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遠海

母の眠る遠い海へ

入院

2010-08-19 16:31:47 | 日記
妻は、小さいクリニックの診察を受けて、大き目の病院へ紹介された。
大きい病院は、精神科が専門のようで、専門の閉鎖病棟が併設されていた。
映画のような恐ろしい施設ではなく、ゆっくり休むため、ゆっくりカウンセリングを受けるための施設のような感じだった。
病棟の中を案内されていたが、やはり、精神科ということで、歩いている患者さんは眼が空ろだったり、表情がぎこちない感じがした。

担当の先生は、はきはきとした中年の先生だった。
あまり好きなタイプではなかったが、妻の診察後、すぐに入院してくださいと言われた。
どうすればいいのか、素人判断では分からないので、まずは先生を全面的に信頼することにした。
元々、僕はこういう心情的な部分に対する判断が、イマイチな自覚もあったので、何をするにも、アドバイスを受けようと思った。
これでよくなればなぁと思った。

帰り、妻がいなくなって、少し気が軽くなった反面、ものすごくさびしいというか、物足りなさを感じた。
上の子供がいるのだが、それでも何かぽっかりと心の中に穴の開いたような気分がした。
そういえば、なんだかんだいっても、ずうっと一緒に連れ添っていたんだなぁと、いまさらながらに感じた。
この感覚は、昔、子供を妻の実家に2日程預けたときに感じたのと同じような感じだ。
自分で思っている以上に、妻に依存していたところが大きかったことを実感した。

8月15日

2010-08-19 11:32:00 | 日記
結局朝まで起きていた。
昨日の夜間に、妻の親に助けを求める電話をしていたため、お昼ごろに、妻の両親と、子供2人が家に到着した。

外はセミの声が恐ろしく大きくて、ものすごく暑い日だった。
今の家は、家の反面がすべて窓になっているため、このような暑い日は、クーラーをがんがんにかけても涼しくならない。
寝不足で意識が朦朧とする中で、妻と妻の両親が話しているのを聞いていた。

妻の父親は、実家のほうに妻を連れて帰ろうと考えて、こちらに来たようだ。
だが、妻が頑として言うことを聞かない。
妻は、少し子供とも親とも離れていたいようで、両親と子供2人には、実家のほうに帰ってほしいという。
とはいえ、自傷にまで発展していて、親としてもこのまま見過ごすわけにはいかず、ただ話は結論を見ないまま平行線をたどった。

そのうちに、いつのまにか、僕は布団の上でうとうととしていた。
目が覚めると、妻だけがいなくなっていた。
両親の目を盗んで、渋谷に買い物に行ってしまったのだそうだ。

夕方くらいに、親に帰ってもらってという懇願の電話があった。
もう変なことはしない、4人で暮らせるようにやっていくということを前提に約束をして、僕が両親に話をした。
両親のほうも、平行線の中、どうすることも出来ずに、その日は、帰ることになった。

妻の両親が子供を連れて帰る時に、上の息子が泣き喚いて、どうしても帰ろうとしない。
息子なりに、何かを察知したのか、今まで我慢していた感情があふれ出したのか…
どうしても動こうとしない。
妻の母親はそれを見て、わんわんと泣き出し、妻の父親は、外に出て途方にくれている。
とはいっても、電車の時間も迫ってきているため、上の息子だけは、家に残して帰ってもらうことにした。

向こうの親も、そのほうが安心だといい、帰っていった。

夜、妻が帰ってきた。
上の息子を見るなり、約束が違うと言ったが、事情を話して、上の息子の世話は、僕が全部見ることでなんとか納得してもらった。

夜遅く、妻がインターネットをしていた。
なにやら調べ物をしているらしく、そっと近寄ってのぞいてみた。
検索キーワード・・・「精神科 入院設備」

彼女自身も悩んでいるし、この恨み怒りの連鎖から抜け出したいと思っているんだなと理解したときに、ほろほろと涙が出てきた。
火曜日に精神科に診察を受けに行くことになった。




8月14日

2010-08-17 17:30:23 | 日記
朝起きて、妻と子供の4人で妻の実家近くの海に行った。
親子4人で出かけるのが、ずいぶんと久しぶりな気がした。
海水浴というには、時期も外れいてたし、そんな用意もしていなかったので、ただ、海に行けば、何か楽しいだろうと思って行った。
海は予想以上に波が高く風が強かった、子供たちは波に怖がりながらも、海に足だけ入れて走り回っていた。
あまりに風が強いので、海から出て、隣接した小さな公園のようなところへ行った。
上からロープで吊り下げられているタイヤに乗って、妻にそのタイヤを回してもらって遊んでいた。
くるくるくるくる、いつまでも回してもらっていたが、そのうち気持ち悪くなってげぇげぇはいていた。
それでも、まだ、妻に回してとせがんでいた。
気温は、じっとりと生暖かく、体中塩の混じった風で、ねっとりとして気持ち悪かった。

