのだろう

勝縁荘、三界庵共、少し前までは茅葺だったそうだが現在はトタン屋根に変わり

いささかガッカリさせられた

裏のプロパンボンベや周囲の壁もトタンが打たれたりして、いただけない

林道もここで終わり、此処から先は山道に変わる 相変わらず学生は切れ目が無い

近くでキツツキのドラミングが聞こえたので「あの音わかる?」と聞くと

盛んに首を傾げるので「キツツキの木を突く音よ」と教えると耳を傾け

ニコッと笑って下って行った

未だ幼さが残る中学一年生だった

聞けば今朝2時に小菅を発ち裂石まで歩き通すと言うのだから驚きだ

学生の姿も疎らになりホッとするのも束の間介山荘に着くと

まるで縁日のような賑わいで学生たちの出入りが絶えない

記念写真を撮ろうとしても中々シャッターチャンスが掴めない有様だ

係り員が無線で落伍者5名と連絡する中、ヘトヘトになりながら

未だまだ登って来る、一体この学園、何名いるのだろう 凄い人数だった

   



私達はともかく人混みを避け介山荘先の親不知の頭から広がる斜面にシートを敷き

そこで朝食をとった

無情にも切れ間なく流れるガスに視界は閉ざされ乳白色の世界が広がるのみだ

それでも新宿で歯科医をやっていると言うご夫婦が連れてきたハスキー犬と戯れて

いる内に1時間の時が流れた

歳をとったら子供達に家を譲って田舎に引っ込もうと思っているのだとか








介山碑を過ぎ信玄のロケが行われたという賽の河原を過ぎ神成岩を抜け雷岩に到着すると

ここは富士山の絶好の展望地・・・なのだが

みな今日の天気を恨めしく思っているのだろう

気が付けば学生達の姿はもう何処にも無かった




大菩薩嶺へはさほど急な登りでは無かったが今朝の雨で泥んだ山道は良く滑る

山頂は木々に囲まれた2057mの標柱の立つ櫛形山に似た広場だった

適当な場所は既に先客に占領されていたので丸川峠下山口の近くの

横木に腰を下ろしコーヒーを沸かし残りの食物で昼食をとった

帰路は鎖のある富士見新道が現在、通行禁止のため雷岩から唐松尾根を下った

(略)

賑わう福ちゃん山荘に下り立って、そこで一服

秩父に抜ける道の工事状況を尋ねるとH9年まで掛かり通行は出来ないとの事だった


天平17年6月17日の地震の際、大岩が真っ二つに裂けるのを見た僧・行基が

石の間から出現した萩の大木で十一面観音を刻み其処に雲峰寺を開いたのが

寺の始まりだそうだ

大菩薩峠、裂石山、雲峰寺、萩原の名称もこの由緒に基づいて

付けられたと伝えられている   (武田家ゆかりの雲峰寺については省略)

「この裂石は寺から塩山方面に向かい番屋跡が残る番屋バス停近くに在ります

また近くには「おいらん渕」が有りますが当時、金鉱が盛んだった頃、遊女の口から洩れるのを

恐れた武田が遊女を集めて渕に落したと言われる悲しい伝説が残されています」

ここに登山記事を書き終えてこの夏にでも今一度、登ってみたい衝動に駆られました

もう23年経っておりますから周辺はかなり変わってしまった事でしょうが

大菩薩嶺はどうなのでしょう


人気ブログランキング

コメント (16)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 梅雨 | トップ | 目立たないが見逃せない花 ... »
最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大菩薩嶺 (イケリン)
2018-06-12 18:41:31
今ではすっかりストーリーも忘れてしまいましたが、
中里介山の大菩薩峠は読んだ記憶があります。
大菩薩嶺という山の存在は知りませんでしたが、大菩薩峠という名前だけは覚えています。
峠とはいっても標高が2,000m近いのですから立派な山ですね。
登られてから23年も経つのですか。おそらく周囲は様変わりしていることでしょう。
ただ、真っ二つに割れた大岩だけは、変わらないことでしょうね。

