製造業の流作業でパートしてた時、ママ友が「私もパートしたい」というので、自分の職場を紹介したことがある。随時パート募集しており、単純作業なので賃金は低いが、資格もいらず、残業もなく、子どもが学校へ行っている間の短時間シフトが組める、主婦には条件が良いパートだった。
彼女は一週間でやめた。
何があったのかと聞いたら、「難しくて覚えられなかった」という。
えっ、仕事の内容が?マニュアル通りにやればいいだけなのに?
マネージャーとソリが合わないとか、誰かに意地悪されたのかと心配したが、どうもそうではなかった。本当に、仕事が難しくてできなかった。
しかし彼女は、立派な家があり、妻思いの夫がおり、子どもは習い事をいくつかしてすくすく育っていた。
家庭に入ることで、「仕事ができない」ということから免れている大人が、いるのだろうなとその時思った。
私はロスジェネなので、当時は「仕事ができない」というのは罪だと思っていた。できない=いいわけ、サボっている、危機感がない、そんなふうに感じていたから。そこには「みんな、頑張ればできるはず」という思想があった。
だが、いまはそうは思わない。仕事ができないというとき、それはさぼっているのではなく、本当にそうなのだ。あう、あわない、だ。男女関係なく。
今日一日