妻の実家から、昼過ぎに子供を置いて2人っきりで帰った。
帰る間際に、下の子が泣き止まずに、すごく悲しくなった。

帰ってから、近くの大き目の温泉に行った。
前に1度いった温泉で、嫌いではないのだが、少し値段が高い。
温泉にゆっくりとつかった。
露天風呂で、外を眺めながら、ゆっくりと考え事をする。
上の子が、妻からしばらく留守番していてねと言われたときに、「分かった」と、一言答えたのを思い出す。
その声は、かすれた、搾り出すようだった声だった。
それを思い出すと、なぜだか、涙が出てきた。

温泉から帰って、寝るときに、妻が話を切り出してきた。
死にたい。
苦しくて死んでしまいたいと言って、電気コードで自分の首を絞めた。
もう、どうしていいか分からずに、妻の頬を平手で殴った。
妻は泣いていた。
そして、驚くくらい野性的な声で叫んでいた。
狂気というものを感じた。

ふっと、目を離すと妻は家からも部屋からもいなくなっていた。
しばらく、ぼ~っとしていたのだが、疲れた体に鞭を打って、妻を捜しに外へ出た。

12時を過ぎていて、外は風が強くて気持ちよかった。
何時間も何時間も、街中や、郊外を歩き回った。
妻に似た人影が、ファミレスにいたので、窓の外からず~っと見ていたら、頭のおかしな人に間違われたりした。
途中で、のどがひどく渇いて、コーラを買った。
途中まで飲んで、全部捨てた。

とにかく疲れたけど、足の疲れとかが、心地よく思えてきたころに、やっと妻を見つけた。
案外家の近くにいた。

妻は、近くの小さな川の川べりにいて、知らない男の人と、話をしていた。
「おい、帰ろう」
と一言言うと、すんなりついてきた。
家に帰って、布団にねっころがると、とたんに疲れが出た。

横になったけど、全然眠れなかった。
朝方、妻の母親から電話がかかってきて、事の顛末を話して、次の日来てもらうことにした。

8月13日

2010-08-16 10:58:46 | 日記
金曜日、妻の精神状態がすこぶる悪いので、会社を休むことにした。
ここ数日、子供を沼津のほうに預けていたため、妻と僕の2人っきりの生活が続いたのだが、妻の症状は良くなるということはなかった。
自分でもどういった方向に進んでいるのか、何をすればいいのか、わからない日々が続いていた。
大海のまっただ中で木端につかまってふらふらと浮いている、そんな風にイメージすることすらできないくらいに、追い詰められた精神状態だったのだと思う。
ただただ、時間が解決するという妄想の中で、時が過ぎるのを待ち、妻の話を聞くが結論を出せずにいた。

妻が時折、外へふらりと出て行っては行方不明になるので、僕は町中を歩き回ったりして探し回った。
携帯にメールをしても返事がない。
とにもかくにも、妻にも自分にも限界が近づいている気がした。

出口がない議論。
妻も僕も一緒にやっていきたいが、昔のことを許せない。
許すことができないと、前に進めない。
ただ時間がたっていく。
時間がたてばたつほど、子供にわ悪い影響が出てくる。
僕の仕事の状況も悪化するばかりだ。

近くに頼れる人がいるということが、どれほど助かることなのか、その時理解した。
調子のいい時、うまくやっているときは、理解できないのだけれども、そういう人と人のネットワークの中で、いざドロップしそうになったときに、救われるのだなと。
僕の頭の中では、妻のこと、子供のことを考えるのだが、どんなに考えても、どうしても、周りで助けてくれる人が足りない。

一つの解になるかわからないが、妻の両親にすべてを打ち明けて、謝り、助力を乞うことにした。
金曜日、仕事を休んで、さすがにひんしゅくを買いまくっているので、メールだけ出して、妻の両親のところへ向かった。
これは、妻の意向とも合致した。
僕としては1つの大きな賭けだ。
ひょっとすると、話の内容によっては、子供とも別れなければならないかもしれない。
ただ、もうできるべきことがほとんどなく、時間さえも待ってくれない状況では、こうするしかなかった。
藁にすがるというのは、まさにこのことか・・・

夕方過ぎに妻の実家に到着する。
実家に到着早々、まずは、妻の父親に打ち明けた。
殴られて、追い出されるのかもしれないと思っていたが、驚いたことに、話をきちんと聞いてくれた。
何よりもうれしかったことは、話を聞いたうえで、今、何をしていくべきなのかを一緒に考えてくれたのだ。
そのあと、妻の母親にも話をした。
反応は同じだった。

過去の過ちは、過ちとして咎められるべきものだ。
今回の件に関しては、すべて僕が悪い。
だが、これから先、そこでとどまってしまうべきではない。

その後、長い時間話した結果、しばらく子供は沼津に預けて、夫婦の絆を取り戻すように2人で頑張っていくことになった。


新しい道へ

2010-08-12 10:09:23 | 日記
数日間、精神の極限状態が続いていると思う。
そんな追い詰められた中で、様々な人から電話がかかってくる。
妻の母親、母方のおばあさん。

母が死んで以来、独り自分のスキルのみを頼りに生きてきた。
でも、そうじゃなかったんだな。
様々な人々との関係の上に僕が成り立っていたんだなと、改めて認識を持った。
少し落ち着いたのとともに、周りの人が、愛おしく思えた。

