インターラーケン→グリンデルバルト→フィルスト(泊)
グリンデルバルトへの発車時刻まで15分しかなくインターラーケンは立ち寄らず
そのままフォームで電車を待つことに。
右手に盛りのシシウドの群落を眺めながら電車はヴィルタース・ヴィルに着いた。
この奥のシーニゲプラッテには登山基地がありホームは乗降客で大変な賑わいをみせている。
次のツバイリュチーネンで列車は切り離し作業に入り、しばし足止め。
ツバイリュチーネンとは「二つのリュチーネ川」という意で
ここはツバルチェ・リュチーネとワイセ・リュチーネの合流点に有る。
氷河が解けて流れる川は、ここもグレーがかって独特の色をしていた。
目を左に移すとヴェッターホルンがそびえ、いよいよアルプスの核心部が迫った感が強くなる。
駅を降りた時には青空が見えていたのにゴンドラ乗り場に向かう途中、雲行きが怪しくなり
乗り場に着く頃には雨脚もだいぶ強くなった。
状況がどうであれホテルがフィルストなので行くしかない。
ともかくゴンドラに乗ると、アラレまで降り出し挙句に雷鳴まで轟いた。
こんな中に下に降りる者は有っても上に向かう者は私たち二人だけ。
ピカッと閃光、ドドドと雷鳴
そのたびにゴンドラが止まり宙ぶらりん状態になる事、数回
ところが最後の駅から45度、角度を変えフィルストへ向かう途中からボリュームたっぷりの雲は
かなりのスピードで動き出し駅に降り立つ頃には、すっかり雨も止んで青空さえ覗いたではないか。
不安の中で見た眼下の景色は、まるで黄、白、ピンク、紫のパウダーを撒き散らした様な花の数だった。
客も去り閑散とした山上レストランは、もう店仕舞いの支度に取り掛かっている。
主人が困った顔をして戻ってきて
「中へ入ってみたが従業員は皆、下へ降りてしまったらしくシーンとしてるんだ
トイレ掃除をしていた使用人の夫婦は英語もフランス語もドイツ語も通じないしマイッタヨ~
取り敢えずバウチャーを見せたらようやく分って貰って部屋へ案内してくれたのだが
そこがまた迷路の様で再び行けるかどうか分らない」と言う。
あっちでも無い、こっちでも無いとウロウロしながら作業場を抜け右、左と曲がったりしながら、ようやく五号室に辿りつく事が出来たので今度は今辿った通路を逆に戻り目印を手帳に書き込んで万全に備えた。
部屋は作り付けの二段ベッドが二つ有る4人部屋だがイス、テーブルは無く落ち着く場所が無い。
晴れれば眺めの良い部屋なのだが身の置き場がないというのは辛いものである。
夕食は7時と聞いていたが、さて場所がわからない。
夫婦は訳がわからないし、どうなってしまうのか心配しながら とにかくレストランに行ってみると
もう寝巻に着替えた奥さんとご主人が困ったような顔をして何やらボソボソ話をしている。
私たちの姿に一瞬こちらに視線を向けたが立ち上がる風も無く又ボソボソと話を始めてしまった。
あちらもオドオドならば、こちらもオドオドである。
このままこうしていても始まらないのでコーヒーカップが置かれたテーブルに座ると
女性がやってきて隣の窓際の席へ移れと愛想もなく指差す。
これは土産をあげる必要はないと思ったがハガキとシールを渡すと日本語で「アリガトウ」と言いやっと笑顔を見せた。
料理を運んでくるたびに少しずつ話しかけていると
二人はポルトガル人で言葉の通じない日本人の迎え入れに相当、悩んでいた事がようやく理解できた。
コーヒーから始まりサラダ、量の多いパスタ(ソースは独特の味でとても美味しいとは言えない)
最後に甘さがきつい、これまた量の多いチョコレート入りのアイスクリーム
主人は「拷問にかけられているようだ」と言いながら口に押し込んでいた。
