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遠海

母の眠る遠い海へ

今年の目標(仕事)

2009-08-28 15:13:34 | 日記

9月頭に要件定義書の納品のため、現在ドキュメントの編集作業に追われている。
あまり好きな作業ではない。
時間ばかりかかる割に楽しくない。
フォントを合わせたり、段落を調整したり、表の見栄えをきれいにしたり・・・


7月8月で、お客の要望を聞き出し、それをまとめる作業なのだが、まとめきれていない感がある。
後工程が少し心配かなという程度なのだが、100点満点での通過は難しそうだ。


9月の頭に今年1年の目標を立てるミーティングが所属長とある。
今年1年といっても、あと3カ月しかないので、大した目標もないのだが、今年の評価につながるミーティングになるので、精一杯話を作っていかなければならない。


今年・来年の目標だが、人に仕事をしてもらうことを目標に設定しようと思っている。
自分で言うのもなんだが、自分で作業してしまえば、大概の作業は、かなり質が高くこなせる。
ただ、人に任せた場合にはそうはいかない。
人に上手く任せて、よい質を出せるようになりたいなぁと考えている。


中野坂上の駅にて

2009-08-28 10:05:27 | 日記

最近は、中野坂上で働いている。
中野坂上は、大江戸線と、大手町線が通っていて、僕は大江戸線のほうで通勤している。
僕は、中野坂上駅から地上に出る際に、エスカレーターを使って地上に出る。


今は夏なので、地下鉄から地上に出る時にエスカレータに熱い風が入り込んでくる。
冷房で体が冷えているせいか、熱いというかあったかいという感じで、少し心地よい。


実は、この中野坂上の駅の入口で2度、幽霊のようなものを見た。
この通路は、エスカレーターを使って、地上に出るのだが、くだりは階段になっている。
エスカレーターと階段の間に、若干スペースがあって駅の入口(エスカレーターの終点)付近で、その仕切り部分に人が1人座れるくらいの小さいスペースが出来ている。
いわゆる、踊り場みたいな感じなのだが、当然、そんなところに座る人はいない。(常識的に考えて・・)


ところが、ある晴れた朝、そのエスカレーターを上って地上に出る直前に、その踊り場的スペースに、真っ青な顔をしたおじさんが座って、こちらを見てにやにや笑っているのだ。
僕は、かなりびっくりした。
真っ青加減が異常なのだ。
いわゆる死人の青さで、全体的に青みがかった白で、恐ろしいことに生きているという色が全くない。


1回目見た時は、病気の人かなと思った。
しかし、今回2回目を見てしまったのだ。
2回目も同じシュチュエーションで、晴れていた。
空にはほとんど雲もなく、夏の朝という感じで、空の青さは深い。
心地よい風も吹いていたのだが、やはり駅の出口付近の同じ場所に座っていた。
今回も、顔が真っ青で生きている感じがしない。
そして、また僕を見てにやにやとしている。


さすがに変だなぁと感じたので、プロジェクトの同僚たちに聞いてみたのだが、そんな人は見たことが無いという。
少なくとも、1度見たら、かなり印象が強いはずなので、見て忘れているということは、無いと思う。


もしかしたら、幽霊を見たのかなとふと思った。
夏の晴れた朝の出来事だからかもしれないが、不思議と怖いとかそういう思いはかけらも出てこない。


本当に幽霊だったら、それはそれでいいなと思ったし、自分にそれが見えたということは、何か少し気分が良かった。


お盆を過ぎて

2009-08-17 10:25:53 | 日記

お盆休みは、子供と遊ぶと決めていた。
水曜日~日曜日まで休みだったわけだが、映画に2回、プールに1回行った。
遠出は出来なかったのだが、近場で満喫できたと思っている。
9月くらいに一度遠出をしたいと思っている。


仕事はというと、相変わらず忙しいのだが、軌道に乗り始めてきていると感じている。
新しい部門に移って、評価も実績も振り出しに戻ったわけだが、能力に対する評価については着実についてきていると思っている。
今年の後半に向けて実績をつけていくことと、来年の4、5月あたりに結果を出せば、まぁ、順調な滑り出しといえると思う。
1年半前に、入社当時から在籍していた部門が会社の都合により無くなって、一度実績が振り出しに戻って、今回の異動により再度振り出しに戻った。
会社生活的には、順調なルートではないのだが、毎度部門を代わり、その部門内で評価を勝ち得ているということは、自信につながる。
また、なれない環境に順応するという意味では、あと20年近くある会社生活では、とても重要なことだと思っている。
評価が決定された部門で、重鎮のようになるのも良いが、こういうのも良いかなぁと思っている。


妻からの要求が2点。
1つ目は、旅行に行きたいということ。
2つ目は、家を持ちたいということ。
どちらも、何かが行き詰ったときに要望するような類のものだと思っている。
日常とは異なる非日常的な何かを求めているということは、日常がマンネリ化していることに悩んでいるのだろうか。
将来に対する明るい展望が見いだせないからなのだろうか。


あと5年くらいで40になる。
子供たちは、1歳と3歳になり、すくすくと育っている。
もう僕は十分な気持ちだ。
昔心の中にあった何かをしてやろうという気持ちも小さくなり、ただただ、釘が錆びるにまかせて、じっと眺めていきたい気持ちだ。