「高砂緑地の梅の花」 カリン(小4)写す 梅まつりで
今日は7人での練習だったそうだ。さぞ良い練習ができたことだろう。
その時間、私は情けないことに東京の大学病院で、この数年続けている
「眼の硝子体注射・アイリーア」を受けに行っていた。
帰りは大きなガーゼをテープで無様に止めてその上から眼帯をさせられて、
しょぼくれてうつむいて帰ってくる。両眼の散瞳をしているので街でも
電車でも眩しくて歩くのも不便で、ゆっくりゆっくりトボトボでますます
哀れな姿である。
この私の加齢黄斑変性網膜症はもうかなり長いことになるが、現在は新薬の
「ルセンテス」それからさらに最新薬の「アイリーア」になって計20回位の
硝子体注射を受けて、そのお陰か何とか維持している状態である。
私が発症した頃には、治療法も特効薬も開発されていなかったので何も出来ず、
当時は光線力学療法(特殊な薬品を注入して超微弱なレーザーを照射する)とか
セバスチンという初期の特効薬を眼球に注射をするしかなく、それを受けたが
効果はなかった。それ以上は医者にも見放され何とも悲しく情けない思いを
したものだ。
もし今、発症したとするならば最新薬の「アイリーア」を直ちに継続的に注射する
ことによって(但し狭心症、脳梗塞等を起こしやすい副作用があるのが心配であり
両刃の剣なのだが)治す迄の事は出来ないものの、その時点の状態から進行悪化を
或る程度は食い止めることが出来るという。
自分の発症したあの時に、これがあったらなぁと泣きたい程残念な思いである。
しかし今は見えぬ方がさらに大出血をしないために、隔月にアイリーアを続けている。
今の所は残った片方が見えているが、もしその目に異常が出たら(片目がかかると
もう一方の発症率は100%だという。但しそれが明日なのか1年後なのかは分から
ないそうだが)直ちにアイリーアを使えば、そこで何とか抑えられるということに
なるので気持ちは救われる。
その為には毎月の定期検査が欠かせない事になった。
しかしこれが毎月となると、結構厄介で身も心も財布も忙しくて、くたびれて、
心の休まる時がない。
それでも医学の進歩は有難いことだとつくづく思う。
しかしよくIPS細胞が出来て良かったねと慰められるが、あれはまだまだ先のことで
我々の孫辺りが加齢と名の付く病にかかる頃のことのようだ。
そんなわけで、何時また大出血するか、もう片方が何時発症するかという爆弾を抱えて
いることになる。それでもかなり精神的には慣れというか諦めという気持ちが芽生えて
おり、案外表面上は平静な気持ちで生活している。
「まあ私だけはまさか、もう片方が発症するなんて事はあるまい」という超楽観主義と
いうか、全く理由も根拠も何もない思い込みだけで、これは丁度「自分だけは交通事故に
あうなんて事はなく、あれは他人事だ」と本能的に信じ込むからこそ道路を平気で歩ける
様なもので、そんな不安定で全く非論理的で不合理な本能的な思い込みによって、
笑ったり酒を飲んだり絵を描いたりピンポンをしたりの毎日を送っておられるのかも知れない。
突然の病気などはもちろんだが、先日の石灰化沈着もそうだし、ある日朝起きたらギックリ腰
で動けないとか、何の前触れもなしでの低血糖の発作等々と最近の自分の事を考えても、
明日は本当に何が起こるか皆目分からない。
今日というこの日をせめて精一杯生きるしかないようだ。
それにしても、何と人生なんてものは、明日も分からぬ危険に満ちた、はかなくて不安定で
脆いモノなのだろう。
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