「どうせ今夜の泊り客は我々二人、食べ終わったら此処へ呼ぼう」と主人が提案した。
日本の海苔にトライするオメイさん「うん、これは美味しい」
次に梅干しをあげると急に立ち上がったかと思うと厨房に駆け込み吐き出した様子。
お互い手振り身振り、英語、それでも分からなければ絵を描いてコミュニケーションをとっている内
スイスに出稼ぎに来て5年、ご主人の名前はオメイさん(46歳)奥さんの名前はエレナさん(44歳)
長男は22歳で奥さんと子供を連れてやはりスイスに働きに、二男は現在、徴兵
一番下の息子さんは16歳であることまで分った。
ポルトガル語の「ありがとう=オブリガード」や明日登るファールホルンの情報を頂いたり思いのほか楽しい一時が流れた。
明日早いので朝食は断って部屋に戻ろうとすると直ぐに朝食の用意をしてくれて
「ここから出れば良い」と出口まで案内してくれた。
余分な荷物も部屋に置いておけば良いとの事に私たちは感謝の気持ちを全身で表し部屋に戻った。
「楽しくて日本に帰りたく無くなった」・・・・・と主人。
ハプニングは未だ有った。
シャワーでも浴びようとシャワーボタンを押した。
途端、カーテンを押し出す勢いでお湯がトビデテきたので有る。
(壁側に穴が開いていてボタンを押すとお湯が出る仕組みだが角度、強弱を変える装置がない)
両手を壁に置き一方の足でカーテンの裾を押さえ、もう一方の足は踏ん張ってただ背中で水圧に耐えるのみ。
なすすべがない、主人はどうしているやら。
泊り客が多ければ分散されて多少、水圧も減少するのだろうが知識の中に有った
2千メートルの高所や田舎は使いすぎるとお湯が出なくなる・・・は撤回しても良い勢いである。
又、雨が降り出した。
9時、パラパラと屋根に当たる雨音と雷鳴を気にしながら不安な気持ちで床に就いた。
グリンデルバルトへの発車時刻まで15分しかなくインターラーケンは立ち寄らず
そのままフォームで電車を待つことに。
右手に盛りのシシウドの群落を眺めながら電車はヴィルタース・ヴィルに着いた。
この奥のシーニゲプラッテには登山基地がありホームは乗降客で大変な賑わいをみせている。
次のツバイリュチーネンで列車は切り離し作業に入り、しばし足止め。
ツバイリュチーネンとは「二つのリュチーネ川」という意で
ここはツバルチェ・リュチーネとワイセ・リュチーネの合流点に有る。
氷河が解けて流れる川は、ここもグレーがかって独特の色をしていた。
目を左に移すとヴェッターホルンがそびえ、いよいよアルプスの核心部が迫った感が強くなる。
駅を降りた時には青空が見えていたのにゴンドラ乗り場に向かう途中、雲行きが怪しくなり
乗り場に着く頃には雨脚もだいぶ強くなった。
状況がどうであれホテルがフィルストなので行くしかない。
ともかくゴンドラに乗ると、アラレまで降り出し挙句に雷鳴まで轟いた。
こんな中に下に降りる者は有っても上に向かう者は私たち二人だけ。
ピカッと閃光、ドドドと雷鳴
そのたびにゴンドラが止まり宙ぶらりん状態になる事、数回
ところが最後の駅から45度、角度を変えフィルストへ向かう途中からボリュームたっぷりの雲は
かなりのスピードで動き出し駅に降り立つ頃には、すっかり雨も止んで青空さえ覗いたではないか。
不安の中で見た眼下の景色は、まるで黄、白、ピンク、紫のパウダーを撒き散らした様な花の数だった。
客も去り閑散とした山上レストランは、もう店仕舞いの支度に取り掛かっている。
主人が困った顔をして戻ってきて
「中へ入ってみたが従業員は皆、下へ降りてしまったらしくシーンとしてるんだ
