たわわという言葉に性的な意味を与えてしまったか男さんたち
いまこれを採択できる地位(あの新聞社の広告担当)にあるのは、「高校教師」というドラマを、ちょうど高校生くらいに視聴した人間たちか、それより年上か
すりこまれ、なれされてきたことの、なんという罪深さだ
自覚せよ、二度とするな。
相手は子どもだ
保護されるべき子どもだ
なぜ大人のケアを子どもに課す
ブルーマンデー?
あなたたちは「自分はこんなに辛いんだから、このくらい許されるだろう」という考えが、いかに邪悪か、わかれ。
そして、そこでおわるな。なぜブルーなのかにも向き合え。
おまえたちは私たちにこう言って、「つらい」と口に出すことすらなぐってきた
「自分がそれを選んだんだろう?」と。
さて
もう、以下の言い訳はむりだろう。
①「これは性的なキャラクターではない」
②「胸の大きな女性差別になるのではないか」
③「このような表現をバンすると、ガス抜きができなくなって、リアルな性犯罪が増える」
④「表現の自由を侵害する」
①→定義において作者の意図をガン無視していて妥当でない
②→ならない。ただの身体特徴に、性的に消費しても良いと打ち出すことが悪い。(少し複雑な思考に耐えられない単純な人が多すぎる。教育の敗北か)
③→ガス抜きにはならず、むしろ性欲を増長する働きがあるため、不適。さらにいえば、ガス抜きをしなければ性犯罪に走るというひとは精神疾患の可能性があるため加療が必要。
④→表現の自由は、公権力によって国民の発言を制限されたときに発動されるものなので不適切。