古いアルバムをめくると、当時のことが懐かしく思い出されることが多々ありますね。
そして、もう一度訪れて見たいなぁ〜と思うのは誰しも同じではないでしょうか。
実現するといいですね。
憧れⅡ (たまボブ)
2018-06-12 20:02:56
憧れの上高地に行ってから2週間余りが過ぎました。
大菩薩も今年中に訪れてみたいところなんです。
たかさん達のこの記録も参考に是非とも行ってみようと思っています。
季節には美味しいキノコも有るらしいので、時期を見定めて初大菩薩予定したい~!!
こんばんは (Blue Wing Olive)
2018-06-12 20:46:45
様々な歴史が刻まれた山のようですね。
再訪が叶うと良いですね。
私も楽しみにしております。
貴重なファイルですね (とよ)
2018-06-12 22:15:00
勝沼から2度、
秩父と奥多摩から2度、いつも大菩薩峠の麓まで、
貴重なファイルを見せていただきました。
片岡千恵蔵の映画でよかった。小学生、大菩薩の霧の中、うなされる千恵蔵の演技に、震えた記憶があります。
市川雷蔵の映画では、少し迫力がなかった気がします。
9日、秩父から勝沼へ抜けたばかりですが、
14日再度秩父へ用があり、登山に色めきましが、登れるかどうか・・・。
たかさんの夏が楽しみです。
小菅、松姫峠から大菩薩峠⇒大菩薩領ここは絶景の連続でしょうか・・・。
こんばんは、 (takezii)
2018-06-12 22:17:08
23年前・・・なんとも 懐かしい ニッカボッカスタイル、
イイネ!、イイネ! です。
私も 昔 ニッカボッカ・・、
まだ捨てないで 仕舞いこんであるんですよ。
大菩薩嶺には 多分 たかさんご夫婦よりかなり後に 4~5回行っていますが 随分 変わっているような気がします。
小屋の写真等 古い写真、引っ張り出して 見比べてみようかな等と 思っているところです。 
Unknown (木もれ日)
2018-06-13 10:16:24
・花あり、景色よし(富士山)、日帰りできる
・子連れで、夫婦で、山友と
中央線沿線では一番回数多く歩きました。コースも、柳沢峠~、上日川峠~唐松尾根コース・鎖場コースと。ただ、裂石からのロングコースは歩いたことがありません。峠から奥多摩方面に下山したこともあります。何より、まだ若かりし頃山の会に入って初めての山行が大菩薩、思い入れ深い山なのです。
平成7年とありますが、お若いこと❗️ボッカ👖をはいていらっしゃったのですね。私は何年頃まではいていたのやら。断捨離できずにまだとってあります。
連休のせいでしょうか、随分賑いを見せていますね。人気の山ですが、私が歩いた時に見られなかった光景です。
イケリンさん、こんばんわ (たか)
2018-06-13 21:01:26
大菩薩峠の一節 “裏街道の最大の難所に大菩薩峠がある”・・・でしたっけ? それが何故か心に残り “何時か登ってみたい” そう思っていた山です。
家を2時半に出発し、その日の内に帰って来たのですから23年前は私も未だ馬力が有ったんですね。
この時は憧れの大菩薩に登れる事が嬉しくて、ひたすら足を運んでいたようです。
ですので、もう一度じっくりと対峙してみたい、記事を書きながら無性にそんな気持ちになりました。

私はこの山が百名山で有る事を知りませんでした。深田氏は「品格、歴史、標高」を選定の基準にしました。勿論、当時は交通の便も悪く私達の様な楽々登山では無かったのでしょう。 同じ条件で登る事は出来ませんが
深田氏が大菩薩に何を感じたのか、それを探る登山、今なら出来る様な気がします。夏になるか秋になるか・・・ 
山とハスキー犬 (越後美人)
2018-06-13 21:09:59
なんとも奇妙な組み合わせに思えました。
大型犬で寒冷地向きのハスキーが、よくここまで登ってこられたものですね。
並んでくつろいでいる姿は、たかさんの飼い犬かと思えるほどしっくりとしています。
山の上でワンちゃんに会うのは、驚きですが楽しくもありますね。

裂石はすごいですね。
あんなに大きいのに真っ二つに割れるなんて、信じられない光景です。
地震のエネルギーは恐ろしいですね。
たまボブさん、こんばんわ (たか)
2018-06-13 21:12:29
もう2週間、経ちましたか。早いものですねぇ。
でも、あの澄んだ空気、川の流れ、静寂の中のテントでの一夜は
2週間経った今でも鮮明に浮かんで来るのではないでしょうか。
思い出に残る上高地になりましたね。

大菩薩嶺、たまボブさんもやりますか?
テント場も在りますので前夜泊まって早朝の大菩薩嶺から富士山と対峙する・・・なんて良いと思いませんか?
ワクワクしちゃいます~。
Blue Wing Oliveさん、こんばんわ (たか)
2018-06-13 21:22:29
やたらと山小屋の目立つ大菩薩でしたが
最後の小屋が終われば其処からは山を愛する者の世界。
中里介山、時代を遡れば武田信玄(登ったかどうか知りませんが)
そして百名山の深田久弥は甲斐の山々を眺め何を想った事でしょう。
その想いを追って今年、もう一度 登ってみたいと思います。

コメントを投稿

心に残る思い出の山」カテゴリの最新記事