トイレ掃除をしていた使用人の夫婦は英語もフランス語もドイツ語も通じないしマイッタヨ~
取り敢えずバウチャーを見せたらようやく分って貰って部屋へ案内してくれたのだが
そこがまた迷路の様で再び行けるかどうか分らない」と言う。
あっちでも無い、こっちでも無いとウロウロしながら作業場を抜け右、左と曲がったりしながら、ようやく五号室に辿りつく事が出来たので今度は今辿った通路を逆に戻り目印を手帳に書き込んで万全に備えた。
部屋は作り付けの二段ベッドが二つ有る4人部屋だがイス、テーブルは無く落ち着く場所が無い。
晴れれば眺めの良い部屋なのだが身の置き場がないというのは辛いものである。
夕食は7時と聞いていたが、さて場所がわからない。
夫婦は訳がわからないし、どうなってしまうのか心配しながら とにかくレストランに行ってみると
もう寝巻に着替えた奥さんとご主人が困ったような顔をして何やらボソボソ話をしている。
私たちの姿に一瞬こちらに視線を向けたが立ち上がる風も無く又ボソボソと話を始めてしまった。
あちらもオドオドならば、こちらもオドオドである。
このままこうしていても始まらないのでコーヒーカップが置かれたテーブルに座ると
女性がやってきて隣の窓際の席へ移れと愛想もなく指差す。
これは土産をあげる必要はないと思ったがハガキとシールを渡すと日本語で「アリガトウ」と言いやっと笑顔を見せた。
料理を運んでくるたびに少しずつ話しかけていると
二人はポルトガル人で言葉の通じない日本人の迎え入れに相当、悩んでいた事がようやく理解できた。
コーヒーから始まりサラダ、量の多いパスタ(ソースは独特の味でとても美味しいとは言えない)
最後に甘さがきつい、これまた量の多いチョコレート入りのアイスクリーム
主人は「拷問にかけられているようだ」と言いながら口に押し込んでいた。
「どうせ今夜の泊り客は我々二人、食べ終わったら此処へ呼ぼう」と主人が提案した。
日本の海苔にトライするオメイさん「うん、これは美味しい」
次に梅干しをあげると急に立ち上がったかと思うと厨房に駆け込み吐き出した様子。
お互い手振り身振り、英語、それでも分からなければ絵を描いてコミュニケーションをとっている内
スイスに出稼ぎに来て5年、ご主人の名前はオメイさん(46歳)奥さんの名前はエレナさん(44歳)
長男は22歳で奥さんと子供を連れてやはりスイスに働きに、二男は現在、徴兵
一番下の息子さんは16歳であることまで分った。
ポルトガル語の「ありがとう=オブリガード」や明日登るファールホルンの情報を頂いたり思いのほか楽しい一時が流れた。
明日早いので朝食は断って部屋に戻ろうとすると直ぐに朝食の用意をしてくれて
「ここから出れば良い」と出口まで案内してくれた。
余分な荷物も部屋に置いておけば良いとの事に私たちは感謝の気持ちを全身で表し部屋に戻った。
「楽しくて日本に帰りたく無くなった」・・・・・と主人。
ハプニングは未だ有った。
シャワーでも浴びようとシャワーボタンを押した。
途端、カーテンを押し出す勢いでお湯がトビデテきたので有る。
(壁側に穴が開いていてボタンを押すとお湯が出る仕組みだが角度、強弱を変える装置がない)
両手を壁に置き一方の足でカーテンの裾を押さえ、もう一方の足は踏ん張ってただ背中で水圧に耐えるのみ。
なすすべがない、主人はどうしているやら。
泊り客が多ければ分散されて多少、水圧も減少するのだろうが知識の中に有った
2千メートルの高所や田舎は使いすぎるとお湯が出なくなる・・・は撤回しても良い勢いである。
又、雨が降り出した。
9時、パラパラと屋根に当たる雨音と雷鳴を気にしながら不安な気持ちで床に就いた。