特に何もしなかった(実際は妻の親が来ていたのだが)GWが明けて、初日、さっそく、ずる休みをしてしまった。
朝、休もうかなぁと思ったのが最後、絶対に行きたくないと思って、結局、いつもの子供が熱を出して・・・という2つのうちの1つの理由で休みをとった。(もう一つは、体調不良でなのだが、前回使ったので、今回は子供の熱にした)
家にいたのだが、妻もちょうど休みだった。
真面目に会社の仕事を家でしていると、どこかに連れて行けと言ってきかない。
とはいえ、実際にやらなくてはならない仕事がたまっていたので、そのまま聞き流していたら、機嫌を損ねてしまったらしく、昼から不貞寝してしまった。
子供の相手をちょくちょくしつつ、仕事を進める。
GWが終わってしまったという事実と、妻の機嫌が悪いということが重なって、若干鬱っぽくなってしまう。
仕事をしていても、気分が乗らずに溜息ばかりが出てくる。
こんな時に限って、10年後のこととかを考えて、余計鬱になる。
はぁ、仕事を辞めたいだとか、考えだす始末。
しばらくうだうだして、子供が寝たころになって、ふと、あぁ、自分は鬱の時期なんだなぁと気が付く。
自分の状態に納得して、少しだけ気が軽くなる。
気持ちが落ち込んでいる原因が分かって、じっとしていれば、いずれ去っていく、いつものやつだなぁと思えば、やはり気が軽くなる。
鬱の状態の時は、なぜだか少し先の将来のことを考えてしまう。
10年、20年、30年先を考えて、そして、一体全体、今やっていることに何か意味があるのだろうかと思い、結局何もしたくなくなってしまう。
ふらっと旅に出たくなったり、蒸発したくなったりするのは、きっとこういう時なんだろうなと思ったりする。
鬱の状態が周期的に来るのは、心のバランスを保つためなのだろうと考える。
個人のやる気や目的は、何度も見失って見つけて、見失って見つけることが必要なのだろうと思う。
時間とともに僕を取り巻く状況は変わっていくし、生きる残りの時間も少なくなっていく。
昨日よりも今日は、1日残り時間が少なくなっているのだ。
そんな中で、絶えず、周期的に目標の微修正を行うことを、人間の精神は必要としているから、僕はこうして鬱になっているんでなかろうか。
逆に考えて、この鬱の時間は自分を見直すための貴重な時間なのではないか!と、思えるほど、やはり気力はない。
なぜなら鬱だから。
鬱の人に、がんばれ!という言葉をかけてはいけないという。
確かに、今、がんばれ!と言われても、心に響かないなぁと思う。
知識が、経験によって、自分のものになった気がした。(今度、落ち込んでいる人を見た時には役に立つだろう)
ひとつ賢くなったと思う。
はぁ・・・気力がない。