僕に出来ることは、働くこと。
この働いた分をみんなに還元していこう。
そんな風に思った。

またも関西案件

2010-08-11 13:21:15 | 日記
昨夜は久しぶりに良く寝れた。
本日は、お盆真っ盛りだというのに、朝っぱらからMTGだった。
関西方面の案件の提案を、半月でやってくれというのが依頼。
自分は休みを取っている所属長からの無茶振りだ。

昨日の日中に、部門の頼りになる先輩に声をかけておいて、本日MTG。
とにかく、半月しか時間がないのが厳しいところだ。
朝のMTGで先輩と話をしていたら、どうも、昨晩、所属長から電話があって、私独りにやらせたいので、出来るだけ手伝わないようにとお達しがあったとか…
これは、いじめなのか、期待なのか…

ピンチはチャンス。
ここ数日の休みがちな勤務態度が不評を買っていたのは知っていたが、まぁ、汚名挽回のチャンスと思って、とりあえず前向きに取り組むことにした。
ここで腐っても何も産まれない。
しょうがないので、仕事…
今日も自転車に乗りたいなと思う。

なんか疲れた

2010-08-10 22:20:03 | 日記
とにかく、なにか疲れた。
妻をほっぽりだして、独り自転車で出てきた。
最近乗っていなかったせいか、100メートルほど走ると、早速チェーンが外れた。
街灯の明かりで、チェーンを見てみる。
案外、単純な仕組みで、ちょっと手を加えると、ちゃんとはまってくれた。
当然手は、真っ黒になった。

なにか疲れてどうでもよくなってしまった。
近くの二子玉川に行くことにした。
くねくねと曲がる住宅街を抜けて、多少のアップダウンを乗り越えて二子玉川にやってくる。
久しぶりに乗って、実感したが、やはりGIANTのクロスバイクは乗り心地がいい。
急な坂でも変速を変えると楽に上がってくれる。

少し汗をかくと、なんだか気分が良くなった。
そういえば、昔、いつもむしゃくしゃして、犬のマロの散歩に行っていたことを思い出した。
行って、小矢部川につくころには、不思議と気分が良くなっていた。
外気にあたって、気持ちが晴れるのだろうか。
急にマロが懐かしくなる。。
散歩がいやでいやでたまらなかった割には、散歩に出発してしまえば、いろいろと考え事をしたりして、楽しかったのを覚えている。
マロも僕になついていて、夜に、首輪が外れていたときとかは、わざわざ2階の僕の部屋まで来て、僕の布団の上に座っていたものだ。

二子玉川からの帰り道、なんだか、おなかが痛くなってきた。
そういえば、朝から何も食べていない。
しょうがないから、マックによって、バーガーを詰め込む。

今、マックから書いているのだ。

苦悩

2010-08-10 16:37:12 | 日記
妻の精神状態が良くないことは、書いた。
僕は扱いが下手なようで、妻の心のささくれ立ったところを逆なでしてばかりいるようで、ものすごく心苦しい。
自分でももどかしく、そして、自分が憎らしい。
なぜ、あんな過ちを犯してしまったのか、いまさらながら深く反省しているに至っている。

どうすれば、安心してもらえるのか、どうすれば、良くなってくれるのか、考えても考えてもなかなか解が出ない。
苦悩の日々だ。

毎日の苦悩

2010-08-09 22:40:50 | 日記
妻の状態が、またも悪くなった。
薬に頼っている状態が続いている。
半ば、ラリッているような状態で、外へふらふらと出ていく。
そんな妻からメールが入って、僕は妻を連れに外を探す。
今夜はそんな感じで、妻を連れて帰ってきた。

今、子供は、妻の実家に預けてある。
どうすることが、もっともよいことなのだろうか。
判断がつかない。

少しでも妻が良くなるように。
それだけが願いだ。

えっちらおっちら

2010-08-06 13:36:34 | 日記
不動産会社の仕事が、大分落ち着いてきて、ついに次の仕事が決まった。
9月から神戸のほうで、大学関係の学生登録周りのシステムの更改を行うことになった。
開発者として参加することになり、一抹の不安がある。
プログラムなんて、数年来書いたことがないからだ。

それとは別に、今日、新しい案件の提案をやってほしいと依頼が来た。
急に仕事をいくつも割り振られて、一気に忙しくなりそうな気配だ。

会社・部門は、仕事の量がかなり減ってきている状態が長らく続いているようで、いい加減やばいねという話になっている。
そんな中での提案なので、なかなか責任重大だ。

部門に異動してきて、1年ちょっとたつが、かなり期待されていた1年目をすぎ、そろそろ大きな結果を出さないとまずい局面にきている。
今の不動産のところのシステム構築は無難にこなしたのだが、これ以上の大きな成果を残すことで、大きく部門での立場が前進すると思われる。
仕事を取る、これが一番評価される近道である。

とはいえ、提案の内容はぜんぜん経験のしたことがない案件だったので、不安はある。
今週末~来週中で、えっちらおっちら筋道くらいは作れればいいと思っている。
駄目なら駄目でいいや。。と。。