1876年(明治9)、新島襄は山本八重と結婚しました。
しかし、八重は、クリスチャンと結婚したと言うので、新栄学校女紅場の職を首になってしまいました。
京都府顧問をしていた兄の山本覚馬も、首になってしまうのです。
覚馬は、もともとは会津藩の武士でしたが、捕えられ牢に入っている間に失明してしまいました。
しかし、その才能を惜しんだ明治政府が、京都府顧問として起用していたのです。
覚馬は、新島襄に、自分が持っていた旧薩摩藩の敷地5800坪を同志社設立のために譲っていたのです。
1879年(明治12)2月、新島襄が、同志社英学校を大学にするため、勝海舟にお金を借りに行きますが、キリスト教の大学を作るには、時期尚早と言って断られてしまいます。
その後、新島は、命が危ないと言うところを通りながらも、献金要請のためアメリカまでも出かけています。そんな時、森有礼は、アメリカの手先だと疑われているので、ミッションからの資金を切って日本人としての学校にするようにと提案しました。
新島は、苦肉の策でそれを受け入れたのですが、宣教師たちにはそのまま講壇に立ってもらいました。
そして、1888年(明治21)10月、勝海舟を尋ねた新島襄に対して、勝は喜んで支援を引き受けたのです。
新島襄のストイックな、まっすぐな情熱は、素晴らしいと思います。
一人の命を賭けた人によって、神の働きは進むのです。
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