「 お花畑で昼寝をするノラちゃん 」
森川 雅昭さん 撮影
本当に世間の人は様々だと思う。
私も学生時代から社会人そしてその後の人生でも、公私にわたって実にいろいろな人に
遭遇してきたものだ。上には上があるとも思ったし、下には下もあるものだとも思った。
面白い人、おかしな人、嫌な人、理解できぬ人、好ましい人、尊敬できる人、何とも言えず
可愛いい人、そしてこんな表現では表せないような人にも会ってきた。
なんて言っていると他人から見て私など、どんな表現の範疇には入っていたかはいささか心配だけど…。
こうしたいろいろな人間の糸が交錯、絡み合っているのが人間社会だ。だから大変だけども、
面白いとも言えるのだろうか。
我々はこれまでに生存競争から始まって、いろいろな危険に出合ってきた筈だが、その都度自分だけは
大丈夫という本能的な生存心理が働いて、生き延びてきている。
この自分に対する自信は本能的なもので、それがなければ不安や恐怖、ストレスだらけになって、
その生活状況や感情は著しく偏屈で不自由なものになってしまうし、時には生きては行けない事
などがあるのだろう。
この自分だけはという持って生まれた本能的な心理が、何かの拍子や心身の病や厳し過ぎる環境とか
不幸の連続などによって希薄になったり、或いは多くの情報を自分で整理できなかったり、人より強い
不安症や心配性や潔癖症の気性が強い人などは日常生活にも支障が出るという。
また最初の情報に拘泥してしまい、次の情報による修正が出来なくなると言う。こうした思い込みが
強いと日常生活もままならなくなってしまうわけだ。
こんな例え話がある。
本当かどうか知らないが、あの東日本地震の際、放射能を逃れて福島県から何人もの人が厚木市に
移ってきたそうだ。厚木は茅ヶ崎市の水道の源だそうで、それによって茅ヶ崎の水道が飲めなく
なったという人の話を、聞いたか何かで読んだ記憶がある。これなどは最初の風評被害の情報のままで
修正出来ないでいれば、満更あり得ない事ではないかも知れない。
今のようにコロナも終息傾向、しかしまだくすぶり続けて第6波が懸念され、加えて南アの強力な新変種
が発生という情報があり、国内ではアクセルとブレーキを同時に踏むような施策だし、この難しい情況に
対して我々はどう認識しどう判断したらいいのか。
普通の生活を取り戻すために、どう我々は本能を働かせるべきなのだろうか。
正しい肝心な情報は少なく、そのくせ様々な情報は雨霰のごとしであっても、それに惑わされたり、
混乱することなく、舞い上がることなどもなく、自分の本能と正しい知識や良識との折り合いを付ける
ようにしよう。