ママラボ➕(ぷらす)

摂食障害からの回復を目指して 月一zoomで12ステップミーティングをしています 次回は2021年9月26日

せいりせいとん2

2021-07-14 23:15:00 | 日記
前にも書いたかもやけど、プライベートパーツが受け入れられない、それがあることで非常に憂鬱になるというとき、身体を手術などで変える行為は、神さまから与えられたありのままの身体を受け入れていなくて、自分の意志を使っていることになるのでは…と思ったりした。

しかしこれも、「本来の自分に返る」ことならば、神の意志。

本来の自分に返ったとき、神の意志に従っているので、その人の傷は癒されるはず。

トランスの方の、自分の身体に対する憎しみ、恨み、悲しみ、受け入れられなさが、摂食の痩せ願望に似てる気がしてたんだ。

でも、決定的に違うのは、神の意志かどうかなんじゃないかと思った。

私たち摂食は、痩せたら癒されるのではないから。

今日一日



せいりせいとん

2021-07-14 23:05:00 | 日記
わたしは自分の身体が愛せなかった。
許せなかった。
受け入れられなかったです。

ガリガリになりたいのに、なれなかったからです。

脂肪がついたパーツが醜く見えました。
恥ずかしくて人に見せられないと思いました。
お金をかけたら脂肪を吸引できるのなら、命の危険があってもやりたいと思いました。

太っているのは間違っていました
痩せが疑いなく正義でした

ところで
私たちのテキストには、「男も女も子どもも…大元の深いところにハイヤーパワーがある」的なことが書いてあります。

もし、この大元の深いところにある「本来の自分」が、ガリガリであるなら、ガリガリになることが神の意志なのでしょう。

が、わたしの場合は、それはどうも神の意志ではなかったようでした。

ガリガリになるための行動は、酔っ払う行動だったからです。

絶食の恍惚に酔い
過食嘔吐の罪悪感に酔い
許可食に酔い
外食や家族との食事ができないことに酔い…

自分を愛しなさい、許しなさい、受け入れなさい、と言われますが、太ったままの自分なんて無理だよ、と思っていました。

痩せた自分が好きなのに!

これは本当に強力な呪いで、家族や友だちが「そのままでいいよ」と言ってくれてもダメなのでした。

がんばってもがんばってもがんばっても、ダメなのでした笑

今日一日










ギリガンの発見1.

2021-07-14 11:52:00 | ケアするのは誰か?
ギリガンらの発見のように、ー社会現象としてー女性は、自身の社会的評価や他者への気遣いをより強く示すことを認めるとしよう。

すると、その理由は主に二つの原因が考えられる。

ひとつは…女性がほとんど育児を担う社会においては、男性と女性の自己像に違いが生まれ…ケアの倫理は生来的に女性の道徳を表すという理解にもつながる。


日時
2021年7月18日(日)14:00〜16:00

場所
NPO法人ガジュマルの船事務所およびオンライン(zoom)

内容
AAの「12のステップ12の伝統」を読んでシェアします。



トイレや銭湯の掃除

2021-07-14 11:47:00 | 日記
今朝の朝刊の声がめちゃ、おもろかった

男子トイレの清掃員が女性だと嫌だ
という男性の意見に対する意見
が載ってた

珍しいなー、…いや、ほら、やっぱり少なからずいるんじゃね?という気持ちになった。

ずばぬけてたのが

「女性トイレには配慮して女性清掃員が入るのに。男性を軽視しないで」に対して

「それは男性を軽視してるのではなくて女性を軽視してるのでは?女性清掃員ならどちらを掃除しても無害だろう、という」

めっちゃそう思う

あと、この問題で一番くらいにはっきりさせなあかんのが

「男のくせに女にみられて恥ずかしいとか、なさけない」とバカにされる風潮ですよね



instrument

2021-07-14 11:40:00 | 日記
産む機械
は、どうみても差別発言だ。
セクシズム全開。
女性は人格のない道具じゃない。

しかし
ステップでは「神さまの道具になる」という。
そしてたしかに、道具になると、依存はとまる。

…私が妊娠していた時
「私だけの身体じゃないんだ」と思ったとき、食べるものにずいぶんと気をつけた。

私の身体を私が支配できずに、私だけのものではなく、赤ちゃんというもう一つの人格?と共有しているものだから

適当にひどいものを食べられない感じがした。
自分以外のもののために、栄養を考えて食べようとした。

借り物だから
という感覚ではなかったにせよ
自分だけのものではない
という感覚は
私から私のセルフィッシュな意思をとりのぞいていた

今日一日