「小田原城を望む」 森川 雅昭さん 撮影
昔は、小田原で乗り換えて通ったことあったのであの辺はよく
行ったものだが最近はさっぱりだ。駅ビルの所の屋上に「足湯」
があるとかで驚く。駅前も変わったのだろうナァ!
一昨日だったか昼寝の最中にベッド脇の電話の子機が鳴って目が覚めた。出ようとしたが切れてしまった。
夕食時になって親機の留守録アリが点滅しているのに気付いて聞いてみた。
極めて聞き取りにくい年配男性の声で、「東海岸北5の00だが28日の予約を2日延ばしてくれ」という
主旨の事をごちゃごちゃと、昔はサラリーマンだったとはとても思えない口調や言葉使いだったが、何度も
繰り返して聞いてやっと何とかこんな事なのだろうと理解した。
「何処かお店に掛けた間違い電話」に違いないと分かって気にもしなかった。
さて夕食で晩酌を一口飲んだところで、ふとあの留守電が予約の変更依頼のようだし相手に掛かっていると
思いこんでいたら気の毒だと思い始めて、つい私の悪い癖かも知れぬが、余計でお節介な親切心がむくむく
と湧いてきて留守録の番号に電話していた。
留守録よりははっきりしていたが、出たのは間違いなく留守録のあの人の声のようだった。
やはりウン、ウンと言う返事で「何だ!」と聞き返す口調が強い。
何の仕事をしていた人だろうか、余程偉い人だったのか、或いは中風でも患っていて頭も話もはっきりしない
子供にかえったしまった,人なのかもと思った。
「何か予約の変更依頼のようだからそのままではお困りかと思ってTELしました」と言ったら、
「儂は東海岸北5丁目の00だ。」「そんな電話はしてねぇよ」。
そこで何番に掛けましたかとこっちの番号を言ってみたが、「儂は80才だけどそんな電話はしていない!
掛けてはおらん!」と口調も強くなるばかり。礼儀も常識も欠けてしまったボケか何かなのだろうか、
傲慢無礼であった。時々世間で見掛ける高慢、無教養、唯我独尊、無神経タイプ爺さんの典型の様だった。
だんだん私も面倒になりそして腹が立ってきた。
そして「そりゃおかしい、怪しいぞ」と言いだした。こりゃ駄目だと諦めて「分かりました、何かの間違い
でしょう!」と言ってガチャンと電話を切った。
直ぐに、まだ私も年甲斐もなく、病気かも知れぬ人を相手に腹を立ててと反省した。
それ2杯目の晩酌がいつもよりまずかった。
まだまだ私も人間が出来てないと忸怩たる思いがした。しかしちょっぴりまだ腹を立てる元気や若さや未熟さ
があるのだという快感のような感覚もあった。
その日の新聞の運勢覧に私の寅年は「言い負かす必要はない。懇切丁寧に理解して貰う努力が必要」とあった。
まさにその通りか、反省しきりである。